2012年8月24日金曜日

日本ツアーでの思い出 番外編

ここ数年、帰国の度に、都内にある大東流佐川道場の稽古を見学させて
いただいている。毎回、師範の木村先生の合気の技や教えに
啓発されている。

木村先生は、今、意識と肉体の関係は、想像以上に
大きな繋がりがあるということに着目されているという。

奢ったり、怒ったり、過去や未来の事を思うと、身体は弱くなるという。
謙虚に、許しの境地で、今現在その瞬間の事を思うと、身体は強くなるという。

私自身も先生の実験台にされたのだが、
「百々さん、今、自分が最高のピアニストだと思ってみて。』
と言われて、その気になってみて、
先生が押してくると、私の身体は軽く飛ばされてしまった。
その後、
『今度は、いやいや、自分はまだまだだ、と思ってみて。』
と言われて、その気になってみて、
先生が押してくると、不思議と、飛ばされなかったのだ。
先生の押す力に変わりはないという。
不思議な体験だった。

 これもここ数年の恒例になっているのだが、
道場の稽古終了後 、ピアノの小さなライヴスペースに移動して、
道場の方々の前でピアノ演奏をした。
即興で、『合気の印象』を演奏したのもこれで
3、4回目か。
(1回目に弾いた、『合気の印象』は、
CD『Do You Like Cappuccino?』 に収録されております。)


今回は、特別に、
同じ曲を、普通に弾くのと、
先生に合気をかけられながらの演奏で、
どういう違いがでるのかを実験した。

さらに、門人の方に、霊媒師の方がいらして、
その方に、私のアイドルであるキースジャレットのエネルギーを
注入してもらって演奏したら、どうなるかというのも試した。
ビデオを撮影していたのだが、撮影者によると、
素バージョン、合気バージョン、キースバージョンそれぞれ
波形が違ったという。
私個人的には、3回目に弾いたものは、こなれてきているので、
より自由に弾けるようになっていたかもしれない、という
感じであったのだが、実際どういうことだったのか、
いまだによくわからない。しかし、ミーハーな私は、
個人的にキースのエネルギーをいただけて
嬉しかったのは確かだ。


胡散臭いと思って読まれている方も多いかとは思いますが、
この道場、まじで凄いのです。
人間の未知なる可能性に痺れます。


佐川道場の方々と。

2012年8月23日木曜日

8/25 Music Bird 12:00-13:00

8月25日(土)12:00−13:00 に、
7月3日に行った、六本木AlfieでのJAfroのライヴの模様が、
デジタルラジオ局、 MUSIC BIRDで放送されます。

http://musicbird.jp/programs/live-works/

http://musicbird.jp/

2012年8月17日金曜日

日本ツアーでの思い出 その5(最終回)

結局のところ、タフで明るくいこう、と思ったというか
思わされたツアーであった。


小林陽一バンドで急遽、代役でベースを担当した金森もとい君。
ツアー中、彼は移動中の運転をかなりな割合で担当した。
(運転率 小林:金森:百々=5 : 4.9 :0.1くらいか。
私の運転率の低さは、私の運転能力にメンバーが恐怖を
覚えたからだったのかは私の知る所ではない。)

彼は不運だった。

とばそうとすれば、小林さんから、
『東北自動車道は、震災の影響でボコボコだから、
車痛めないように、ゆっくりお願いします。』と言われ、
ゆっくりいけば、事情を解せない、Vincent&Ericから、
『モトイ、何故そんなにゆっくり走るんだ。
飛ばせ!!』と煽られ、とばすと、小林さんから、
『駄目駄目!!車が壊れたらツアー終わっちゃうからさ!』
と怒られる。するとまたVincent&Ericから、
『モトイ!!!何してるんだ!!!!ここはハイウェイだ!!!
ふかせ!!!行け!!!!』と煽られ、
再び、とばした時に、パトカーにスピード違反で捕まったことがあった。


 静岡で演奏後、東京に戻った時、
ツアー後半だったせいもあり、疲労困憊の小林さんが早々にダウン。
私は、演奏後、Ericのお酒の御伴をしていたために、はじめから運転不能。
車内乗務員すべて眠りこける中、金森君がハンドルを握る。
眠気と空腹に苛まされながらも新宿のホテルに無事メンバーを移送させた。
時すでに深夜3時近く。(金森君、本当にありがとう。)

荷物が多く積み降ろしに時間がかかっている小林さんを残して、
4人でホテルのチェックイン。

金森『小林陽一で5名予約してますがチェックインお願いします。』
フロント『はい。小林様、失礼ですが4名様でのご予約ですが。』
金森『え??? 5名のはずですが。』
フロント『申し訳ありません、小林様4名様で承っております。』
金森『それじゃ、空いている部屋はありませんか?』
フロント『今晩は満室でございます。』
金森『えーーーー!!!マジすか!!!。
   最悪、俺だけ、家に帰れっていうことですか。』

私は、返す言葉がなかった。

極度に疲労した金森君。
いくら都内に住んでいるからといって、これから
また家まで帰るなんて酷すぎる。
相部屋か。
外人さんに相部屋をお願いするわけにもいかないし、
これは、私が彼と相部屋にするべきなのかなと思った。
いやでも、ビジネスホテルのシングルルームで相部屋は正直いやだなーと
思った。
よって、私は返す言葉がでなかった。

小林さんがフロントに来た。

金森『部屋4部屋しかないんですって。
   しかももう満室で他に部屋がないんですって。』
小林『え!!!!、そんなことはないよ。もう一度調べてもらえます?』
フロント『すみません。小林様は、4名様で承っておりますが。』
小林『おかしいな。あ!!小林4名、あと金森で1名で予約してた!!』
フロント『金森様、、、、はい、ご予約承っております。』

高道君がツアーに参加できなくなったことで、
あらゆる予約事項で様々なキャンセル、予約し直しがあったのだ。

安堵する金森君。(相部屋回避できて安堵した百々。)
私は、思わず、
『金森君、遺書書いちゃ駄目だよ!』
 と不謹慎極まりない発言をしたように記憶している。

金森君も、『書いちゃおうかな。でもその前に飯食いたい。』
とチェックイン早々、深夜の新宿に繰り出していった。

(不謹慎流れで書いてしまうが、
事実は事実なのでしょうがないのだが、
小林さんは、今年になって、歴代の自分のバンドのベーシストを
2人、失っているのだ。
その心中やいかばかりか。
それでも、Show Must Go On、
催し物は続かなければならない、
うまい訳文が思い浮かばないのが情けないが、
そういった精神で、このツアーを乗り切った小林さん。
タフの何ものでもない。
マイケルジャクソンばりのムーンウォークを何度も
打ち上げで披露した、来年還暦を迎える小林さんの事を、
私は、とても尊敬する。)


 翌日がツアー最終日。
千葉県香取市に向かう車内。
金森『最悪ですよ、昨夜、食べた弁当屋さんの飯で
あたっちゃいまして、大変でしたよ。』
百々『遺書書くどころじゃなかったね。』
金森『あっ、小林さん、すいません、次のサービスエリアで
止まってください。お腹痛い。』
小林『またー?』

そういえば、金森君、普段から胃腸が繊細らしく、
トイレ休憩リクエストが、バンド内で一番多かったかもしれない。
この日、因みに、演奏終了後の帰路も
彼は、お腹の調子がすぐれず、トイレ休憩が続いた。
Vincent&Ericは、彼のゆっくりな運転に対し、
皮肉的な意味合いもこめて、
『Safety Driver』
という称号を彼に与えていたが、もうひとつ
『Shit Master』という裏の称号も与えていたことをここに記しておく。


それでも全くめげない、明るい金森君の事が
私は好きになった。
こんな作文を書いてしまってごめんなさいね。
愛してますから。許してくださいね。


そう、そう、何を言いたかったかというと、
タフで明るくいかないとなぁと、思ったというか
思わされたという事を
今回の日本ツアーでの思い出のまとめにしたかったのである。


 大震災後の日本というのがどういう状況になっているのか
よくわからなかったし、幸いにも特に被害を被らなかった
自分の立ち位置も曖昧な感じで7月上旬に帰国した私。
4月の膝の皿骨折から回復過程にある中、
体調不安なままツアー開始した私。


しかし、今回、 小林さんや金森君、Vincent&Ericはじめ、
今回のツアーで共演した人達、出会えたお客様を通じて、
なにかこう、じめっとしてる場合じゃない、
タフに明るくいこう、みたいな気になった。
(そういえば、森山良子さんもめちゃめちゃ明るかった。)
そう思えた事が、今回のツアーの一番の収穫だった気がする。
 7月下旬にはだいぶ膝の関節も柔らかくなってきたし。



時差ぼけで早朝に目覚めてしまい、まもなく生後10ヶ月になる
娘が目覚めるまでの時間を利用して書き続けてきた
日本ツアーでの思い出シリーズ、これにておしまい。

2012年8月15日水曜日

ツアーでの思い出 その4(あともう少し。)

Vincent Herringは、Ericとは対照的に、
酒は一切飲まず、打ち上げもほどほどにのタイプであった。

アメリカの大統領選について意見を求められたり、
人間の臓器を売買することについての
ディベートをふっかけられたり、なかなか、
自分の脳みそを刺激させられる人だった。

ただ、たまにしてくれた、
彼が仕事をして来た大物ミュージシャン達の
エピソードは、 大変、破天荒で、大変面白かったが、
破天荒すぎるばかり、
ここに書く事はできないのが残念である。

アメリカ人はよくジョークを披露するが、
彼もその例に漏れず、たびたび、ジョークを話してくれたが、
その中で、一番自分が理解できて面白かったものをここに書く。


『どもりに悩む男性の話。』

長年、どもりに悩む男性が、ある医者に相談にきた。

「な、な、なんとか、こ、こ、このどもり、
な、な、治らないものでしょうか?」

医者は、この男性の、人より数倍大きい男性性器に注目した。

「おそらくあなたの性器の重さが、
言語能力を司る、脊髄に悪影響を与えている。
性器の移植手術を勧める。」

 長年のどもりから解放される事を思い、男は手術に応じた。
手術は成功。
どもりが見事に治った。
 「先生、ありがとうございました!」

 しかし、数週間後、男はまた医者の所に戻ってきた。

「先生。どもりは治ったのですけれど、
妻が、どうも夜の交渉時に不満を訴えるのです。
やっぱり、もとの自分のあれに戻してもらえませんかね?」

医者は答えた。
「す、す、すまないが、も、も、もう、て、て、手遅れだよ。」

2012年8月14日火曜日

日本ツアーでの思い出 その3(まだ続きそう。)

 毎晩、沢山酒を飲んで、翌朝ジョギングするのを日課にし、
移動中は絶えず馬鹿話に花をさかせる。
日本通でもあり、覚えた日本語で歌詞を作って
いつかヒットさせたい野望を持っている。

クールで神経質、僕が思っていた勝手な印象をことごとく
覆してくれたのが、Eric Alexanderであった。

青森五所川原では、酔った勢いで、演奏後、
彼と金森もとい君とで、チューハイを片手に、
コンビニで買った花火を楽しむ等とは、
ジャズ音楽を志した頃の私には、
とても考えられなかった事態であった。


軽井沢のジャズフェスの演奏後、
新幹線で東京まで戻った。
自由席券であったので、バンドメンバー皆
空いている席にバラバラに座った。
 私は、Ericの座った列の後ろに座った。
疲労で東京まで眠っていきたかったのであるが、
Ericと彼の隣に座っていた若い女性客2人との会話が
耳に入ってきて、どうにも寝れなかった。

まず、車内販売員が来た時に、
『ナニカノミマスカ? I buy.』
と彼女達に飲み物をおごるEric。

(おっ、アクションを起こしたのね。)

『What's your job?』
『We work for ANA. 』

(ステュワーデスさんなのかしら?)

『ワタシハEric Alexanderデス。
アナタノスマフォデGoggleシテクダサイ.』

(よくそういう厚かましいお願いができるなぁ。)

『へー、サックス奏者なんだぁ。CDもたくさん出てるのねぇ。』

(普通は知らないよなぁ。)

『リョーコシッテマスカ?』
『リョーコ?』

3列ほど前に座っている小林陽一さんに大声で、
『Hey Koba! What's Ryoko's family name?』
 『MORIYAMA』
『Right, Look at this photo.』

(能登のジャズフェスの打ち上げで撮った
森山良子さんとの写真を見せてるのかしら?)

 『森山良子さんだ!』
『へー、すごい。』

(ここでようやく食いついてきたみたい。)

『私、直太朗好きなんだ。』
『直太朗いいよね。』

(結局、Ericより直太朗が一番?』

これにもめげず、彼女達が下車する上野駅まで、
Ericはひたすら自己アピールを続けていた。

東京駅到着。
Eric、新幹線改札口出口手前で立ち往生。
 
『Koba。本当に俺に切符くれたっけ。』
ズボンのポケットを探す。
  『俺は、なくすはずはないのだが。』
 カバンを開けて探す。
『おかしいな、どこにもない。』

結局、小林さんが駅員に話をつけて
事なきを得た。

人となりは、まったくイメージだけで
とらえてはいけない、と思う。

2012年8月12日日曜日

日本ツアーでの思い出 その2(その3もありそう。)

小林陽一さんのツアー24本のうち、
3本、お休みをいただいていた。
そのうちの2日間、NY時代からお世話になっている井上智さんと
一緒に演奏する機会をいただいた。

7月16日(月)に井上さんと銀座のNo BirdでDuo演奏したのだが、
その帰りの中央線の四谷駅ホームで、シンバルケースを背負った
ドラムの横山和明君に会った。
彼とは、4、5年前に、井上智さんのツアーで
一緒に旅したこともある。
数日前のJAfroのショーに見に来てくれた
ばかりであったので、今回は、よく彼に会うなと思った。

『あれ、横山君じゃん、仕事帰り?』

彼は、少し浮かない顔をしていた。

『百々さん、実は、、、、、。』

四谷から彼の住む国分寺まで、ずっとベースの高道君の話になった。

この日、彼は、リンヘイテツさんのピアノトリオの仕事で
赤坂Bフラットで演奏だった。ベースが 高道君の予定だった。
ところが、彼が来なかったという。
電話してもつながらない。
リンさんによれば、前日もメールで入り時間を確認していたのに
返信がなかったという。
高道君は仕事に関しての連絡は、数秒後に返信が返ってくる人だった。
横山君によれば、ここ最近の高道君はとみに暗かったという。
奥さんと別居中という話もこの時初めて聞いた。

携帯メールの時代に、2日間連絡がとれないという事態は、
そうそう考えられない。
交通事故だったとしても、なんらかの方法で連絡がつくはずだ。

僕は、この時に、とても嫌な予感がしていた。

 (今回、7月頭に帰国していたのだが、
7月20日から高道君と、小林陽一さんバンドで
東北ツアーの予定だったし、どうせそこで会えるからと思い、
彼に連絡をしていなかったことを悔やむ。)

 家に帰って、彼の携帯電話番号を探したが見つからず、
とりあえずメールを入れてみた。
 翌朝の17日、小林陽一さんに、横山君からの話を伝え、
高道君に連絡してみてくださいと電話をした。

17日は、小林さんのバンドで、森下文化センターで
コンサートだった。
会場入りした時に、小林さんから、
リンさん経由で、高道君の奥さんに連絡がついて、
奥さんが高道君の自宅に様子を見に行くという話を聞いた。

 演奏後に、小林さんから高道君の死を知らされた。
小林さんは、サウンドチェック時に、リンさんから
すでに連絡が入っていたそうだが、敢えて、その時は、
僕に知らせなかったと言われた。

翌日18日に横山君から高道君の葬儀の情報のメールを
いただいた。

2012年8月11日土曜日

日本ツアーでの思い出 その1(その2以降があるのか知れず)

今回の日本ツアーでの思い出。

7月上旬。
自分のライブで配るアンケート用紙をコピーしようと、
実家近くのコンビニへ。
コピー機のコイン投入機に30円が入っていた。
少し、周りを見渡すが、飲み物を探すお客さんが一人いるだけであった。

これも何かのご利益と解釈し、この30円を頂戴し、
さらに500円を投入した。

作業開始1分ほどしたころであろうか。
30代くらいの男性が店に入ってきて、
私の所に来た。

『あの、おつりを30円取り忘れてました。』

(マジ。。。?)

若干、なんともいえない冷や汗を脇の下にかくものの、
『あ、すみません、お返しします。』
 と何食わぬ顔で、財布を開ける私。

ところが、私の財布に細かいお金がなかった。
さらに嫌な汗が脇の下を駆け巡る。

しょうがないので、コピー機を止め、
おつり返却ボタンを押し、そのうちの100円玉を彼に渡す。
すると、彼は、その100円玉をつかむや、
何も言わずに、直ちにコンビニから立ち去ったのだ。

あっけにとられる私。
お礼の一言もないなんて。
30円得したと思ったら70円損したのである。
これも何かの天罰なのかと思い、アンケート用紙のコピーを
再開したのである。

7月下旬。
小林陽一バンドで車で移動前に立ち寄った新宿の自動販売機。
おつり返却口に10円玉が3枚入っていた。
少し、周りを見渡すが、特に、この自動販売機に
視線を注いでいる人は見当たらなかった。
結局、私はこのツアー中、40円、損したのだ。

2012年8月7日火曜日

ツアー終了!!

7月3日から8月5日まで、
計32本の日本ツアーの全日程が終了!!


知らなかった場所にたくさん行けた。
たくさんの人に出会えた。
たくさんピアノを弾いた。
(飲み助のEric Alexanderにつきあってさくさん焼酎を飲んだ。)
ハル君が逝っちゃったのが残念だったけど、
いい思い出がたくさんできた。


皆さんの支えがあって、こういう幸せな体験が
出来た事を心より感謝いたします。


 静岡Life Timeの慶喜公ゆかりの鯉と
 香取Jazz Festivalのスタッフの方々と
香取Jazz Festivalにて









Somi @The Apollo Theater March 19. 2022

 3月19日(土)にSomiのアルバムリリースショーが the Apollo Theaterで行われました。 なにしろ、スペシャルゲストに憧れの ダイアンリーヴスが歌うと前々から知らされていて、 この日の演奏に備えて、とにかくCovidにはかからないようにとか、 ロシアから核爆弾...