今回宿泊したのは、
政府関係者が主に宿泊するような
場所であった。
Wi-Fiがあった。
食事も一日3食支給された。
ACもガンガンに効いていた。
ただし、シャワーに問題があった。
シャワー口からの水量が弱く、
しかもお湯がでなかった。
身体がすぐに冷えた。
満足に洗えなかった。
床にはミミズが這っていた。
今回の旅は、実際のところ、
移動時間が長いだけ(およそ計25時間)で、
宿泊は2泊のみ。
私は決断した。
今回の旅は、
旅に出る前の身体に、
フケとアカと悪臭をためこんで
帰宅した、初めての機会となった。
Wi-Fiがあれば、どんな所でも
心に平安が訪れる私であったが、
もしこのツアーがあと2日延長していたとしたら
たとえWi-Fiがあったとしても
私の心はどれほどに乱れ、
私の身体と髪の毛はどれほどかゆみを覚えたか、
想像に難い。
2013年12月10日火曜日
Bayelsa, Nigeria その2 マシンガン
アメリカ合衆国では、よく
その銃社会について規制すべきかどうかの
喧々諤々の議論になるが、
ナイジェリアのような国だと、
しっかりとマシンガンで守ってもらえないと
身の危険にさらされるようなのだ。
今年の3月のSomi tourの際にも、
Port Harcourt空港から演奏会場に向かう際、
マシンガンを抱えた傭兵が
バンドの移動車の助手席に座った事に
驚きを禁じ得なかったが、
今回もその例に漏れず。
バンド移動車が3台。
その前後にそれぞれ傭兵4人ほどのせた
パトロールカーが走る。
もちろん、それぞれのバンド車の助手席には
傭兵が座った。
道路のコンディションはいいとは言えず、
夜道を2時間も移動しなければならない状況で、
やはり、こうしたマシンガンによる
警護が絶対必要な国が世界にはあるっちゅうことですかねぇ。
その銃社会について規制すべきかどうかの
喧々諤々の議論になるが、
ナイジェリアのような国だと、
しっかりとマシンガンで守ってもらえないと
身の危険にさらされるようなのだ。
今年の3月のSomi tourの際にも、
Port Harcourt空港から演奏会場に向かう際、
マシンガンを抱えた傭兵が
バンドの移動車の助手席に座った事に
驚きを禁じ得なかったが、
今回もその例に漏れず。
バンド移動車が3台。
その前後にそれぞれ傭兵4人ほどのせた
パトロールカーが走る。
もちろん、それぞれのバンド車の助手席には
傭兵が座った。
道路のコンディションはいいとは言えず、
夜道を2時間も移動しなければならない状況で、
やはり、こうしたマシンガンによる
警護が絶対必要な国が世界にはあるっちゅうことですかねぇ。
Bayelsa, Nigeria その1 イエローカード詐欺
12月7日(土)に行われた
Bayelsa Jazz Festivalに
Somiバンドの一員で演奏。
NYからParis経由でPort Harcourtへ。
そこから車でBayelsaという街へ。
なんだかんだ自宅から25時間くらいかけて
到着した事になる。
Port Harcourt空港は
現在立て直し中で、
ほったて小屋みたいな所が入国審査室であった。
預け荷物の受け取り場所には、
ベルトコンベアーはなく、
飛行機からトラックに積み込まれたスーツケースが、
人力で運び込まれてきた。
パスポート審査を終えた後、
カウンター越しに係員から、
『Yellow Card、please!』
と話しかけられた。
国によって、入国の際、
黄熱病のワクチン接種歴を証明する
イエローカードの提示が義務づけられている。
ナイジェリア国は、私、今回で
3度目の訪問なのだが、
いままで、提示を求められたことはなかった。
私は、今回、幸いにも、イエローカードを所持していた。
それを見せ、問題なしとされ、私は、預け荷物受け取り場に向かった。
ところが、今回バンドメンバーのうち、
2人がイエローカードを持って来ていなかった。
彼らは、係員にそれぞれ60ドルを払って
イエローカードを手渡された。
その時、 2日前に前乗りして現地入りしていたSomiが、
空港まで我々を迎えにきた。
すぐさま、今、かくかくしかじかで、
イエローカードをもらったんだ、という話になった。
Somiは、
『私が入国した時には、そんな話はなかった。
だいたい、イエローカード提示義務はないはずだし、
いったい誰に支払ったの?』
『いや、だからあの人に、、、』
と振り返ったカウンターに
人影がなかった。
だいたい、イエローカードというのは、
政府に指定された医療関係者からしか
もらえないのだ。
案の定、もらったイエローカードの
紙質は、自分の持っているものにくらべて
劣悪なものであったし、そもそも、
黄熱病ワクチンを接種していないのに関わらず、
適当な日付が入ったスタンプがおされてある有様。
冷静に考えれば、おかしいことだらけなのに、
あまりに突然、事が進んだばかりに、
あたかも、イエローカードがないと
入国拒否されるかという恐怖感を利用した
立派な詐欺だったらしい。
見事としかいいようがないのだが。
Bayelsa Jazz Festivalに
Somiバンドの一員で演奏。
NYからParis経由でPort Harcourtへ。
そこから車でBayelsaという街へ。
なんだかんだ自宅から25時間くらいかけて
到着した事になる。
Port Harcourt空港は
現在立て直し中で、
ほったて小屋みたいな所が入国審査室であった。
預け荷物の受け取り場所には、
ベルトコンベアーはなく、
飛行機からトラックに積み込まれたスーツケースが、
人力で運び込まれてきた。
パスポート審査を終えた後、
カウンター越しに係員から、
『Yellow Card、please!』
と話しかけられた。
国によって、入国の際、
黄熱病のワクチン接種歴を証明する
イエローカードの提示が義務づけられている。
ナイジェリア国は、私、今回で
3度目の訪問なのだが、
いままで、提示を求められたことはなかった。
私は、今回、幸いにも、イエローカードを所持していた。
それを見せ、問題なしとされ、私は、預け荷物受け取り場に向かった。
ところが、今回バンドメンバーのうち、
2人がイエローカードを持って来ていなかった。
彼らは、係員にそれぞれ60ドルを払って
イエローカードを手渡された。
その時、 2日前に前乗りして現地入りしていたSomiが、
空港まで我々を迎えにきた。
すぐさま、今、かくかくしかじかで、
イエローカードをもらったんだ、という話になった。
Somiは、
『私が入国した時には、そんな話はなかった。
だいたい、イエローカード提示義務はないはずだし、
いったい誰に支払ったの?』
『いや、だからあの人に、、、』
と振り返ったカウンターに
人影がなかった。
だいたい、イエローカードというのは、
政府に指定された医療関係者からしか
もらえないのだ。
案の定、もらったイエローカードの
紙質は、自分の持っているものにくらべて
劣悪なものであったし、そもそも、
黄熱病ワクチンを接種していないのに関わらず、
適当な日付が入ったスタンプがおされてある有様。
冷静に考えれば、おかしいことだらけなのに、
あまりに突然、事が進んだばかりに、
あたかも、イエローカードがないと
入国拒否されるかという恐怖感を利用した
立派な詐欺だったらしい。
見事としかいいようがないのだが。
Bayelsa, Nigeria
2013年12月1日日曜日
Michelle Walker North Carolina Tour
先週、歌のMichelle Walkerのミニツアーで
North Carolina州に行ってきた。
寒さが厳しくなったNYに比べこちらは
だいぶ気候がよろしく
ジャケットなしで過ごせた。
アメリカでいいと思うところは、
大概のホテルにジムが設置されてあること。
4泊したうち3日はジムで汗を流した。
日本のビジネスホテルでジムがある所を知らない。
ただアメリカでどうかと思うのが
ホテルの朝食のレベル。
日本のバイキング方式の食事を知る私としては
アメリカのそれはいささか物足りない。
日本ツアーすると太る私だが、
アメリカの旅は逆に身体が締まる私である。
North Carolina州に行ってきた。
寒さが厳しくなったNYに比べこちらは
だいぶ気候がよろしく
ジャケットなしで過ごせた。
アメリカでいいと思うところは、
大概のホテルにジムが設置されてあること。
4泊したうち3日はジムで汗を流した。
日本のビジネスホテルでジムがある所を知らない。
ただアメリカでどうかと思うのが
ホテルの朝食のレベル。
日本のバイキング方式の食事を知る私としては
アメリカのそれはいささか物足りない。
日本ツアーすると太る私だが、
アメリカの旅は逆に身体が締まる私である。
右からMichelle Walker(Voc), Michael O'Brien(Bass), Willard Dyson(Drums), 私。
昨年夏の小林陽一さんツアーを彷彿させる車旅(片道10時間ドライブ)
宿泊したホテル。来年ゴルフのUSオープンが行われるゴルフリゾートホテル。
2013年11月18日月曜日
2013年11月10日日曜日
ここ最近の事。
・ 先日、SOMIの仕事で、とあるチャリティイベントで
演奏した。200人近くが食事をして、最後にオークションが
行われた。
アメフトのスーパーボウルのチケット2枚がおよそ150万円、
何年ものなのかよくわからなかったが、高給ワインが120万円等々。
ひととおりオークションが終わると、今度は、このチャリティに賛同する方
一口200万円からお願いしますと司会の人が声をかけると、
続々と手をあげる人達。
最終的にこのイベントで2000万円くらいが集まった。
俺はこれだけお金を寄付できるぜ競争みたいになっていて
なにしろその活気がすごかった。まぁ、こうして集められたお金で
助かる命があるわけで。
なかなか自分にお金はよってこないのだが、この日は、
たくさんお金を持っている方達と至近距離で時間を過ごせたわけだ。
・ 先日、ブルックリンにあるShape Shifter Labという所で
韓国のSeung-Heeという歌手のバンドで演奏した。このライヴハウスは
同じ日に2、3バンドが出演するのだが、この日Seung-Heeのバンドの前に
演奏していたのが、Karl Berger's Improviser's Orchestra。
30から40人近くの演奏家がKarlの指揮のもと、即興で
演奏するものだった。
NYに1998年から住んできて、私も、まぁ、それなりに、
他の方のライヴを見れば演奏している人を一人や二人知っていたりするものだが、
このバンドのメンバーを誰一人として知らなかった事に少し驚いた。
それだけ、自分は、いわゆるフリー系の人達と交わる事がなかったということ
なのかと、自分の足跡を確認した次第。
下はチャリティーイベントの写真。
演奏した。200人近くが食事をして、最後にオークションが
行われた。
アメフトのスーパーボウルのチケット2枚がおよそ150万円、
何年ものなのかよくわからなかったが、高給ワインが120万円等々。
ひととおりオークションが終わると、今度は、このチャリティに賛同する方
一口200万円からお願いしますと司会の人が声をかけると、
続々と手をあげる人達。
最終的にこのイベントで2000万円くらいが集まった。
俺はこれだけお金を寄付できるぜ競争みたいになっていて
なにしろその活気がすごかった。まぁ、こうして集められたお金で
助かる命があるわけで。
なかなか自分にお金はよってこないのだが、この日は、
たくさんお金を持っている方達と至近距離で時間を過ごせたわけだ。
・ 先日、ブルックリンにあるShape Shifter Labという所で
韓国のSeung-Heeという歌手のバンドで演奏した。このライヴハウスは
同じ日に2、3バンドが出演するのだが、この日Seung-Heeのバンドの前に
演奏していたのが、Karl Berger's Improviser's Orchestra。
30から40人近くの演奏家がKarlの指揮のもと、即興で
演奏するものだった。
NYに1998年から住んできて、私も、まぁ、それなりに、
他の方のライヴを見れば演奏している人を一人や二人知っていたりするものだが、
このバンドのメンバーを誰一人として知らなかった事に少し驚いた。
それだけ、自分は、いわゆるフリー系の人達と交わる事がなかったということ
なのかと、自分の足跡を確認した次第。
下はチャリティーイベントの写真。
2013年11月1日金曜日
RedSox 優勝!!
今年は優勝するかもと4月から思っていたが
そのとおりにBoston Red Soxが優勝して、
嬉しい。
特に10月は、プレーオフ毎試合後、
redsox.comやkoji-uehara.netを
細かくチェックする日々を送ってしまった。
その昔、スポーツ新聞を読み漁り、
野球談義に花を咲かせるおじさん達を見て、
あまり関心しなかったものだが、
自分もそのような人間になってきているような
気がして少し反省している。
音楽に戻ろう。
さくら先生もおかげさまで2歳になりました。
そのとおりにBoston Red Soxが優勝して、
嬉しい。
特に10月は、プレーオフ毎試合後、
redsox.comやkoji-uehara.netを
細かくチェックする日々を送ってしまった。
その昔、スポーツ新聞を読み漁り、
野球談義に花を咲かせるおじさん達を見て、
あまり関心しなかったものだが、
自分もそのような人間になってきているような
気がして少し反省している。
音楽に戻ろう。
さくら先生もおかげさまで2歳になりました。
2013年10月24日木曜日
Pink の伴奏もしてたDanny Jones
私、この2年ほど、
Sleep No Moreというオフブロードウェイのショーで
Danny Jonesという名前で演奏してるのですが、
ほぼ2年前の演奏風景がYoutubeにあがってました。
ショーを見に来ていたPinkがシットインした貴重な
映像かと思われます。
お楽しみくださいませ。
(Stella Sinclairを名乗るこの黒人シンガーは、
Karen Marieという人です。
彼女はこのショーでメインで歌ってます。)
Sleep No Moreというオフブロードウェイのショーで
Danny Jonesという名前で演奏してるのですが、
ほぼ2年前の演奏風景がYoutubeにあがってました。
ショーを見に来ていたPinkがシットインした貴重な
映像かと思われます。
お楽しみくださいませ。
(Stella Sinclairを名乗るこの黒人シンガーは、
Karen Marieという人です。
彼女はこのショーでメインで歌ってます。)
2013年10月22日火曜日
初裁判体験
先日、私は身の潔白を晴らすべく、
人生で初めてNYの裁判所へ出廷したのである。
弁護士を雇わず自分の力で
無実を訴えた。
証拠を提出した。
私の尊厳をかけた戦いであった。
評決。
無罪。
法廷を出ると、
秋の日差しがやさしく私を包み込んだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
今年の6月、自分の運転する車の
ヘッドライトとブレーキランプが
切れていたことで、 私は、NY警察から
違反チケットをいただいたのだ。
ルールによれば、チケットをもらった時から
24時間以内になおして、その時の
修理工場のレシートを送付すれば
違反取り消しにしてくれるのだ。
そのようにしたのだが、どういうわけか、
NY交通局の公聴会への呼び出しをくらってしまったのだ。
(交通違反チケットをもらった際、
無実だと信じれば、こういう公聴会に出向き
裁判官に判断を伺う事になっている。)
大人しく罰金を払ってしまえば
(140ドルくらいだったと思う。)
時間かけてわざわざこういう場所に出向くこともないのだが、
こういう機会もなかなかないと思い、
出向いた次第。
(もっとも呼び出しをもらった日に出廷しないと
免許取り消しになるらしい。)
こちらは、修理した時のレシートは持っているし、
間違いなく棄却されると思っていた。
とはいえ、初めての公聴会。
勝手もわからず不安であったのは確か。
多くの人がいた。
それぞれ、指定された部屋にふりわけられた。
公聴会は公開で行われているので
他の方のやり取りがまる聞こえだった。
運転中に携帯電話をかけた罪の人がいたり
一時停止を怠った人。
左折禁止のところを左折してしまった人がいた。
皆、訴え通らず有罪とされているのを目撃した。
私は緊張した。
そして私の番がきた。
修理屋でのレシートを提出した。
裁判官は、すぐさま『棄却』としてくれた。
あまりにもあっけない判決であった。
とにもかくにも私は初めての裁判で違反の取り消し、
いわば、勝訴を得たのである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
因みに、私が行ったNY交通局は
ハーレムの125丁目の東側にあった。
最近の125丁目というのは、
多くの大手チェーン店が立ち並ぶ
ショッピングモール化している。
かつてのアフリカ系アメリカ文化一色という雰囲気が
消えていくのかという感じがある。
時に猥雑で犯罪の香りのあった所が
一掃されて行く過程にあるように思う。
公聴会からの帰り、
125丁目を東から西へ向かうバスにのった。
乗客のほとんどはアフリカ系アメリカ人であった。
自分の座った席の前の床には
ケンタッキーフライドチキンの紙容器や
スポーツドリンクの空き瓶が転がり、
背もたれと窓の間の隙間には
新聞紙がはさまっていたりと
なかなか衛生環境はよろしくなかった。
しかし、そういうのが、ハーレムらしいとも
思えた。
さて、NYの地下鉄とバスを乗る時に
メトロカードというプリペイドカードを
使って運賃を支払うのだが、
とあるアフリカ系女性、年は50代くらいか、
バスに乗り込んで私の近くの席に座った。
すると彼女はメトロカードを床に落とした。
周りの乗客が、
『あなた、メトロカードを落としたよ。』
と声をかけた。
彼女は、
『いや、もうメトロカードの残金がなくなったから
捨てたの。ありがとう。』
と応えた。
いやいや、だからバスに捨てていいのかと、
私は思ったのだが、いやいや、
こういうスピリットというものがある限り、
たとえ、街並はディズニーランドのようになってしまったとしても
ハーレムはハーレムであり続けるのかなと思い直した。
人生で初めてNYの裁判所へ出廷したのである。
弁護士を雇わず自分の力で
無実を訴えた。
証拠を提出した。
私の尊厳をかけた戦いであった。
評決。
無罪。
法廷を出ると、
秋の日差しがやさしく私を包み込んだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
今年の6月、自分の運転する車の
ヘッドライトとブレーキランプが
切れていたことで、 私は、NY警察から
違反チケットをいただいたのだ。
ルールによれば、チケットをもらった時から
24時間以内になおして、その時の
修理工場のレシートを送付すれば
違反取り消しにしてくれるのだ。
そのようにしたのだが、どういうわけか、
NY交通局の公聴会への呼び出しをくらってしまったのだ。
(交通違反チケットをもらった際、
無実だと信じれば、こういう公聴会に出向き
裁判官に判断を伺う事になっている。)
大人しく罰金を払ってしまえば
(140ドルくらいだったと思う。)
時間かけてわざわざこういう場所に出向くこともないのだが、
こういう機会もなかなかないと思い、
出向いた次第。
(もっとも呼び出しをもらった日に出廷しないと
免許取り消しになるらしい。)
こちらは、修理した時のレシートは持っているし、
間違いなく棄却されると思っていた。
とはいえ、初めての公聴会。
勝手もわからず不安であったのは確か。
多くの人がいた。
それぞれ、指定された部屋にふりわけられた。
公聴会は公開で行われているので
他の方のやり取りがまる聞こえだった。
運転中に携帯電話をかけた罪の人がいたり
一時停止を怠った人。
左折禁止のところを左折してしまった人がいた。
皆、訴え通らず有罪とされているのを目撃した。
私は緊張した。
そして私の番がきた。
修理屋でのレシートを提出した。
裁判官は、すぐさま『棄却』としてくれた。
あまりにもあっけない判決であった。
とにもかくにも私は初めての裁判で違反の取り消し、
いわば、勝訴を得たのである。
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因みに、私が行ったNY交通局は
ハーレムの125丁目の東側にあった。
最近の125丁目というのは、
多くの大手チェーン店が立ち並ぶ
ショッピングモール化している。
かつてのアフリカ系アメリカ文化一色という雰囲気が
消えていくのかという感じがある。
時に猥雑で犯罪の香りのあった所が
一掃されて行く過程にあるように思う。
公聴会からの帰り、
125丁目を東から西へ向かうバスにのった。
乗客のほとんどはアフリカ系アメリカ人であった。
自分の座った席の前の床には
ケンタッキーフライドチキンの紙容器や
スポーツドリンクの空き瓶が転がり、
背もたれと窓の間の隙間には
新聞紙がはさまっていたりと
なかなか衛生環境はよろしくなかった。
しかし、そういうのが、ハーレムらしいとも
思えた。
さて、NYの地下鉄とバスを乗る時に
メトロカードというプリペイドカードを
使って運賃を支払うのだが、
とあるアフリカ系女性、年は50代くらいか、
バスに乗り込んで私の近くの席に座った。
すると彼女はメトロカードを床に落とした。
周りの乗客が、
『あなた、メトロカードを落としたよ。』
と声をかけた。
彼女は、
『いや、もうメトロカードの残金がなくなったから
捨てたの。ありがとう。』
と応えた。
いやいや、だからバスに捨てていいのかと、
私は思ったのだが、いやいや、
こういうスピリットというものがある限り、
たとえ、街並はディズニーランドのようになってしまったとしても
ハーレムはハーレムであり続けるのかなと思い直した。
2013年10月7日月曜日
Steve Littleさん
先週と今週の土曜日、結婚式の仕事が続いた。
10人編成のビッグバンドで、
主に、1930、40年代ものを演奏した。
このバンドのドラムがSteve Littleさんであった。
顔は見覚えがあった。
日曜日のCleopatra's Needleでジャムセッションホスト業をしていた頃、
僕のトリオの演奏前は、Vocal ジャムセッションが行われていて、
そこで、Steveさんは、たまにハウスバンドで叩いていたのを思い出した。
当時は、話す機会もなかった。
今回、2週続けて演奏することになって、
話をする機会に恵まれた。
聞くに齢79歳だというのである。
見た目おそらく60代後半かまあ、
70前半くらいかと思っていたので、
80歳目前と聞いてまず驚いた。
一人で車を運転して、ドラムを組み立て
達者に演奏するのである。
譜面はしっかり読むし、
お客さんから急にリクエストが入った
”Sing Sing Sing"も、決めばっちりで
演奏された。
物腰柔らかく、偉ぶることなく
誰にも優しい態度。
ドラムの片付けを手伝おうとすると
「そんなに俺を年寄り扱いしないでよ。」
と軽々とバスドラを抱えていかれる。
なんと若々しい身のこなしよ。
今日、ちょっと彼の名前をググってみたら
彼のインタビュー記事が出て来た。
読んでみてたまげてしまった。
http://dothemath.typepad.com/dtm/interview-with-steve-little.html
エリントンの『And His Mother Called Him Bill』で叩いていた方だったのである。
私のジャズレコードコレクションは決して多くないのだが、
このCDは持っていた。クレジットを確認するにSteveさんの名前がしかとあった。
(因みに、昨日の結婚式では、エリントンものを何曲か演奏した。
そうだったのか。。。。)
へーーーー。。。。。
『セサミストリート』のバンドも長年やってらしたのね。。。
へーーー。。。。。。
1940年代くらいからNYのミュージックシーンを
今まで生き抜いて来た方なのである。
恐れ多い方なはずだろうに、まるでそういう感じを
初対面の方に与えないという、
逆に、それが怖い。
昨日の演奏した会場はNYCから車で2時間ほどの
田舎街。Steveさんは、帰り際、
『この辺りはシカが出るから注意してね。』
と忠告していただいた。
案の定、帰り道、街灯がないローカル道で、
少なくとも10匹ほどシカが
道路をもうダッシュで渡るのを見た。
その後、高速道路に入ると、突如の大雨。
大変疲れる帰路であった。
Steveさん、無事に運転して帰れたかしら。
おそらく、問題なくひょうひょうと帰宅されたに
違いない。
10人編成のビッグバンドで、
主に、1930、40年代ものを演奏した。
このバンドのドラムがSteve Littleさんであった。
顔は見覚えがあった。
日曜日のCleopatra's Needleでジャムセッションホスト業をしていた頃、
僕のトリオの演奏前は、Vocal ジャムセッションが行われていて、
そこで、Steveさんは、たまにハウスバンドで叩いていたのを思い出した。
当時は、話す機会もなかった。
今回、2週続けて演奏することになって、
話をする機会に恵まれた。
聞くに齢79歳だというのである。
見た目おそらく60代後半かまあ、
70前半くらいかと思っていたので、
80歳目前と聞いてまず驚いた。
一人で車を運転して、ドラムを組み立て
達者に演奏するのである。
譜面はしっかり読むし、
お客さんから急にリクエストが入った
”Sing Sing Sing"も、決めばっちりで
演奏された。
物腰柔らかく、偉ぶることなく
誰にも優しい態度。
ドラムの片付けを手伝おうとすると
「そんなに俺を年寄り扱いしないでよ。」
と軽々とバスドラを抱えていかれる。
なんと若々しい身のこなしよ。
今日、ちょっと彼の名前をググってみたら
彼のインタビュー記事が出て来た。
読んでみてたまげてしまった。
http://dothemath.typepad.com/dtm/interview-with-steve-little.html
エリントンの『And His Mother Called Him Bill』で叩いていた方だったのである。
私のジャズレコードコレクションは決して多くないのだが、
このCDは持っていた。クレジットを確認するにSteveさんの名前がしかとあった。
(因みに、昨日の結婚式では、エリントンものを何曲か演奏した。
そうだったのか。。。。)
へーーーー。。。。。
『セサミストリート』のバンドも長年やってらしたのね。。。
へーーー。。。。。。
1940年代くらいからNYのミュージックシーンを
今まで生き抜いて来た方なのである。
恐れ多い方なはずだろうに、まるでそういう感じを
初対面の方に与えないという、
逆に、それが怖い。
昨日の演奏した会場はNYCから車で2時間ほどの
田舎街。Steveさんは、帰り際、
『この辺りはシカが出るから注意してね。』
と忠告していただいた。
案の定、帰り道、街灯がないローカル道で、
少なくとも10匹ほどシカが
道路をもうダッシュで渡るのを見た。
その後、高速道路に入ると、突如の大雨。
大変疲れる帰路であった。
Steveさん、無事に運転して帰れたかしら。
おそらく、問題なくひょうひょうと帰宅されたに
違いない。
2013年10月2日水曜日
New York City Opera 破産
自分の過去のブログによれば、それは、遡る事11年前、
2002年10月の事であった。
当時、Cleopatra's Needleでジャムセッションのホスト業を
していた時、たまたまご飯を食べに来られた方がいらした。
演奏の休憩時間に私に話しかけてこられ、
お褒めの言葉を頂き、自己紹介された。
それが、山田敦さんであった。
そのひと月後に、山田さんからご招待をいただき、
New York City Operaによる
Humperdinck の 『 ヘンゼルとグレーテル 』を
観劇した。
指揮をされたのが、この山田敦さんであった。
この日、日本人として初めて、NYCOの
指揮デビューされたのを目撃したのである。
しかもこれが、私の、初めてのオペラ生体験であった。
それ以後、山田さんとの交流が続いた。
数度となくNYCOのショーにご招待いただいた。
山田さんが当時、担当していたJ-Waveの番組に
出演させていただいたこともあった。
NYの日本人会のクリスマス会で、
クリスマスキャロルをオペラ歌手とジャズバンドで演奏する
機会もいただいたりもした。
(初めてゴルフの手ほどきを受けたのも山田さんであった。)
その後山田さんは、NYCOから離れ、
2006年にアジア系のミュージシャンで編成した
The New York Asian Symphony Orchestraを立ち上げ、
国連やリンカーンセンター公演や日本ツアー等
勢力的に活動されていたが、残念ながら
2010年5月に破産申請をするにいたる。
2009年の秋頃から 山田さんとは音信不通になってしまった。
現在、日本にいらっしゃるという話だけは人から聞いているのだが、
どうされているのかは知らない。
今日、NYCOが破産したニュースを知った。
なんでも2009年以降から急激に経営不振に陥っていた
そうである。その記事には、経営陣の手際の悪さを指摘する
内容があった。
ふわっと山田さんとの思い出が頭をよぎったわけで。
私のNY生活に彩りを与えてくださっていた
山田さんとNYCO。
なんというか、ひとつの自分の歴史の
ある章が、完全に終わった感じがしてます。
多分に感傷的になった百々徹でございました。
山田さん、どうかお元気で。
2002年10月の事であった。
当時、Cleopatra's Needleでジャムセッションのホスト業を
していた時、たまたまご飯を食べに来られた方がいらした。
演奏の休憩時間に私に話しかけてこられ、
お褒めの言葉を頂き、自己紹介された。
それが、山田敦さんであった。
そのひと月後に、山田さんからご招待をいただき、
New York City Operaによる
Humperdinck の 『 ヘンゼルとグレーテル 』を
観劇した。
指揮をされたのが、この山田敦さんであった。
この日、日本人として初めて、NYCOの
指揮デビューされたのを目撃したのである。
しかもこれが、私の、初めてのオペラ生体験であった。
それ以後、山田さんとの交流が続いた。
数度となくNYCOのショーにご招待いただいた。
山田さんが当時、担当していたJ-Waveの番組に
出演させていただいたこともあった。
NYの日本人会のクリスマス会で、
クリスマスキャロルをオペラ歌手とジャズバンドで演奏する
機会もいただいたりもした。
(初めてゴルフの手ほどきを受けたのも山田さんであった。)
その後山田さんは、NYCOから離れ、
2006年にアジア系のミュージシャンで編成した
The New York Asian Symphony Orchestraを立ち上げ、
国連やリンカーンセンター公演や日本ツアー等
勢力的に活動されていたが、残念ながら
2010年5月に破産申請をするにいたる。
2009年の秋頃から 山田さんとは音信不通になってしまった。
現在、日本にいらっしゃるという話だけは人から聞いているのだが、
どうされているのかは知らない。
今日、NYCOが破産したニュースを知った。
なんでも2009年以降から急激に経営不振に陥っていた
そうである。その記事には、経営陣の手際の悪さを指摘する
内容があった。
ふわっと山田さんとの思い出が頭をよぎったわけで。
私のNY生活に彩りを与えてくださっていた
山田さんとNYCO。
なんというか、ひとつの自分の歴史の
ある章が、完全に終わった感じがしてます。
多分に感傷的になった百々徹でございました。
山田さん、どうかお元気で。
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