2014年9月29日月曜日

Somi Chicago Tour その2

26日夜。

割と早い時間に就寝した。
ところが夜の12時30分頃に携帯がなった。
見慣れない番号。
眠かったので無視した。
数10分後、再び、電話が鳴った。
先程と同じ番号。
なんだろうと思いつつ、眠かったので無視した。
1時くらいに再び、同じ番号から電話がかかってきた。
さすがに、おかしいと思い、電話をとる。

機械の女性音声で、
『こちらは、。。。航空です。
お客様の予約されていた、Newark空港発の午前11:55分発の
Chicago行きは、キャンセルになりました。
代わりに、午後2:25分発のLaGuardia空港発をおさえました。』
と言って、電話が自動的に切れた。

私は、すっかり目が覚めてしまった。

まず、今のメッセージを確認したい。

カスタマーサービスに電話をしなおした。

ところが、電話が混雑していて、つながるまでに
2時間以上かかると告知テープが。
自分の電話番号を登録すれば、カスタマーサービスが
電話をしてくれるらしく、そのようにした。

なかなか眠れない。

ウトウトしたかと思ったら、電話がなった。
時に、午前3時30分。

人間の女性の声だった。
『。。。航空でございます。どのようなご用件でしょうか』
『あの先程、予約変更の知らせを受けたのですが、
確認してもらえますか。』
『 午後2:25分発のLaGuardia空港発になっております。』
 『チェックインしてもらえますか。』
『チェックインは、ウェブサイトからお願いします。』

ウェブサイトを見るが、どういうわけか、
チェックインするページが開かない。

 再び、カスタマーセンターに電話する。
ところが、つながるまでに2時間待ちだという。
とりあえず、Somiにメールで飛行機の時間変更を知らせ、
寝ることにした。

27日。

 電話が鳴る。朝の7時30分。
Somiからだった。
『メールを見たわ。12時20分発の飛行機に
他のバンドメンバーが乗るの。早く空港に行って、
その飛行機に乗れるか試してもらえないかしら?』

 慌てて、支度をして、LaGuardia空港に向かう。
家からタクシーだと30分くらいで着くが、
$100近くかかる。
バスと地下鉄を使えば、1時間30分くらいかかるが、
$4.5で行ける。

 ジャズミュージシャン、迷わず、バス、地下鉄を選んだ。
まず、George Washington Bridgeを$2払ってバスで渡る。
地下鉄Aラインで、125丁目まで南下。
そこから、LaGuardia空港まで行ける、
M60バスに乗り換える。
地下鉄に乗る時にメトロカードで$2.5払った後に、
バスに乗り換えは、無料だ。
メトロカードをバスの中にある機械に通せば
いいだけだ。

 M60 バスが来て、乗り込む。
メトロカードを出すものの、いつもの機械がない。
他の乗客もメトロカードを出す事なくバスに乗り込んでいる。
ちょっと不思議であった。しかし、私の頭の中は、
Chicago行きの飛行機に乗れるかどうかで頭がいっぱいであった。

 2、3駅後、検査官がバスに乗ってきて、
『レシートを拝見いたします。』と来た。
私は、あっけにとられた。
周りの乗客は、一様にポケットからレシートを提出している。

『君は、持ってないのかね。』
『メトロカードを持ってますが。どういうことですか?』
『とりあえず、荷物を持ってバスを降りて。』

 バスを降ろされた私は、この検査官から
罰金チケットを切られた。なんと罰金額$100である。

 なんでも、最近になって、M60バスに限って
バス停の設置された券売機に、メトロカードを入れて、
レシートをもらってバスに乗るようになったらしい。
そういえば、何か、機械があるのを見ていたのだが、
メトロカードを購入する機械かと思って、特に、
こういうルールになっていたことに思いがいかなかった。

検査官曰く、公聴会があるから、
そこで説明しなさい。そうすれば、罰金払わなくても
良くなるからと言われた。
面倒なことになったものである。
家から$100払ってタクシーに乗ってるのと
変わらなくなるではないか。

Chicago空港の管制塔に火をつけた男に
この罰則チケットを転送したかった。

 だいぶ動転しながら、LaGuardia空港に着く。
午後2時20分発をチェックインした一方で、
12時20分発のスタンバイリストに登録した。
係の人からは『満席状態ですから、おそらく
12時20分発に乗るのは難しいと思われます。』
と言われた。

搭乗ゲートのカウンターのスクリーンに、
私の名前が、スタンバイリストの4番目にあるのを確認した。
乗れるか乗れないか。。。。

ところが、こういうことはわからないもので、
乗れたのである。

というわけで、無事、Liberty Ellman,
Ben Williams, Nate Smithと同じ飛行機で、
Chicago入り。

午後4時頃ホテルに着くやすぐに演奏会場に移動。

サウンドチェック。
本番。
ホテルに戻る。
近くのバーで、この日、Chicagoで演奏していた
NYのミュージシャンが集結していて驚く。
(Sean Jones, JD Allen, Orrin Evans,Etienne Charles
その他、多数の名士が介していた。)
NY以外の土地で、NYのミュージシャンが群れたがるこの
心理はどういうことなのだろう。
翌朝、7時にホテルを出て、9時の飛行機に乗ってNJに戻る。

結局、今回、Chicagoには、1日も滞在していなかったかもしれない。
こんなこともあるのだ。

Chicagoのピザを食べずに帰れるかと思い、
O'Hare空港で朝食で食べたピザ。

 SOMIバンドメンバーと。

Somi Chicago Tour その1

SOMIのChicago でのショーが、9月26日と27日に予定されていた。

Chicagoに行くまでがドラマであった。

何と26日の早朝に、Chicagoの空港職員が、
管制塔に火をつけて、さらに、ナイフで自殺を図る事件が発生。

 その御陰で、この日、Chicagoに出入りする飛行機が
2000機近くキャンセルになった。

 今回、バンドメンバーは、NJ州に住む私だけ
New Jersey州Newark空港から出発。
その他のメンバーは、NYのLaGuardia空港から
出発予定だった。
Somiは、前日にChicago入りをしていた。

私の搭乗予定だった午前10時発のNew Jersey州Newark空港からの飛行機も
バンドメンバーの午前10時25分発のLaGuardia空港からの飛行機も
キャンセルとなった。

(Somiのツアーは、かつて、
出発日に、飛行機キャンセルということもあったし、
離陸予定時間の数時間前まで、どの空港から乗るのが
わからないという状況もあったし、
今回もそういうわけで、 またきたきた、という感じであった。
とはいえ、4、5年(し、か、ご、、、駄洒落を言うつもりはなかった。)
ぶりのChicago行きの日に、こんな事件が
起きるとは、なんという巡り合わせなのだろうか。)

 (因みに、この日初めて知ったのだが、
飛行機だと2時間くらいで着く Chicagoへは、
車だとここから17時間、電車でも12時間かかるらしい。 )

予約変更の手続きカウンターは、長蛇の列。
50分ほど待って、ようやく自分の番が来る。
Somiに電話し、指示を請う。
この日のショーは夜7時から。
最低でも午後4時台の飛行機に乗りたい。

Somi『4時台にでるChicago便を予約して!』
私『あのう、(たどたどしい英語)4時台に出るChicago便に変更願います。』
カウンターの女性『満席ですが、スタンバイリストにお名前を入れましょうか。』
Somi『NYの飛行場から出るChicago便はないのか聞いて!』
私『あのう、NYの飛行場から出る...(たどたどしい英語)......』
Somi『トール、私が直接話させて。』
私『あのう、私の友人と直接話してもらえますか?』と携帯を渡す。
カウンターの女性『お客様の携帯で第3者とは話をしては行けない規則になってます。』
私『だってさ。。。聞こえた、Somi?』
Somi『(いらいらして)しょうがないわね。。 NYの飛行場から出るChicago便はないのか聞いて!』
私『 NYの飛行場から出るChicago便から出るChicago便はありますか?』
カウンターの女性『LaGuardia空港からPhiladelphia経由Chigago便が4時台にありますが、Chicagoに行ける可能性があるかどうか、お答えできません。』
Somi『Indiana便はあるのか聞いて?そこから車で2、3時間でChicagoに行けるの。』
私『Indiana便はありますか?』
カウンターの女性『4時台にはありません。』
等と、やったあげく、Newark空港発の午後4時台に出る
Chicago便のスタンバイリストに懸けてみることにした。


しかし、午後1時くらいになって、この午後4時台の飛行機も
キャンセルとの知らせ。LaGuardia空港組も同様の結果に。
結局、この日、Somi バンドのChicago入りはならず。
私は、Newarkから翌日の午前11時55分発に、
LaGuardia組は、翌日の午後12時20分発に予約し直した。

Somiは、急遽、Chicagoの地元のミュージシャンを呼んで、
ショーを行った。

私は、家に帰って、いつものようにさくらの面倒を見ることになり、
公園で2時間くらい遊ばせた、そんな一日になった。 

2014年9月24日水曜日

Somi West Coast Tour その2


サンフランシスコ便を待っていた
ロスの飛行場で、マトリックスのネオを
演じたキアヌリーヴスを見かけた。
個人的には、かなり興奮したのだが、
ロスの人々は、ハリウッド系の役者に
見慣れているのか、まるで、
何事もないように振る舞っていたのが
印象的であった。
(因みに、最近、激太りを報道されていたようだが、
見たところ、そうでもなく、爽やかな感じであった。)

ネオ



Somiにしても、Libertyにしても、
今、パットメセニーのUnityバンドで
演奏しているBenにしても、
飛行機のマイレージステイタスが、
ゴールド級なので、
特にアメリカ国内便は、エコノミークラスで
チケットを購入しても空席があれば、
大概、ファーストクラスへ自動的に
アップグレードされている。
意外に、Otisはゴールドに達してないようで、
私と彼は、 真っ先に搭乗して、ゆったりとした
椅子にくつろいでいる彼らをうらめしげに眺めながら
エコノミー席に身体を縮み込ませて乗り込む。


因みにOtisは、23日に、Blue Noteから
初のリーダーアルバムが発売されました。


サンフランシスコで、演奏会場近くに
寿司屋があり、2日連続してここで夕食をとり、
夜食には、深夜まであいてるメキシコ料理屋で
ブリトーを食べた。なかなか上手かった。
サンフランシスコは、太平洋に面しているし
魚も、南米からの移民も多いので、
まぁ、そういうことなのだろう。

意外と悪くなかった寿司屋in San Francisico


シアトルは、空港近くのホテルに
一時休憩して、夜に演奏し、
その後すぐ、空港に向かって
Red-Eye(寝付けず目が赤くなる)と言われる、
深夜便に乗って、NYに戻ったので、
実質、シアトルには、8時間弱しか
滞在しなかった。

 車中から撮ったシアトルの街並


翌日、NYに朝の5時30分に到着。
その日の夜に、NYのTimesCenterという所で、
TED WOMANの会合でデュオ演奏。
Technology, Entertainment, Designの
頭文字をとった、このTEDというグループ、
創造的な活動をしている人の集まりなのだが、
実は、Somiも300人いるTED Fellowshipの一人なのだ。

この日、スピーチしたのは、生物学者、宇宙学者、
エンジニア、動物学者で、(今回は、TED WOMANと
タイトルされてある通り、すべて女性)
それぞれ15分づつのプレゼンテーションをした。
めちゃめちゃ頭のいい人がいるものだとポカンとしていたら、
演奏となった。

@TimesCenter, NYC


とりあえずこれで、West Coast Tourは終了。
今週末は、シカゴツアーを控えている。
しばし休息、と思っていたが、
今日は、さくらと3時間もの外遊び。
きつい。

(おまけ)
ツアー初日のBlue Whaleのライヴレビューが
アップされてました。どうぞ。
Jazz Weekly

2014年9月19日金曜日

Somi West Coast Tour その1

SomiのCD『The Lagos Music Salon』発売記念ツアーで、
16日から西海岸に来てます。


今回のツアーメンバーは、Liberty Elleman-guitar,
Ben Williams-bass,Otis Brown-drumsという布陣。



まずLA。初日が、Blue Whaleというジャズクラブ。
2日目が、W Hotelの特設会場。


なんだか、興奮したのは、
初日は、Dee Dee Bridgewater、
2日目は、Billy ChildsにLizz Wrightが
聞きに来ていたことだ。
演奏後、彼らから、暖かいお褒めの言葉をいただき
私、久しぶりに舞い上がりました。
(Somiの人脈が凄いという話なのですが。)

Lizz WrightとSomiとのスリーショットまで
撮れました。
(暗いですが。。。)

 LA、まだまだ真夏の天気。
これからサンフランシスコに向かいます。

ホテルからのLAの眺め





2014年9月15日月曜日

Intrepid- Apple Store

先週は、Intrepidの船上、Apple Storeの店内で演奏する機会があった。

9日(火)。

Intrepidって、今では、船がそのまま、博物館になっているのだが、
太平洋戦争時代、日本軍と戦った空母艦だった事を、この日に、
知った次第。70年後に、日本人ピアニストが、
この船上で、演奏する等、当時の神風特攻隊の方々には
想像もつかなかったことではないかしら、と思いを馳せた。





因みに、とある大きな投資会社がこの博物館を貸し切っての
パーティーでの演奏だったのだが、
歌が、Andromeda Turre、ドラムがOrion Turre、つまりは、
トロンボーンのSteve Turreが父親の姉弟であった。
なにげに、Turre家の方と、共演歴がある、私。

11日(木)。

Somiのプロモライヴが、SOHOのAppleStoreであった。
丁度、会場入りする頃、私のCD『DODO』『116 West 238 St.』
で叩いてくれた、ドラマーのJohn Lamkinから電話が来た。
久しく会っておらず、懐かしさに包まれた。
しかも、このAppleStoreの場所は、それこそ、
『DODO』『116 West 238 St.』を録音した、
増尾好秋さんのスタジオがあった場所に近い所なので、
その偶然というものに、驚きをかくせなかった。
もう本当にびっくりするが、『DODO』は2002年の作品。
 『116 West 238 St.』は2004年の作品。
もう10年以上も前の話なのだ。
年とるなぁ。。。。
Lamkinが、相変わらずの感じで、
『Yo, Man, ルーベンロジャースとリユニオンツアーやろうぜ。』
等と、ふっかけてきてくれて、でも悪い気はしないものだ。

この日のSomiは、ベースが、Ben Williams、ドラムが、
初めての共演となったNate Smithであった。

しょうもない話なのだが、NYに、ドラマーで、
白人のNate Smithと、 黒人のNate Smithがいるのだ。
私は、数年前に、白人のNate Smithのバンドで演奏した事があった。
ブルックリンの今はもうなくなったジャズクラブで演奏した際、
お客さんが、『ところで、Nate Smithは、どこにいるの?』
と聞かれたことがあるのだ。
そのお客さんは、黒人のNate Smithをお目当てで、聞きにきて
くれてたのだ。(黒人のNateは、Dave Hollandのバンドで
叩いているような方。)
その時の、白人のNate Smithの気持ちを思うに、
やるせない感じになったのを覚えている。
それはさておき、私は、Nate Smith,
白人、黒人共に、共演歴をつくったのだ。




この日は、9月11日。
2001年から既に13年もたっている。
時間は確実に過ぎている。

2014年9月6日土曜日

Eric Alexander Quartet featuring Alma Micic at Linda's Jazz Nights

9月3日に、Bronxに住む、Linda Manningさんが企画する
ジャズシリーズ、Linda's Jazz Nights に、Eric Alexander Quartetの
一員として演奏。

演奏会場が、かつて住んでいたBronxのWest 238th Street上にあり、
懐かしさがよみがえる。

Ericもこの日のベーシストPhilも、ボーカルのAlmaも
皆、このエリアの住民で、このコミュニティに、
ジャズ音楽を毎月一回提供しているらしい。
(Almaは、ほぼ同時期にバークリー音楽院にいた。
今や3児の母と聞き、時代の流れを感じた。)

Ericに会ったのは、小林陽一Good Fellows日本ツアー以来
一ヶ月ぶり。挨拶時、思わず笑顔が出る。
(ここだけの話、私の中では、
Ericは、長谷川朗や小川慶太と同じ人間の部類に入っている。
どういう部類か、詳しくは書けないが。)

 演奏は楽しくないはずはないのだが、やはり楽しかった。
 また11月に一緒に演奏できるようだ。楽しみです。

早速演奏の模様がYoutubeにアップされてました。
どうぞ!



2014年8月28日木曜日

休むことなく。

日本からこちらに戻って3週間がすぎて、
ようやく、身体もこちらの時間帯になじんで来た感じ。

Good Fellowsツアー中に読めるかと思って
JFK空港で買った、
Malcolm Gladwellの『Outliers』を
ツアー後、家に戻ってから読み始めて、
ようやく今日読み終わったのだが、
知らなかった情報が満載で
大変刺激を受けた。

この本の中で、稲作民族は、昔から
四六時中働いてきた民族で、
西洋人が長いバケーションをとるという感覚が
もともとない、という話があった。
実際、ヨーロッパの農民は、
田畑を休めなくてはいけなくて、
冬は、 クマのように、冬眠して
乗り切っていたという
話には驚いた。

それはともかく、26日連続で日本ツアーした後も
こちらに戻ってからも、
特に休みをとることもなく
仕事している私は、
やはり稲作民族の子孫として、
しょうがない性なのかと思ってしまった。

まぁ、仕事があるうちが幸せなこの商売柄、
休みがとりづらいのが本当のところかもしれませんが。

(唯一、休んでいるのは、僕の肝臓かもしれません。
ふと、思い返すと、日本ツアー中、26日間で
お酒を飲まなかった日というのが
なかった気がしてます。
どこまで続けられるかわかりませんが、
禁酒をはじめて10日が過ぎました。)


9月は、 Eric Alexander の仕事や、
Somiのレコ発ツアーが入っていて、
四六時中働けそうで、幸せです。

(おまけ)
SomiのWNYC(NYのFMラジオ局)出演時の
模様が、このサイトにアップされてます。
日本から戻ってきた翌日の収録です。
お楽しみくださいませ。
http://soundcheck.wnyc.org/story/somi-in-studio/

2014年8月17日日曜日

Good Fellows USA & JAPAN Tour の思い出 Motoi&Koba編


もとい君。

彼は、話がうまい。
理論的に話ができる。
頭のよさが、伝わる。
大学時代は(大学院時代か?)、原子力も学んでいたという。
福島の事故が起きて、どうしても、
原子力発電に対して、嫌悪感が募る世論が
強いと思うが、彼は、その事に理解を示しつつも、
今ある日本という国を持続させるには、
原子力の力を借りざるえない実情を説く。

そんな彼が、スイングしなくちゃ意味がない的な
ジャンルの音楽のベースを演奏するのだ。
科学者が物の理を突き詰めていったあげくに、
神を信じるしかないみたいな、感じではないだろうか。
2年前に初めて、出会い演奏したが、
2年たって、演奏面でも英語力でも運転力でも
進化しているのがわかった。
次に演奏できるのは、いつになるか
今のところわからないが、
その時が、楽しみだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

小林さん。

今年61歳のお方だ。

26日間で26本演奏したこのツアーの、演奏はもとより、
企画から、ブッキングから、アメリカ人ミュージシャンの
ビザの手配から、車の運転から、ドラムの組み立て片付けから、
何から何まで自分で手配される。
演奏後のボーリング大会でも全力でプレイされるし。
関東近県のショーの後は、私を東京郊外の実家まで
車で送ってくださった。
なんという体力なのか。

さらに、この方、偉ぶることがない。
今年、61歳ということだが、
若いメンバーと実にフラットな関係を築く。
こういう特質は、日本では珍しいタイプではないだろうか。
 だいたい こういう写真をとって、喜んでいる61歳も
なかなかいないのではないか。


 『こういうことをやってられるのも、あと5年くらいと思ってるんだ。』
等と語っておられたが、全然、信用性がない。
これからますます、盛んな感じでいかれると思わざるをえない方です。


高齢化社会を迎える日本国だが、こういう方がいる事を知ると、
何も心配はないような気持ちにさせられるのですが、
いやいや、小林さん、本当にありがとうございました!!


同じメンバーで、2年前に、21本のツアーに参加した時に、
一生分、彼らと演奏した気になったのですが、
2年後に、さらに回数が増えて26日連続で、
日本を旅するとは、想像してなかったので、
いざ、旅を終えてみて、なんというか、
人生2回生きた気がしてます。

 2014年Good Fellows USA&JAPAN ツアー思い出編、
これにて終わります。 

ツアー応援していただいた方々に、心より感謝いたします。


(那須烏山市石の蔵での演奏のビデオを発見!)

2014年8月13日水曜日

Good Fellows USA & JAPAN Tour の思い出  涙編


Vincentは、ぶっちゃけ、気難しいタイプの人だ。
妥協を許さない、妙に頑固のところがあるし、
超博学で、政治論議を愛し、
相手を論破する事に長けている。
移動中は、外の景色を見る事なく、
常にラップトップで映画を見まくり、
演奏時間以外は、ホテルに籠りっぱなしだ。
Ericに聞けば、これは、ヨーロッパツアーでも
アメリカ国内のツアーでも同じという。
若い頃からツアー漬けで、もはや、
旅自体の興味を失ってしまったのだろうか。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
都内近郊のライヴには、欠かさず来られた、
元アルファレコードの方がいた。
彼は、その昔、VincentやEricのレコード制作に
携わっていたそうで、彼らにとっては、
顔なじみの方なのである。

8月2日、東京公演最終日。

彼は、会場の控え室で、Vincentに、プレゼントを渡した。
Vincentが吹くアルトサックスとほぼ同年代の
アンティークの腕時計と、説明していた。

私は、たまたまその場に居合わせたのだが、
Vincentは、その時計を手にして、うっと泣いたのである。
私は、何か、いけないものを見てしまったかのように思った。
『すまん。ちょっと感傷的になってしまって。』
と弁解していたが、Vincentの知らなかった一面を
覗いた気がしたものだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
Ericは、超お調子者だ。
彼がいることで、26日という長いツアーも
毎日明るく乗りこなせたような気がする。

酒好き、マラソン好き、ボーリング好き、
カーペンターズ好き、日本人好き。
時間に若干ルーズ。
ホテルのキーや切符類をすぐなくす。
辛いラーメンばかり食べて、必ず腹をこわして、
『もう俺に絶対ラーメンを食べさせないでくれ!』
と日本人組に毎日頼みこむ。 誰も、食べろと言ってないし。。

明るくかつ憎めない破天荒な方である。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
8月3日ツアー最終日。

Vincentは早々に部屋に戻った後、
成田空港近くのホテルのバーで、最後のバンド打ち上げ。
彼らは、翌日から韓国に1週間ほどのツアー。
Ericは、さらにその後にフランスで演奏予定が続いていた。
因みに、8月4日は、Ericの誕生日であった。
金森もとい君が、気を利かして、バーテンの人に、
こっそり、12時になったら、Happy Birthday Songを
BGMでかけてくれるようにお願いしていた。

12時になり、スティービーワンダーの”Happy Birthday "が
流れた。

Ericが、スピーチを始めた。
多少ぼやきが入っていた。
『今日は、 誕生日だというのに、妻からも子供からも
誕生日おめでとうの電話もない。』
『俺の父親は、割と厳格なタイプで、あまり、ハグをしたもらった事がない。』
『でも俺は、自分の子供達には、しっかりハグをして、お前らの事を
愛しているっていうことをわからせてあげるんだ。』
『Dodoも、家に戻ったら、娘にしっかりとハグしてやれ。』
『俺は、旅ばかりして、家をあける事が多いし、本当に寂しくなることが
あるんだ。』
『家族が、一番大切なものなんだ。』
あげくに泣きはじめたのだ。

僕が、
『毎日元気で、ロボットかと思ってたけど、
Eric Alexanderにも人間ぽいところがあったんだね。』
とからかうと、
『この事は、公言しないでくれ。』
と釘をさされた。
が、ごめんなさい、書きました。

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Ericに、今回、ツアー中に、
Vincentが泣いたのを見た事を話すと、
『Vincentは、ほんとは、涙もろい人で、
昨年, NYでライヴで共演した時、
彼の息子が、就職した話をMCでしだして、
あげくに、お客さんの前で、泣き出して、
俺もたまらず泣いたよ。』
とのこと。

私も、今回、何度かSkypeで、
NJ宅に残した妻と娘と交信したのだが、
交信始めの楽しさと、交信終わりの寂しさを
味わった。

世界各地で演奏している彼らの、家族愛の重さは
いかばかりか、思い知らされた日本ツアーであった。
 

2014年8月12日火曜日

Good Fellows USA & JAPAN Tour の思い出  体重編

特に、日本ツアー後は、太る。
基本的に総合的に日本のご飯が上手い。
食べ放題のバイキング形式のホテルの朝食の食べ過ぎ。
演奏後の打ち上げの遅い時間の食事と酒。
長時間の車移動。
痩せる要素がないのだ。

2年前は、膝の皿骨折リハビリ間もない頃で、
運動どころではなかったこともあり、
2kg太った。

今年は、ツアー中、なるべく走ろうと心に決めていた。
どうせ、時差ボケで、早く起きる。
その時間に走って汗をながして、体重維持を図ろうと思っていた。

帰国翌日、早速、実家の周りをほど5km走った。
気分がよかった。
静岡で走った。芦屋で走った。博多で走った。
好調だった。

ところが、走る事に関して、さらに上を行く、
Eric Alexander(フルマラソンで3時間を切れるらしい。)が、
この事を嗅ぎ付け、一緒に走ろう、ということになった。
彼は、長年の日本ツアー暦の功で、
各地各地で、 彼独自のマラソンコースがあるのだ。

松山の日。
『ここをまっすぐいくと、小さい山があってそこに
どでかいブッダがあるんだ。そこを登って松山市内を見渡して、戻ってこよう。』

Eric Alexanderと一緒に走る、なんて事に
多少、高揚していた面は否めない。
調子にのって、ついて走ったのだが、
自分が今まで走った事のない距離を走った上に
山上りが加わり、息はたえだえ、足がこわばる感じになった。
どでかい仏像を見たには見たが、下山後、やむを得ず、
タクシーを拾って、ホテルまで戻った。
(Ericは、ひょうひょうとホテルまで走って戻った。)
12Kmは走ったのだ。

ただ、この日を境に、私の耐久レベルが飛躍的に向上した感じがする。

出雲、那須は、ひとりで軽めに走ったのだが、その後、
Ericと田沢湖で、今回のエピックとなる20Km田沢湖周回ランをしたのである。
信じられない程に、翌日筋肉痛もなかったのだ。

一日おいて、盛岡で早朝にひとりで走った後、
移動した福島で、阿武隈川沿いを10Km程,
Ericと走ったのが私のツアー中最後のランとなってしまった。
 無理がたたったとしかいいようがない。
右膝の関節が痛みだし、
ツアー最後の1週間は、走るのを控えた。

(ツアー最後の1週間は、何故か、ボーリングブームが、
バンド内で起こり、毎晩、演奏後に、各地のボーリング場に赴き、
ボーリングセッションをした。
ボールを投げる時に踏ん張る左足の裏のつけね辺りが、つったり、
痛めた右膝の関節がうずいたり、歩くのも困難という日もあった。)

走ると、腹が減るのである。
早朝に走り、ホテルの食べ放題の朝食を食べる。
食べる量も増えていったのである。
ツアー最後の1週間は、走らずに食べるものは食べたのだ。
さらに、ツアー大詰めという盛り上がり感がでて、酒量も増えたのだ。
加齢による新陳代謝の悪化も否めない。

ツアー後、体重が2Kg増えていたことに、
失望の念を隠せないのである。
ツアーの思い出。重いで。。。失礼。

(膝の関節痛は、もう消えて、NJに戻ってから
走りはじめてますが。)


おまけ:田沢湖Soundsgoodにて、Carpentersに出会うのビデオ

2014年8月11日月曜日

Good Fellows USA & JAPAN Tour の思い出  曲目編


26日で26本のライヴをした
小林陽一さんのGood Fellows USA & JAPAN 日本ツアー。
(小林陽一Drums, 金森もといbass, 百々徹piano,
Vincent Herring-Alto Sax, Eric Alexander-ten sax)
思い出を少々。

<曲目>


今回のツアーの演奏プログラムの中心は、
昨年、亡くなったCedar Waltonと
今年亡くなった、Horace Silver の曲集だった。
Vincent Herringは、Cedarのバンドに20年近く在籍していたし、
Vincentや、Eric Alexanderも Horaceのバンドで演奏歴がある。
追悼ライヴの色合いが濃かった演目であった。

Cedarの曲というのは、見事なもので、
『Simple Pleasure』という、今回初めて覚えた曲等は、
テーマを演奏し終わった時に、各地で毎回といっていいほど、
拍手が来るのだ。こういう事は、
大概、ソロ後に、拍手が来るJazzという音楽形態では
実に珍しい現象のように思われ、 Cedarの作曲の才に
いまさらながら感服する。

秋田Cat Walkにてピアノソロ中の私。

今回のツアー中、何度か、ピアノソロコーナーを
いただく日があった。こういう機会もあまりないので、
できる限り楽しませていただいた。
あまり、人前でソロで弾けるレパートリーは多くないのだが、
The Nearness of You, Body & Soul,
Nightingale Sings in Berkeley Square等を
弾いたのだが、 かつて平麻実子さんとのCD『and it begins』で、
弾いていたものを、さらに発展させた形の
”All Of Me”は、我ながら、ヒット作になったのではないかと
密かに思っている。ということをことに書いているから
密かではないのだが。


ツアーの中盤あたりに、Ericが、高速道路の
サービスエリアでCarpentersのベスト盤CDを
たまたま購入したのだが、これに彼がはまり、
移動中、何度となく、このCDを、大音量で聞くことになった。
(何故、アメリカ人は、音楽を大音量で聞きたがるのだろう?)

大概、車から大音量で流れてくる音楽というのは、
えげつない歌詞の過剰な低音ビートが効いたHipHopもの
だったりするものだが、
Toyotaのファミリーワゴンカー、小林陽一号からは、
奇麗な声、美しいメロディー、平和な歌詞満載のCarpentersが
ガンガンに流れていたのである。

『Karenは、Ellaよりもいいシンガーだ。』
とまで言い切ったEricは、
”We've  only just begun” (邦題:愛のプレリュード)
を演奏したいと言い出し、
ツアー後半から、バンドのレパートリーになった。
(つられて、私もCarpentersの日本公演のYoutube映像を
旅先でこっそり見たのだが、『Sing』を日本の少年少女合唱団と
日本語詩で歌ってたりして、なんとも素敵であった。)

 というわけで、今年1月にライヴ録音した
『Live at Smoke』CD発売記念ツアーと銘打ちながらも
CDに収録されてある曲は、ほとんど
演奏しなかったツアーだったのである。

英語発音矯正アップデイト 4項目

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