2014年2月17日月曜日

Haynes尊師

 ここ5年くらい、Bronxにあるとある黒人教会の
ピアニストをしている。
 ここの教会は、 決まった牧師というのがおらず、
3、4人が交代で、礼拝を取り仕切る。
 その中で、毎月1回、聖餐式を行う
Reverend Pauline Haynes (Haynes尊師)という、
黒人女性尊師がいた。  
 彼女は、20年以上、この教会のリーダー的存在であった。
恰幅よく、大きな声で歌い、説教の内容も、
好戦的なトーンで、社会問題まで切っていくタイプであった。

 教会ピアニスト職についてまもない頃、
特に共通項もなく、あまり話す機会もなかったのだが、
数ヶ月後、Somiのライヴに、偶然、彼女が
娘さんと現れ、 それ以来、なんとなく、距離が縮まった。
自分に娘が出来た時もとても喜んでくれたのを覚えている。 

 3年程前から乳がんをわずらい、毎月、毎月、
身体が細くなっていくのが気になっていた。それでも
毎回、威勢のいい説教を続け、聖餐式を取り仕切った。
 昨年、何度か入退院を繰り返し、ここ3、4ヶ月
教会に姿を見せなくなった。
 
 この2月の最初の日曜日に、久しぶりに、彼女が、
一人娘さんに支えられるようにして、教会に来た。
正直、私は、彼女の姿を直視できなかった。
頬が完全にそげおち、身体は針金のようにやせ細り、
そして、なにより、声に、まるで張りがなくなっていた。

 礼拝時も、椅子に腰掛けたままで、
話した内容も、神への忠誠を感謝を説く、
きわめて内省的な説法であった。

 教会に来たメンバーは、皆、彼女が、
最後のお別れをしに来たことを察した。
聖餐式の後に、自然と、彼女の周りを囲み、
彼女のためにお祈りをした。
皆、泣いた。
 
 最後に、彼女のお気に入りの賛美歌、
He Took My Feet From Miry Clayを
演奏するも、涙がキーの上にこぼれて
上手く弾けなかった。

 礼拝後, 彼女に、私の娘の動画を見せ、
元気にやっていることを伝えると、喜んで
うなずいてくれた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 先週の土曜日に彼女の葬式が行われた。
妻は仕事があり、ベビーシッターも見つからず、
私は、さくらを連れて行くことにした。
 
 200人近くが参列したお葬式、
私は、会場になった教会の出口付近に陣取り、さくらが、
落ちつかなくなったら、すぐ、だっこして
出口に非難し、落ちついたら、また椅子に座るというのを
繰り替えした。

 さくらは、大勢の人が集まって、賛美歌等を歌うのを見て、
何かのお祭りなのかと解釈したのか、終始、ご機嫌であった。
『タノシー!』と言っては目を輝かしていた。

 お葬式で『タノシー!』はないだろうと
思ったが、周りに、日本語を解する人は皆無だし、
許してもらえるかと思った。

 しかし、神父さんの追悼のスピーチ中に、
最近覚えた、『Happy Birthday to You!』 を
大きな声で歌い出した時だけは、さすがに不味いと思い、
思わず、さくらの口を押さえつけた。

(ある意味、人の死というものは、新たな生の意味もあるので、
Happy Birthday の歌は、ふさわしいものなかもしれない、と
後から思ったりもした。)

 さくらは、泣きそうになったので、
あわてて、抱き上げ、退出。落ちついた後に
再び席に戻った。

 こんな調子で、式が終わった。
 
 因みに、式で配られた、Haynes 尊師の
プロフィールで知ったのだが、彼女は
享年70で、ほぼ自分の母と同い年であったこと。
尊師と さくらと同じ誕生日であったこと。
 また、彼女は、ジャズミュージシャンと
結婚されていた事などを初めて知った。
 亡くなられた後に、より親しみを覚えるというのは
変な感じなのだが。
 亡くなる前にさくらを会わせておけばという
後悔もある。

 厳粛な葬儀の場に、2歳児を連れて行くのは
かなり至難の体験であったが、天国のHaynes尊師に
許していただければ幸いである。

2014年2月14日金曜日

セッションに行けない理由。

ここ2、3ヶ月くらい、毎週1回、
決まったメンバーと練習セッションをしている。
(サックス、ピアノ、ベース、ドラムの編成。)
場所は、George Washington Bridgeを渡って
すぐのWashington Heightsと呼ばれるエリアに住む
ベーシストのアパート。

今日がそのセッション日だったのだが、
朝起きたら外は大雪で、
私はセッションに行けない事を
皆に携帯メールした。
サックス奏者とドラマーはNY州側の
割とベーシストのアパートに近い所に住んでいる。

すると、
ドラマー(以下D)『じゃぁ、今日はサックストリオでセッションするか?』
サックス奏者(以下S)『オーケイ。』
私『マジ? こんな雪の中行くのか。君たちはなんてマッチョなんだ。』
D『俺は、カナダ人だからさ。』
(注:Dはトロント出身で、Sは米国北部のミネソタ州出身)
S『 トール、クロスカントリースキーはやってないのか?』
D『トナカイは飼ってないのか?』
S『ロケットエンジン付きのボブスレーは持ってないのか?』
私『いや、そういうの全部持ってるんだけど、今さっき
  New Jersey州知事がGeorge Washington Bridgeを
  自分が大統領に選ばれるまで、封鎖したから、NY州まで
  行けないんだ。』
(注:最近、次期共和党大統領候補と噂されるNew Jersey州知事は、
昨年9月のある3日間、政治的意見の異なる、Fort Lee市長に対する嫌がらせで
故意にGeorge Washington Bridgeを閉鎖させて、大渋滞を引き起こした疑惑を
かけられている。)

S『じゃ、カヤックでハドソン川を渡ってこい。』
私『今年の冬の寒波で川は凍っちゃってるよ。』
D『じゃぁ、アイススケートで来い。』
私『あ、それだけは持ってないんだ。』
S 『じゃぁ、Zip Lineだ。これだったら、スノーブーツもいらないで
  ドアツードアで来れる。ワイヤーを取り付けたら、もう片方を
  タクシー運転手に渡してベーシストの家まで来てもらって。』
D『Zip Lineにつかまって、無理だ無理だと言い張る奴らを尻目に、
  天空からキーターをかき鳴らしてくれ!』

 zip line



 キーター



ここで、ベーシストが参入。
ベーシスト(以下B)『今、起きたところだ。なんだこの大量のメールは。』
私『よかった。生きてたのか。
  てっきり、スタバに行く途中で遭難したのかと思っていた。』 
 (注:彼のアパートの目の前にスタバがある。)
B『いやいや、スタバには出前を頼んでるから。』
 (注:そんなサービスはない。)
S『Bが寝てたののはわかってた。どうせ、夢の中でも
 ベースの練習をしてたのだろう。しかしどういうわけか、
  親指を加えていたBの寝姿が目に浮かぶ。』
B『実は、マーカスミラーとポールチェンバースとでベーストリオのセッションを
 してる夢を見てたんだ。』
D『それは、ジャコとパスタスシ(パティテゥッチのもじり)とのトリオの
  間違いではないのか。』
B『いや、もう一人、ジェームスジェマーソンがいた。でもラリってて、
  もうベースは弾けないと言っていった。弦高が高すぎるって。』
(注:実際に彼の弦高は高かったらしい。さらにラリってハイがかけられている。)

私『今、タクシードライバーから電話が来たのだけれど、雪が6階の高さまで
  積もっていて、Bの部屋が見つからず、Zip Lineのワイヤーがつなげないと。』
(注:Bは5階に住んでいる。) 
B『おかしいな、さっき、Hobbitが通れるほどのトンネルを掘っておいたのだが。』
 Hobbit

S『しょうがないな。ワイヤーを投げてくれ、こちらで受け止めるから。』
私『申し訳ない。実は、Zip Lineの組み立て方がよくわからないんだ。
  IKEAのマニュアルはいまいちよくわからないから嫌いだ。』
D『ハドソン川が解けてきた。カヤックで来い。』
私『わかった。。。今、ハドソン川まで来た。しまった。
  オールを持ってこなかった。』
S『キーターを使え。』
B『ハービーハンコックが今、ちょうどハドソン川を渡るらしい。一緒にカヤックで
  渡ってくればいい。』
私『今、チックコリアが現れて、僕のキーターを奪って、
  ハービーと二人で渡って行ってしまった。』

ここでようやく、私は、セッションに行けない事を了承されたのであった。
大雪の日の午前中はこうした携帯メールで時間をやり過ごした次第。

Kitanoの呪い説。

かつて私は、NYのKitano Hotelでかなり頻繁に
演奏させていただいた時期がある。

記憶があやふやだが、
2001年くらいから2008年くらいまでかなと。
自分のリーダーバンドはじめサイドマンとしても
よく演奏させていただいていた。
ところが、2009年以降、新しいブッキング担当者に
変わってから、リーダーバンドでは出演させてもらえなくなった。
サイドマンとしても、演奏機会がこれまで1度しかない。
これはよく覚えているが、2010年3月に
歌のMichelle Walkerのバンドで出演機会があった。
しかし、自分の身内に非常事態が発生して、
キャンセルせざるを得なかった。

それからさらに時間が過ぎ、
2014年2月13日に、再び、Michelle Walkerの
バンドで出演機会が来た。
ところが、大雪のためにキャンセル。
一応延期ということになったのだが、
それにしても、何かに
呪われているのではないだろうかと、
思ってしまう私。

それにしても今年の冬は、
本当に寒いし、雪がよく降るなぁ。。。

(追記)
後日、代わりの日にちをいただいたが、残念ながらその日は、
ツアーが入っていて私はできなかった。
呪い説、現実味を帯びて来た。

2014年2月13日木曜日

Fort Leeのケーキ屋事情。

今住むエリア,New Jersey州 Fort Lee は韓国人系が多く住み、
よって韓国系飲食店もとても多い。

近所に、韓国系のカフェがあり、
そこで売っているスポンジケーキが
実に美味い。
それほどケーキ事情に詳しくないが、ひょっとすると、
人生で一番美味いケーキを提供してくれている店かも
とさえ思っていた。

この店は、スポンジケーキを9個買うと、
1つ無料でスポンジケーキがもらえるという
スタンプカードサービスをしていて、
私は、記録によると、2012年の12月から
せこせことスタンプを集めていて、
昨年暮れにクリスマスケーキを買って、
スタンプが8個になった。
そして、今年の自分の誕生日で、
スタンプ9個に達する予定だった。

 先週末、誕生日の日、早速、この店で
ケーキを買う。なんとなく値上がりしていたのが気になった。
まぁ、いい。
レジでお金とスタンプカードを出す。

すると、店員は、
『この店ではこのサービスはしていません。』
えっ??

店員は、店のカードを出した。
『違う店に変わったんです。』
なに??? 

私の持っていたスタンプカードは、
KORYODANGという名のお店であった。
ところが、店員が出して来たカードには、
CROMEと書かれてあった。

『いつ変わったんです?』
『昨年末に変わりました。』

意表をつかれた。
店の内装は全く以前の店と同じなのである。
店に入ると、ペーストリーが並べられ、
レジがあり、その隣にケーキコーナーがあり、
奥にカフェエリアがある。
働いている人は、ほとんどが韓国人系の方々。

今までマクドナルドだった店が、
突然バーガーキングに変わったようなものである。
今まで、佐村河内守さんの曲だったのに
突然新垣隆さんの曲に変わったようなものである。
このたとえは違うか。

あと一つのスタンプで、無料ケーキの夢を見事に破られ、
寂しい思いで、ケーキを家に持ち帰ったのだが、
食べてみれば、以前の店と変わらず美味しいもので、
ますます、狐に包まれた感じがしたのであった。

 後日、ネットで調べると、
以前の店、KORYODANGは、
マンハッタンやクイーンズにいくつか
店舗があるらしく、そこにスタンプカードを
持ってケーキを買いにいけばいいのかもしれないという
希望を得た。

2014年2月10日月曜日

佐村河内さん騒動に関しての感想。

音楽家というものは、
実体のない音楽に、何か、
価値を見いだしてくださる
奇特な方のご好意にすがって
食い口をつないでいるにすぎない。
音楽業なんて、所詮、虚業。

という前提で、今回の、
佐村河内さんの一連のニュースを見ると、

(因みに、私は、このニュースを聞くまで、この方の存在ならびに
新垣隆さんの事をまるで知りませんでした。)

耳が聞こえないというところを(もしかすると)偽ってる事が、
年齢詐称や、顔の整形等に比べてあくどいかどうかの問題にしか
すぎないような気もするし、
聾唖を偽って障害者年金を受給していたりしたらまぁ、犯罪なのだけれども、
佐村河内さんの音楽を聞いて、別に何十万人が殺されたわけではない。

楽器もさして弾けず、譜面も書けなくても、
新垣隆さんという優秀なスタッフを従えて、
批評家やメディアを巻き込み、
何十万もの人を魅了した佐村河内さんという方に
まさに音楽業という虚業の醍醐味を見せつけられた思いこそあれ、
とりたてて、彼を非難する気持ちは起きない。

楽器がまぁ弾けて(一応、演奏のギャラで、この18年間近く生活してきた。)
譜面もまぁ書ける(一応、ビッグバンドやストリングスのアレンジ等やった事がある。)
のに、何十万人もの人から、自分のCDや本を購入していただいた経験のない
私からすると、むしろ、憧れの気持ちさえ起きてしまう。

2月8日に42歳になった、新垣さんとほぼ同世代の私。
一曲35万で何か曲を書いてほしいと誰かに言われたら、
喜んで引き受けるが、そういう依頼は今のところない。
この18年もの間、そういう依頼を受けて、数々の作品を
書いてこられた、新垣さんの才能に、私は激しく嫉妬する。