ホテルに、目覚ましコールを朝7時にお願いして
あったのだが、電話がなったのは、朝6時であった。
止むを得ず、起きて、パッキングをして、
朝食をとり、8時にロビーへ。
車2台に分かれて、空港へ。
高速道路沿いで、私の乗った車のタイヤが
パンク。路肩に止めて、運転手が
スペアタイヤに取り替える。
10時すぎに空港に到着。
空港は大混雑。
しかも停電中で、エアコンが効いていない。
サウナ状態。
(ナイジェリアは国内線は3社あるのだが、
1社は、営業停止処分中。
もう1社はストライキ中。
唯一飛んでいる飛行機会社に人が集中しているのだ。)
11時発の我々の飛行機が最終的に出発したのが、
午後2時30分。
フライト前のアナウンスで、
混雑のため、預け荷物の一部は、
後発の飛行機に預ける事になると言われる。
搭乗後、窓から、フライトケースを載せた
カートが、どこかに移動していた。その中に
自分の荷物を発見し、気分が滅入った。
4時前に到着。
バンドメンバー一人を除き、皆、荷物が
届いていなかった。
予定では、後発の飛行機に積み込まれているはずだった。
しかし、その後発の飛行機にも
我々の荷物は届いていなかった。
航空界社から十分な説明がなかった。
現地の人達は、係員に詰めより、
口論をしていた。
つい、好奇心と暇つぶしに
この模様をビデオ撮影したら、
警備員が近づいてきて
『今録ったのを全て消せ!』
と言い寄られた。
はいはい、と素直に消去した。
予定では、6時から演奏開始であった。
ただ、ナイジェリアでは、6時といっても
実際には8時くらいになるのが通常であるので、
特に焦りはなかったのだが、さすがに、
6時近くになっても、我々の荷物が
届かない事に、不安が増した。
SOMIが、しびれを切らし、
『もう荷物はあきらめて行かないと』
バンドメンバーが、
『次の飛行機の到着を待とう。』
と言い合いになった時、
ついに、我々の荷物が到着した。
6時をまわっていた。
LagosからPort Harcourtは50分のフライト。
なのに、結局我々は、空港で合わせて、
8時間過ごした事になる。
Port Harcourt空港から演奏会場まで、
2台の車に分かれて向かう。
私が乗った車は、小型トラック。
助手席に、マシンガンを持った警官なのか
軍関係者かわからないような人が乗った。
運転手は、飛ばした。
何故それほどまで飛ばさなくてはいけないのか
理解に苦しむのだが、
時速100kmで、車線のない道を
バスをトラックをバイクを自転車を
クラクションをかき鳴らしながら
すりぬけるように飛ばした。
ウガンダでもタクシー運転手が
似たような運転をしたのを思い出した。
私は祈った。
7時過ぎに会場に着き、サウンドチェックを行い、
8時前にホテルに着き、着替え、軽く夕飯を食べて、
結局演奏が始まったのが9時過ぎ。
それでもお客様は温かく聞いて下さったように思う。
演奏後、その会場はダンスパーティーに。
スポンサーの方からシャンペンを振る舞われ、
その方の家に招待され、さらにシャンペンを
振る舞われる。ナイジェリアは、
シャンペン好きが多いらしい。
ホテルに戻ったのが深夜2時くらい。
SOMIから、明日のLagos行きの飛行機が
何時になるかわからない。翌朝7時くらいに連絡する。
と言われる。
ホテルの部屋はダンスミュージックが
爆音のように流れていた。
『Gangnam Style』をナイジェリアで
この時間に聞くとは思わなかった。
ホテルの隣にクラブがあり、
そこからの音がつつぬけ状態なのだ。
しかし、幸いにも私は疲労しきっていた。
耳栓をし、寝れた。よく寝れた。
一日が2週間に感じられた。
飛行機窓から見たPort Harcourt
やはり百々徹・アフリカ滞在記は読み応えがタップリですね。期待を外しません!無事のお戻りをココロより願います。
返信削除基本的に、起きた事を箇条書きしてるだけなんですけどね。。。
返信削除無事、帰還いたしましたです。