2011年9月13日火曜日

祈り

私がこの2年ほど、毎週日曜に演奏させていただいている教会は、
建物の老朽化が進んでいて、セレモニー中にたまに壁の一部が
崩落することがあったりして、本当にひやひやするのだが、
しかし修繕するにも、新規参加者の減少や、常連の信者の高齢化が進み、
かなり厳しい財政状況でどうにもならないらしい。


そもそも、自分の宗教は何かと問われると
もしかすると何も信じていないとも言えるし、
その気になれば何でも信じれるという感じもあるし、
なにしろいい加減なものなのだが、
そんな私を、参加者のほとんどが黒人というこのキリスト系の教会は、
ピアニスト/オルガニストして雇ってくださっているのだ。


私の仕事は、演奏である。
プログラムに指定されたミサをつつがなく演奏して
皆さんが気持ちよく歌ってくださればいいことになっている。
セレモニー中、皆で手をつないで輪になって一人か二人が、
お祈りするコーナーがあるのだが、そういう時も、
私は、輪には加わらず、静かにBGMを演奏すればいいことになっていた。
とりたてて私の個人的信仰を試されることがないところが、
私にしてみれば有り難く思っている所であった。


ところが、先日のセレモニーで、
天候が悪かったせいか、いつもより参加者が著しく少なかった。
皆で手をつないで輪になるコーナーもあまりに輪が小さく
寂しく思ったのか神父が、『Mr. Dodoも輪に加わって。』と誘ってきた。
私は断るにもいかず、輪に加わり、目をつむってみた。
神父は、『今日は、この教会の復興を皆一人一人お祈りしましょう。』と言った。
繋いだ私の両手はとたんに緊張で発汗した。


一応、私の英語は、日本で中学、高校、大学での英語の授業、
さらにはNHKの『ラジオ英会話』、ボストン留学、そしてNYでの音楽活動、
ハリウッド映画やSaturday Night Live等を
通じて培ってきたものである。
しかし、この時初めて、私はこれまで、
『お祈りの英会話』のレッスンを全く受けて来なかった事を悟ったのである。


まず、どう祈ればいいのか。。。。。
そしてどういう構文を用いて祈ればいいのだろうか。
いやぁ、本当に、何を言えばいいのやら、
神様、お助け下さい、という気持ちであった。


次々とお祈りが進む。
本当に感心するのだが、皆、即興で実に見事なお祈りをする。
ついに左隣の人がお祈りを終えた。


しばしの沈黙。


右隣の人と目が合ってしまった。
『何か言いなさい。』と言うかのように目配せしてきた。


人生初のお祈り。



『Dear God,

You know the situation we face. we don’t know what to do. We release our need and our anxieties to you right now and ask that you give us your peace that surpasses understanding, and the wisdom how to resolve our circumstances. Enable us to patiently await your timing for the resolution of the problem and what we need to be doing on our own in the meantime. In the name of Jesus, I pray. Amen.』


みたいな事は決して言っていない事は神に誓って確かである。

自分のお祈り後、何事もなかったごとく右隣の人がお祈りを始めた。
セレモニー終了後も、特に、周りの人の態度が特に変化したということもなかった。
しかし、どうにもこのままではいけない気がして、家に帰って、
祈りの例文なるものをグーグルしてみたりしたのだが。

2 件のコメント:

  1. かつてのWKCRでのインタビューのように、ほとんど鼻息で何言ってるかわからなかったかもしれませんね(あの時のテープ、どこかにあるはず)

    そういうぼくも、
    「スシタローへようこそ、サックスは長谷川朗です」
    と英語で言うだけでガッチガッチに緊張したのを思い出しました。

    返信削除
  2. そのテープを持っている人、
    世界中でろうさんぐらいだと思われますが。

    返信削除