結局のところ、タフで明るくいこう、と思ったというか
思わされたツアーであった。
小林陽一バンドで急遽、代役でベースを担当した金森もとい君。
ツアー中、彼は移動中の運転をかなりな割合で担当した。
(運転率 小林:金森:百々=5 : 4.9 :0.1くらいか。
私の運転率の低さは、私の運転能力にメンバーが恐怖を
覚えたからだったのかは私の知る所ではない。)
彼は不運だった。
とばそうとすれば、小林さんから、
『東北自動車道は、震災の影響でボコボコだから、
車痛めないように、ゆっくりお願いします。』と言われ、
ゆっくりいけば、事情を解せない、Vincent&Ericから、
『モトイ、何故そんなにゆっくり走るんだ。
飛ばせ!!』と煽られ、とばすと、小林さんから、
『駄目駄目!!車が壊れたらツアー終わっちゃうからさ!』
と怒られる。するとまたVincent&Ericから、
『モトイ!!!何してるんだ!!!!ここはハイウェイだ!!!
ふかせ!!!行け!!!!』と煽られ、
再び、とばした時に、パトカーにスピード違反で捕まったことがあった。
静岡で演奏後、東京に戻った時、
ツアー後半だったせいもあり、疲労困憊の小林さんが早々にダウン。
私は、演奏後、Ericのお酒の御伴をしていたために、はじめから運転不能。
車内乗務員すべて眠りこける中、金森君がハンドルを握る。
眠気と空腹に苛まされながらも新宿のホテルに無事メンバーを移送させた。
時すでに深夜3時近く。(金森君、本当にありがとう。)
荷物が多く積み降ろしに時間がかかっている小林さんを残して、
4人でホテルのチェックイン。
金森『小林陽一で5名予約してますがチェックインお願いします。』
フロント『はい。小林様、失礼ですが4名様でのご予約ですが。』
金森『え??? 5名のはずですが。』
フロント『申し訳ありません、小林様4名様で承っております。』
金森『それじゃ、空いている部屋はありませんか?』
フロント『今晩は満室でございます。』
金森『えーーーー!!!マジすか!!!。
最悪、俺だけ、家に帰れっていうことですか。』
私は、返す言葉がなかった。
極度に疲労した金森君。
いくら都内に住んでいるからといって、これから
また家まで帰るなんて酷すぎる。
相部屋か。
外人さんに相部屋をお願いするわけにもいかないし、
これは、私が彼と相部屋にするべきなのかなと思った。
いやでも、ビジネスホテルのシングルルームで相部屋は正直いやだなーと
思った。
よって、私は返す言葉がでなかった。
小林さんがフロントに来た。
金森『部屋4部屋しかないんですって。
しかももう満室で他に部屋がないんですって。』
小林『え!!!!、そんなことはないよ。もう一度調べてもらえます?』
フロント『すみません。小林様は、4名様で承っておりますが。』
小林『おかしいな。あ!!小林4名、あと金森で1名で予約してた!!』
フロント『金森様、、、、はい、ご予約承っております。』
高道君がツアーに参加できなくなったことで、
あらゆる予約事項で様々なキャンセル、予約し直しがあったのだ。
安堵する金森君。(相部屋回避できて安堵した百々。)
私は、思わず、
『金森君、遺書書いちゃ駄目だよ!』
と不謹慎極まりない発言をしたように記憶している。
金森君も、『書いちゃおうかな。でもその前に飯食いたい。』
とチェックイン早々、深夜の新宿に繰り出していった。
(不謹慎流れで書いてしまうが、
事実は事実なのでしょうがないのだが、
小林さんは、今年になって、歴代の自分のバンドのベーシストを
2人、失っているのだ。
その心中やいかばかりか。
それでも、Show Must Go On、
催し物は続かなければならない、
うまい訳文が思い浮かばないのが情けないが、
そういった精神で、このツアーを乗り切った小林さん。
タフの何ものでもない。
マイケルジャクソンばりのムーンウォークを何度も
打ち上げで披露した、来年還暦を迎える小林さんの事を、
私は、とても尊敬する。)
翌日がツアー最終日。
千葉県香取市に向かう車内。
金森『最悪ですよ、昨夜、食べた弁当屋さんの飯で
あたっちゃいまして、大変でしたよ。』
百々『遺書書くどころじゃなかったね。』
金森『あっ、小林さん、すいません、次のサービスエリアで
止まってください。お腹痛い。』
小林『またー?』
そういえば、金森君、普段から胃腸が繊細らしく、
トイレ休憩リクエストが、バンド内で一番多かったかもしれない。
この日、因みに、演奏終了後の帰路も
彼は、お腹の調子がすぐれず、トイレ休憩が続いた。
Vincent&Ericは、彼のゆっくりな運転に対し、
皮肉的な意味合いもこめて、
『Safety Driver』
という称号を彼に与えていたが、もうひとつ
『Shit Master』という裏の称号も与えていたことをここに記しておく。
それでも全くめげない、明るい金森君の事が
私は好きになった。
こんな作文を書いてしまってごめんなさいね。
愛してますから。許してくださいね。
そう、そう、何を言いたかったかというと、
タフで明るくいかないとなぁと、思ったというか
思わされたという事を
今回の日本ツアーでの思い出のまとめにしたかったのである。
大震災後の日本というのがどういう状況になっているのか
よくわからなかったし、幸いにも特に被害を被らなかった
自分の立ち位置も曖昧な感じで7月上旬に帰国した私。
4月の膝の皿骨折から回復過程にある中、
体調不安なままツアー開始した私。
しかし、今回、 小林さんや金森君、Vincent&Ericはじめ、
今回のツアーで共演した人達、出会えたお客様を通じて、
なにかこう、じめっとしてる場合じゃない、
タフに明るくいこう、みたいな気になった。
(そういえば、森山良子さんもめちゃめちゃ明るかった。)
そう思えた事が、今回のツアーの一番の収穫だった気がする。
7月下旬にはだいぶ膝の関節も柔らかくなってきたし。
時差ぼけで早朝に目覚めてしまい、まもなく生後10ヶ月になる
娘が目覚めるまでの時間を利用して書き続けてきた
日本ツアーでの思い出シリーズ、これにておしまい。