2010年12月27日月曜日

Fort Leeの時計修理屋さん 

4年程使っている腕時計の電池が切れて、
入れ替えをしようかと思ったが、蓋が堅くて開かない。
どこか近くの時計修理屋さんに行こうと、ネットで検索。
車で3分の所に時計修理屋を発見。


電話して、予約をするものかどうかわからず、
とりあえず行ってみようと、時計修理屋のウェブサイトにあった
住所に行き着くと、そこは大きなアパートビルディング。
ロビーにいた警備員に、時計修理屋はどこかと尋ねると、
『そこだよ。』と指をさされた。
指先には、小柄な齢70代の白人男性が玄関付近にいた。


『あのぅ、腕時計の電池を取り替えてもらえますか?』
すると彼は、ちょっとかすれた小声で、
『今から病院に行ってくるんだ。3時間後に来てもらえるかい。』
と言う。



3時間後、再び訪れる。
ロビーにいた警備員に時計屋の部屋を教えてもらう。
そこに向かう長い廊下で、時計屋のご主人とすれ違った。



『あのぅ、3時間前に腕時計の電池取り替えをお願いしにきたものですけど。』
『あぁ、そうだったね。ちょっと買い出しに行ってこなくちゃいけないから
ちょっと待っててもらえる?』
彼の足取りはどこかおぼつかない。
10分ほどして、スーパーマーケットの袋を片手に戻ってきたご主人。
『来なさい。』
と彼の後に着いて行く。


1階の廊下を歩いていくと出てきた、
****Repar Shopの看板。
アパ−トの一室で商売をしているらしい。


ポケットから部屋の鍵を取り出すご主人。
この時、ご主人の右手が細かく震えているのを見てしまった。
ドアを開けると、さらにもうひとつ扉があり、
また違う鍵で開けるご主人の右手の震えは、
一段とひどくなっているように見えた。


自分の腕時計を渡す。
ご主人は、机の引き出しから工具と拡大鏡ゴーグルを取り出した。
『まぁ、そこに座って待っててくれ。』

部屋は、八畳程の広さで、
工具や、昔ながらの置き時計が、
机の上、棚の上に、所狭しと並べられていた。
変な感じだが、時計屋なのに、
ここの部屋の時間は止まってしまっているかのように思えてしまった。
昭和30年代40年代にタイムスリップしたような印象を受けてしまった。



ゴーグルをすっぽりかぶったご主人の作業は、
右手の震えのせいであろうが、非常に遅い。
10分くらい経って、ようやく腕時計の蓋を開けた頃、
誰かが部屋をノックする。
ご主人は応対するのでもなく、そのままにしていた。
すると、鍵を開けたままであったのだろう、
おそらく齢80代か、もしかしたら90代といった白人女性が、
杖をついて入ってきた。


『ちょっとドミトリー!あんたに修理をお願いしてたこの腕時計、
毎日5分づつ遅れるわよ。$50も払ったのに、なんでちゃんと
直してくれなかったの!!』


ドミトリーという名前だったご主人、どこか対応が鈍い。
『うーん、あーそうかい? じゃぁ、見ておくから、
連絡するよ。』
『え?聞こえない?何て行ったの?』
『。。。。。。。』
『何? ドミトリー、あんたいつもオフィスにいないじゃない。
電話しても出ないし。』
『連絡するよ。今、忙しいんだ。』
『え? 聞こえないよ。ちょっとあなた、彼、何て言ったの?』


と女性の矛先が僕に向けられた。
『連絡すると言ってますよ。』
『え?何?』
彼女の耳元に向かって、
『連絡すると言ってますよ!!!』
『ああそう。でもあんた私の連絡先知らないでしょう?
私の連絡先、知ってるの?』


ドミトリーは棚から新しい電池を取り出していた。
彼女の質問に対して無視をしている。


たまりかね、
『ここの紙に電話番号を書いていったらどうでしょう!!!!!?』
と言ってみたら、
『そうね。あのね、私、ここのアパートの住人なのよ。
今日、ベランダでドミトリーが買い物から帰って来たところを見たのよ。
だからこうして来たの。』

『じゃぁ、まぁとりあえず、ここに連絡先を書いておきましょうよ!!!!!!』

『そうね。私ね、ドミトリーの事は昔から知ってるの。
でもね、昔のドミトリーはこんなんじゃなかったのよ。
お互い年をとったわ。あなた、どのくらいここにいるの?
私の時計は彼に$50も払ったのに、毎日5分づつ遅れるのよ。』


電話番号を書いて、立ち去る彼女。


そういえば自分は、ここの部屋にもう20分はいる。
ドミトリーは無言で、蓋を閉じる作業に入っていた。

突然、
『あっ!』
と叫ぶドミトリー。


何か、小さいネジが作業台から床に落ちたようだった。
かがみ込んで懐中電灯を照らしながら床を探るドミトリー。


自分はドミトリーを右手が震えていたのを見た時から、
もしかして間違った選択をしたかもしれないと思っていた。
この時計を買った、NYCのMacy'sの時計修理人の所に行けば
よかったかもしれないと思っていた。


落としたネジが、自分の時計の部品の一部なのか何か、
ドミトリーは何も言わず、床を探す。
そのまま、ただ見ているわけにもいかず、一緒に床を探す自分。
もし、自分の時計の部品をなくしてしまったら、彼は
どう責任をとるのだろう。


結局ネジは見つからなかった。
ドミトリーはそれに関し、何も言わない。
また蓋を閉じる作業を始めた所をみると、
自分の腕時計の部品ではなかったらしい。
それならそれでいいのだが、
彼は何も喋らないので、不安になってしまう。



この部屋に来て30分が過ぎた。
なかなか蓋がはまらない。
震えた手で、全体重をかけながらはめようとするドミトリーの姿が
痛々しいやら、涙が出そうやらであった。
手でははめられないと見たか、
小型プレス器に腕時計を置き、
うーん、うーんとうなりながら蓋をはめようとするドミトリー。
文字盤のガラスに傷がつくのではないか、さらには、
時計が潰されてしまうのではないかと不安になったが、
もう諦めの心境で見守るしかない。


ようやくカチっと蓋がはまる音がした。
この部屋に来てから40分が過ぎていた。

『お待たせ。いい時計だね。』

返された腕時計の針は動き始めていた。
文字盤のガラスに傷もついていなかった。


値段の事が気になった。
さっきの女性が$50払ったという話をしていたので、
けっこう高値を言われるのかと警戒した。

『$5。』


拍子抜けした。
電池交換作業の適正価格というものを知らないが、
安すぎるのではと思ってしまった。


お金を払って、そのまま退室するのもと思い、
少し会話を試みた。

『どのくらいここでこの商売をしているのですか?』
『30年以上になるよ。』
『30年!』
『時代は変わったよ。もう今の人は、時計が壊れたら修理しないで、
すぐ新しいのを買っちゃうし。このアパートのレントも上がってきて、
もう困ったものだよ。』
『そうですか。。。あ、そういえば、あの女性そこに連絡先を残してますよ。』
『知ってるよ。彼女は昔からの知り合いでさ。
ここ最近、毎日のように来ては、ガーガーわめいてくるし。
なんだかうるさくていちいち対応してられないんだ。
昔はあんなんじゃなかったんだよ。
お互い年をとっちゃったね。』


もう返す言葉もなく、
『ありがとう、メリークリスマス。』
と退室した。


帰りの運転中、
今度、電池が切れた時、自分は、また
ドミトリーに交換をお願いしに行くだろうかと思った。
なにより、彼は、電池の切れる数年後、
まだあの部屋で商売をしているのだろうか。
確かめに行きたいような気もするし、
確かめたくないような気もするのだ。

2010年12月22日水曜日

2011年の2月と3月の行動予定速報!!

<長谷川朗(Sax) Duo>

2/12(土)銀座:季立
2/13( 日)名古屋:Star Eyes

<TOKU Birthday Tour with JAfro

2/15(火) 京都祇園:JTN
2/16(水) 大阪:Mr.Kelly’s
2/17(木) 福山:Tree Café Unplugged
2/18(金) 広島:Speak Low
2/19(土) 下関:Billie
2/20(日) 津山:ソシミエール津山4Fロイヤルの間

百々徹JAfro Tour>
百々徹(piano)、中村恭士(bass)、小川慶太(Percussion)

2/21(月)神戸:甲陽音楽院クリニック
2/22(火) 福岡:New Combo
2/23(水) 佐世保:いーぜる 
2/25(金) 久留米:Roulette
2/26(土) 別府:Base-1
3/2(水) 浜松:Hermit Dolphin
3/3(木) 豊田:keyboard
3/4(金) 岐阜:After Dark
3/5(土) 京都精華町:Naadam
3/8(火) 吉祥寺:Sometime
3/9(水) 御茶ノ水:NARU
3/10(木) 新潟:Jazz Flash
3/12(土)名古屋:甲陽音楽院クリニック
3/12(土) 名古屋:Jazz inn Lovely
3/13(日) 新宿:PIT INN

<Teriver Cheung
(guitar)Tour
Teriver Cheung(guitar), 大村亘(drums),但野友香(bass)

3/15(火)柏:Nardis
3/16(水)桐生:Village
3/17(木)吉祥寺:Sometime
3/18(金)吉祥寺:Strings

12月24日現在の予定状況です。
追加変更ありますのでご了承ください。

2010年12月17日金曜日

ダカールツアー その7

Baaba Maal Live

滞在が急に延長されたために、若干、心配していた事が起きてしまった。

JFK空港に戻る前日に、ビデオ撮影担当のMichaelと
ドラムのSteveと自分の飛行機チケットが予約されていなかったのだ。
フェスティバル主催者に問い合わせにオフィスに行った。

イヴェント参加者の多さに対して、スタッフの数が
少なすぎる印象。今回、SOMIバンドでギターを弾いた
Herveyも、彼自身のバンドでも参加しているのだが、
彼のバンドメンバーの航空チケットも発券されていなかったらしく、
共にオフィスでぼやいた。

フランス領グアドゥループ出身のSteveが交渉し、
i-phoneを使って、関係者にメールして救援を頼むMichael。
フランス語もできず、21世紀のテクノロジーを持っていない私は、
なんとなく気まずい気がして、じゃ、ちょっと、差し入れでも
買ってきます、とサンドウィッチを買ってきたりして、
日本人ができるうるせめてもの貢献をしてみた。

(因みに、SOMIはこの日の昼前にルワンダに里帰り。)

待つ事、4時間。
ようやく航空券を確保してもらう。
疲労困憊で、もう寝るという、SteveとMichael。
しかし私は、滞在最終日を、オフィスで水汲みと買い出しだけで、
終わっていいものかと、航空券が予約されていて、
この日一人お土産ショッピングに行っていたベースのKeithと一緒に
夜に予定されていた、セネガル歌手のBaaba Maalを
聞きに行った。

ダンサー2人含めて、11人編成。
今回、Baaba Maalを聞いたのは、
滞在中3度目。
オープニングセレモニーで2曲程、大統領邸で1曲、
そして今晩のライヴ。
ユッスーほどの透明感はないのだが、
ものすごい重量感のある声質。
オープニングセレモニーの時、ほとんどの歌手が口パクだったのだが、
Baaba Maalは特に、口パクがばればれのパフォーマンスをしていて、
何だかなぁと思っていたのも事実。
しかし、この日は、熱唱。
バラード系の曲では鳥肌がたって涙がこみ上げてくる程であった。
ダンスも上手く、会場は大盛り上がりだった。
4人ほど、シンガーがシットインしたのだが、
これがまた皆、素晴らしかった。
セネガル人の中にも歌が上手くない人というのが果たして
いるのだろうか。疑問だ。


ホテルに戻り、バーで紅茶をもらうことにした。
(夏以来、どういうわけかコーヒーがあまり飲めなくなってしまい、
最近はもっぱら紅茶派なのだ。)
ここに来て発見したNuit Calmeという紅茶が気にいって
またそれを注文して、出てくるのを待つ間、
バーカウンターに座っていた地元の若い男性に話しかけられた。
英語がかなり達者である。


今回、積極的な街の売り子に、足までつかまれたりして
見知らぬセネガル人に対して、全くいい印象を持っていなかったので、
また、何か売りつけられるのかと緊張したのだが、
『今日、Baaba Maalのコンサート見たかい?』
『よかったよ。』
『よかっただろう。最高だよ、Baaba Maalは。』
セネガル歌手といえばユッスーンドゥールくらいしか
知らないのだが、
『ユッスーも好きなんだけど、彼のコンサートを聞けずに
明日NYに帰らないと行けないんだ。残念だ。』と言ってみた。
すると、
『ユッスーは駄目だ。Baabaが一番だ。』
と言う。
『オープニングセレモニーで、ユッスーの歌った曲知っているかい?
このフェスティバルは、アフリカのルネッサンスがテーマなのに、
テーマとあまり関係のない愛の歌を歌った。
Baabaは、アフリカを讃える歌を謳った。彼はリアルだ。
ユッスーは、リアルじゃない。』
自分の推測だが、ユッスーは垢抜けしているが、
このBaabaはどこか、北島三郎を思い出させる土着感があるように思う。
そのあたりで、セネガル人の間で好き嫌いが分かれるのかなと思った。
『英語が上手いけど、何をしているの?』
『ツアーガイドをしているんだ。今度ダカールにくる事があったら
電話してくれ。』としっかり営業活動も忘れない。


今回、セネガルの音楽事情をもっと知りたくなったのは確かだ。
セネガルはやばい、と思った。
滞在中、色々不愉快な事もあったが、
セネガルの音楽が、すべてを帳消しにしてくれた感じがする。

2010年12月15日水曜日

ダカールツアー その6


セネガル大統領邸

この日、多くのアフリカ国の首脳が
ダカールに集まって、『The World Festival of Black Arts』の成功と
アフリカのルネサンスを謳うセレモニーがあった。


2010年は、アフリカ独立の年と呼ばれている
1960年から50年周年にあたる。
50年というのは、白人が黒人を
虐殺し、奴隷にし、植民地にしてきた時間に比べると
ほんのわずかな時間だ。
日本人として産まれてきた自分は、
こういう世界の事情に幸か不幸か非常に疎かったように思う。
SOMIと知り合って6年になるが、アフリカ諸国に連れて行ってもらい、
こういう世界の現実に自分の眼を向けさせてくれた事にとても感謝している。

ガダフィ大佐もいた!!(右下)

今回のフェスティバルで、Black Artsを謳歌する空気を浴びるたびに、
日本人として自分はどうしたものか、考えさせられるのも事実だ。
正直、今回、セネガルのローカルバンドを聞く機会があったのだが、
聞くたびに、妬ましくなる。彼らは、彼らの音楽を行っているのだ。
白人に虐げられた過去があるのに関わらず、彼らの音楽があるのだ。


日本は、邦楽というものにあまり目を向けず、
ヨーロッパ音楽を学び、アメリカポップ音楽を学び、
ラテン音楽を学んで、そこそこヨーロッパ人もアメリカ人も南米人も喜ぶほど
上手く演奏ができるようにはなるのだが、所詮、物真似大会で優勝するような
ものなのではないか。奴隷にされるほどには虐げられていない日本なのに、
何故、物真似芸に走るのであろうか。



(自分も幼少の頃にピアノを選んでしまったところで、
邦楽にあまり触れてこなかった事を今となって悔いている部分もある。)


ただ、自分は物真似芸人のコロッケが好きだ。
普通、物真似は、物真似しているオリジナルを知らないと、
似ているか似ていないかわからないので面白くないものだ。
しかし、コロッケの場合、
物真似する時の彼の視点が面白く、表現の方法が独創的なために、
おそらく、見る人は、オリジナルを知っていようが知らないようが、
コロッケを見て笑う。
コロッケ的でいけるかどうかが、日本の音楽家の道なのだろうか。

(自分も、チャーリーパーカーやジョンコルトレーンの言葉を物真似してきたのだが、
これまで、New Yorkでもなんとか生き延びてこれているのは、もしかすると、
自分はコロッケ的だからだろうか。)


演奏前のSOMIバンド。

こんな事をダラダラと考えてしまったのは、
セネガル大統領邸で、演奏する予定だったのに、
しかもフランス語圏の国々でテレビで生中継されていたのに、
会場にピアノやキーボードが用意されていなくて、
SOMIバンドの演奏を観客として聞いていたために、
ちょっと、というか、だいぶ寂しかったからだと思う。



美しすぎるセネガル人達と。

2010年12月14日火曜日

ダカールツアー その5

Goree Island


ダカール滞在最終日、船で15分のGoree島に観光にいく。

Maison des esclaves(奴隷の館)

この島は、奴隷貿易の拠点のひとつだったという。
今回のSOMIバンドの黒人メンバーにとってはどういう思いだったのか。
白人メンバーはどういう思いだったのか。
この白人黒人の暗い歴史には関与していないと思われる
日本人の私は、ニュートラルでいられて、心理的には救われた思いだ。

ここから船でアメリカやヨーロッパに奴隷が”輸出”されていたという扉。

黒人にとってGoreeは、
ユダヤ人にとってのアウシュビッツのような感じかもしれないが、
とはいえ、この島はかなり観光地化されてはいて、
おみやげを売る方達が多数徘徊していた。
そして彼らは一様によく言えば積極的、
悪く言えば、ずうずうしい。


帰りの船を待つ間、バンドメンバーとカフェでゆっくりしていたら
売り子がどさくさにテーブルにつき、
世間話を始めたかと思うと、
じゃあこのネックレスいるか、この絵欲しいかと
色々かばんからとりだしてテーブルに広げ始める。
英語も達者なこの売り子に、
『お前は日本人か。日本人は買ってくれないから苦手だ。』
と言われたが、
『多分、積極的すぎて、怖くて引いちゃうからだよ。
違うアプローチを考えるべきだ。』
と助言してあげた。
船が来て、勘定の時間になると、そそくさ売り子は立ち去った。
レシートを見ると、頼んでいないスプライトがチャージされている。
確かめると、さっきの売り子が飲んでいたものだった。
結局彼の飲み物代をカバーしてやらないといけなくなっていた。
これって単純に”たかり”という行為なのではないだろうか。


ホテルに戻り、滞在最後の夕食をとりにタクシーで街へ出る。
地元の方に勧められたレストランに行くも、
魚も米も品切れと言われ、最後の食事に寂しい思いをするのもなんだからと
店を変えることにした。
このレストランは、昨晩食べたレストランからさほど離れていなかったので、
じゃあ、そこまで歩こうということになった。
少し暗い通りに入った。
また売り子が近づいてきた。


私は、話かけられて応対するとずっと付いてきてしまうので、
ひたすら無視した。
数人振り切った後、T−シャツを持った男が近づいてきた。
まっすぐ早足で振り切ろうとしていたら、
この男、突然、私の右太ももあたりを両手でつかみ、
ユサユサと揺らすのだ。
歩く足をとめざるを得ず、数秒程、この状況を把握しようと思った。
後ろからタクシーが来ている。
ひょっとして押し出されて車に敷かれるのではないかと思った。
恐怖感が襲ってきた。
すると今回、ツアーに同行してビデオ撮影を担当しているMichaelが
『何やってんだお前。離れろ。』
とこの売り子を押し払ってくれた。
この後、先に歩いていたドラムのSteveも違う売り子に
足をつかまれて、ユサユサされていた。
『何やってんだ。お前も。』
とMichael、再び救出してくれた。
明るい通りに出て、レストランを見つけて避難できた。
(Michaelに感謝。)

まったくもってダカールの売り子には興醒めしてしまう。
あの売り子達がすぐ手を離して立ち去ってくれたのでよかったものの、
殺傷沙汰にでもなったらどうしてくれるか。
ダカール滞在の最終日にケチがついた感じで、
しぶしぶとご飯を食べていたら、
今回のフェスティバルの主催者がSOMIに話しかけにきた。
なんと、明日、セネガル大統領宅で歌ってくれないかという
依頼だった。


どうやら今食べている、ヤッサフィッシュ(セネガル料理)が
滞在最後の食事ではなくなったようだ。

Goree Islandで観光中だった、やはり今回のフェスティバルに参加している、
Living Colourのドラマー、Will Calhoneと。

2010年12月13日月曜日

ダカールツアー その4



演奏の日。

演奏会場は、はじめ車で5時間離れた街だと言われていたが、
この日、車で5分の場所であることが判明。

サウンドチェックの時間に行くも、ピアノがまだ
会場に届けらておらず、サウンドチェックなし。

出演4組のうち最初に演奏すると言われていたが、
どういうわけか急遽2番目に演奏順が変更。

コンサート開始予定時間9時を1時間ほど遅れて開始。

しかも待っている間、鳥にフンをかけられるわ。。


しかしながら、始まってみると、
ピアノも無事到着したし、
サウンドチェックしてないのに関わらず、
始まってみると、いい音響であったし、
お客様もとてもいい反応してくれたし、
結果はしっかりと出すのがアフリカ流なのかもしれない。


演奏後、セネガル出身のギターのHerve(久しぶりに共演。)に連れられ、
『Just 4 U』というクラブに行き、ライヴを聞く。
ここで演奏していたバンド(名前はHerveに後で聞かないといけない。。。)
が実に素晴らしかった。
ギター兼ボーカル(男性)、コラ、キーボード、ベース、ドラム、パーカッション
という編成。
セネガル歌手独特の歌唱(乱暴な言い方をすると、
皆、ユッスーンドゥールみたいな声質。)に、
なにしろ、すごいリズム隊のグルーヴ。
けっこう複雑なキメとかあるのに、
お客さんが知っていてそのキメに反応して踊りまくっているのもまた凄かった。
セネガル、ヤバイかもしれない。
このバンドが聞けただけでも、今回のツアーは成功だったのではないだろうか。

2010年12月12日日曜日

ダカールツアー その3



午後に、観光がてら市内の市場に行く。


タクシーから降りた途端に、
現地の行商人数人に囲まれる。
どこから来たのか?セネガルはどうだい?という
一通りの挨拶がすんだと思ったら、
ちょっとこの絵を見てくれない、
安くしとくよ、、
ちょっとこのコラ弾いてみない?
安くしとくよ、、
ちょっとこの店に来てみない?
安くしとくよ、、
と来た。


ひとたび返事をしたばっかりに、
道中、ずっと付いてくるのだ。
彼らも必死に値下げしてくるし、
あげくには、とにかく金くれよ!みたいな態度になって
半分おどかし気味になってくるし、
そうなるとこちらも、防衛本能が働くし、
腹が立ってきて、購買意欲を失ってしまった。
これほどしつこくなければ、買ったかもしれないのに。
というか、何も買えなかったじゃないか。
何かおみやげを買いたかったのに。。。
セネガルのセールスマン、
もう少し戦略を練り直した方がいいのではないか。


明日はいよいよ演奏の日なのだが、
どこで演奏するのか、何時に演奏するのか、
そもそも本当に演奏するのか
なにもわかっていない、という事だけを
ここに記しておきたいと思う。
アフリカまるだし状態だ。
とりあえず今晩はゆっくり休んでおこう。


下、ホテルのロビーにて。

2010年12月11日土曜日

ダカールツアー その2



3万人は収容できるかと思われるスタジアムで行われた、
『World Festival of Black Arts and Cultures』
の開幕式に参加。



セネガル大統領や、ワイクリフジーンがスピーチを行い、
(何故、ワイクリフが?という疑問があったが。)
ユッスーンドゥール(写真)、アンジェリクキッジョー等
アフリカを代表する歌手達が歌った。
花火があがった。


 
詳しい情報を何も知らされないで、
(ホテルさえもきちんと予約されてなくて)
来ていた私は、
SOMIが参加するこのイベントは、
セネガル国を挙げての一代イベントだったのをこの時認識したのであった。

2010年12月10日金曜日

ダカールツアー その1




アフリカに行くのに、大概ヨーロッパで中継して行く事が多く、
移動時間が2日近くかかる事が多いのだが、
ダカールへは、NYからの直行便があるため、
ほんの8時間ほどで到着。
アフリカってこんなに近かったのかと思った。


(今回もビジネスクラスで行けるかと期待していたのだが、
アメリカ国外旅行は無料で席のアップグレードはできないことが
判明。渋々、エコノミークラスに座る。一度、ビジネスクラスの
恩恵を受けると、エコノミークラスが以前にもまして
辛くなるものだ。。。
ということは、日本行きもエコノミーかぁ。。。)



朝6時に到着するも、ホテルが手違いで予約されておらず、
慌てて手配するも、どこも満室状態。
車であちこちたらい回しされて、少しダカール市内からはずれた
小さなホテルで仮眠。夜8時近くになって
市内のホテルに空きが出て、移動。
途中、タクシーがガス欠を起こしたり
もうなんだか波瀾万丈なダカール初日であった。
結局、アフリカに行くには、ほぼ2日かかるのかもしれない。


写真は宿泊できたホテルのロビーにて。

2010年12月6日月曜日

セネガルツアー前の心境。

SOMIバンドの今年最後のツアーとなる
セネガル行きが近づいてきた。
首都ダカールで開かれる、20日間にわたって開かれる、
Black World Festivalなるイベントに
出演するらしい。
ユッスー•ンドゥールやサリフ•ケイタ、
日本からはオルケスタデラルス等も出演するとのこと。


セネガルはフランス語圏。
かつてフランス語を勉強しようとしたこともあるのだが、
そう簡単に身につくものでもない。
きっと近い将来、高性能でハンディな自動翻訳機が出来るのだろうし、
(ネット上だと、すでにテキストに関しては、
かなりな程度、翻訳機能が発達してきているように思う。)
外国語を学ぶということ自体には、
もうさほど意味がなくなるのではないかと思う。


それよりも、母国語で、しっかりと面白い事が言える能力を
高めた方が、重要だろうと思う次第。
今回は、自動翻訳機が出来るよりも、
自分が生まれてくるのが早すぎたと思って諦めて
寡黙にセネガルに向かうわけで。。。
(何カ国語も操れる人は、でも尊敬します。)

2010年12月1日水曜日

象さんのポット

休日、うっかりユーチューブを辿っていったら
子供の頃、とても好きだったコンビの映像がアップされていて
驚き、懐かしく、かつ感動してしまった。




もう30年近く前のネタなのに
2010年の今になって見ても、
とても新鮮で面白いと思うのだが。


その後、色々ネット検索していき、左側の方(現在、「時生今日人」の
名前で活動しているらしい。)のインタビューを見たが、
当時、漫才やらコント等はなにもチェックしておらず
漫画やSF小説ばかり読んでいたと語っていた。


漫才の伝統とか舞台の基本とか関係ないスタンスで
よくもまぁ、こういうオリジナリティのある
漫才のようでもあり、うだつのあがらない青年の立ち話のようでもあり、
よくわからないが、でもめちゃめちゃ面白いものやれていたものだなぁと
今さらながら感心してしまった。


ここから無理矢理自分の領域に話を持っていくが、
僕も、アメリカに来てJazz云々をやっていることになっているが、
なんだかひたすら、スイングがどうのだとかアドリブがどうだとか、
アフロアメリカンの音楽を学ぼうみたいな事をしてきた感じがするが、
2、3年前から、そもそも何故、アドリブをしないといけないのかが
よくわからなくなってきたし、スイングしなくちゃ意味がないなんて
そういうもんでもないでしょうという気分だ。


象さんのポットのように、
伝統とかそういうものにとらわれずに、
全く斬新な音楽ができないものかと
思案する。



今の自分としては、
20年、30年後になって、
誰かがユーチューブで、
これなんだかいい音楽じゃん、面白いじゃん、
と言ってもらえるような音楽を
創っていく事が素敵に思えているのだ。

2010年11月25日木曜日

SOMI @ Wichita Jazz Festival


SOMIバンドでカンザス州のWichita Jazz Festivalで演奏。
(写真、打ち上げ時のSteve Belvilus, SOMI & 百々徹。
今回、予算の都合だと想像するが、ピアノとドラムだけの編成だった。
左手をいつもより使ったので、右脳が刺激されたのか、
演奏中ハイになれて楽しかった。)


書きたかったのは、帰りの飛行機の話。


今年はSOMIさんに、本当に、色々な所に連れていってもらったのだが、
徹底して同じ飛行機会社を利用した御陰で、
自分の飛行機のマイルがけっこう溜まった。
そしてついに、今後、席が空いている時に限って、
ビジネスクラスに無料で席替えできる恩恵に預かれる身分になったのだ。


そしてその恩恵を初めて、今回、Wichitaからの帰り道に味わう事ができたのだ。
Wichita-Atlanta-NYという航路だったのだが、
幸いにも空席があった御陰で、席替えができたのだ。


Wichita-Atlanta間は、小型飛行機だったので、ビジネスクラスといっても
少しだけ大きな席に変わったという感じだったのだが、
Atlanta-NY間は、中型より少し大きい、ジャンボより少し小さいサイズの飛行機で、
そこのビジネスクラスの席のゴージャス感といったら!!!


(5年ほど前に一度だけニジェールーパリ間のAir Franceで
エコノミークラスが満席状態で、偶然にも
ビジネスクラスに変えてもらった事があるのだが、
その時よりも数倍、今回のこのアメリカの航空会社の
ビジネスクラスの環境は素晴らしかったように思う。)


足を伸ばしてもまだ荷物が置けるだけある広大なスペース。
椅子にはマッサージ機能がついているわ。
その椅子が完全に仰向けになって寝れる程リクライニングするわ。
椅子に着くや否や、
『飲み物はいかがですか?』と聞かれるわ。
WiFi環境になっているわ。
映画のセレクションが多いわ。
エコノミークラスは、クッキーやピーナッツしか支給されてない中、
新鮮なチキンサンドイッチにフルーツが出てくるわ。
飲まなかったけれど、お酒も出てくるわ。


思わず、自分が座っている所の写真を撮りたくなったのだが、
自分の周りの席に、おそらく自分と同じほど感動している人達が多かったようで、
老若男女、キャッキャッ言いながらピースして写真を取り合っているのを見てしまい、
なんだか、急に、鞄からカメラを探す手が止まり、
ビジネスクラスには普段から乗っているかのように
振る舞おうとする自分がいた。
しかし、食事が運ばれてきた時に、
横からテーブルを引っ張り出すやり方がわからず
もたもたしてしまい、やむを得ずステュワーデスの手助けを借りる始末。
あっさりとビジネスクラス慣れしていないのが露呈してしまったのだが、
こういう所で格好をつけようとする自分の行動様式が
いまいちよくわからない。
家に帰ってきて、やっぱり写真を撮っておけばよかったかなと
後悔している自分も情けない。


Atlanta-NYは1時間45分くらいの飛行時間だったのだが、
着陸後、『もう着いてしまったのか?もっと遠回りしてくれても
よかったのに。』と思ったフライト体験が今まであったであろうか。
来年の2月、もしかすると、
日本にも、こうして帰れるのかもしれないと思うと、
それだけで興奮してきた。


今まで檻に入れられた家畜のような扱いをひたすら耐え忍ぶだけだった
『飛行機移動』のコンセプトが、この日を持って変わったのだ。
ピアノのスケ−ル練習をたくさんすれば、ビジネスクラスに乗れるように
なるということなのか!!


(いい事があると必ず悪い事も起きるというのが自分の人生観なのだが、
ビジネスクラスで絶頂の快感を得たまま、墜落するのではないかという不安が
搭乗中、絶えず頭の片隅にあったことも付け加えておきたい。)

2010年11月22日月曜日

鎖国宣言。

江戸時代200年以上もの間、鎖国してたのが
黒船が来て、国内争乱、開国して、
色々と海外の国々とやりとりをしたものの、
原爆を2発も落とされて
ボロボロにされてしまった日本国。


その後、経済復興をしたのだが、
これも、原爆を落とした国の庇護のもとに、
外国からの武力的な圧力もなく、
ある種、鎖国状態だったから
お金持ちになれたのではないだろうか。


しかし、ここ最近になって、
国際化だなんだと言われ、
あげくに、中国から黒船がやってきて、
ネットのニュースを読む限り
再び、国内争乱している感じがする。


今、政府の方々は、
中国、ロシア、北朝鮮、アメリカと色々やりとりを
してるみたいだが、すればするほど、
自分たちの首を絞めていく方向にいってしまう印象がある。
歴史は繰り返すじゃないが、
色々がんばっても結局は、どこの国からかわからないが、
またまた核爆弾を落とされてしまうのではないだろうか。



鎖国してる時は、色々と産業文化が繁栄するが、
いざ開国すると、どうにも上手くいかなくなるのが
日本国なのではないか。


ここはもう、覚悟を決めて、
外国人と関わるのはやめて、
再び鎖国すればいいのではないだろうか。


資源がない、食料自給率が低いとか、
外国との貿易なしにはやっていけないというが、
水は豊富にあるし、お米からエネルギーを
作れるという話も聞くし、
少子化高齢化で人口はどんどん少なくなるのだから、
国民の食いぶちくらいはなんとか賄えると思う。


「外国人とつきあうのは、疲れるんですよね。
なんかこう、酒の席でも、外国人がいるだけで、
心から盛り上がれない、というんですかね。
なにしろ外国語で話すの、本当面倒くさいんですよ。
『サンキュー』と『アイムソーリー』の2つだけで、
なんとかやっていけるのはいけるんですけど、
実際なかなかそうもいかない感じでね。
ぶっちゃけ、日本人だけでやっていった方がなんかいい感じになるんですよ。
わかりますかね、この感じ。ほんとすいません。
アイムソーリー、サンキュー。」
と宣言して国連も脱退した方がいいのかもしれない。


また黒船が襲来するかもしれないが、
歴史は繰り返すということであるならば、
きっとうまいこと神風が吹いて、追い払ってくれると思う。
ただし、地球温暖化の影響で
気候パターンが変わってしまったのではないかという
一抹の不安は隠せない。

2010年11月19日金曜日

帰国ツアー宣言。

突然ですが、


来年2月の中頃からおよそ1ヶ月程
帰国ツアーを予定しております。

追って詳細日程お知らせいたします。




『百々徹を助ける会』の皆様、
今から心の準備を宜しくお願いしたい所存。

2010年11月13日土曜日

スマートフォン 選び vs スマートに電話を選ぶ






長年使って来た携帯、昨年アンテナが折れてしまい、
ここ最近かなり通話中雑音が入り、不便になっていたので、
ついに新調した次第。


iPhone? Blackberry?

そこをぐっとこらえ、プリペイド携帯にしてみた。


通話した分だけにお金を払うという基本に戻る姿勢に
凛々しさを感じたというか、
確かに、ネットができてテレビも見れて、
GPSもついて、リアルブックも搭載されているような電話は
便利かもしれないが、
アメリカ国内にいない月もある中、
毎月、1万円近く支払うというのは
あまりスマートではないのではないかと。
(単純に貧乏根性?)


はたして今後どれだけメリットデメリットがあるのか、
我ながら興味深い。


写真は、ナイジェリア滞在中に
自分の胃袋に消えた代物集。

2010年11月9日火曜日

Nigeria ツアー その5



ナイジェリア滞在最終日。

夜6時頃、ホテルチェックアウトして
旅行鞄を持ったまま演奏会場に移動。
夜8時頃演奏開始。
8時45分に演奏終了。
すぐさま関係者に挨拶をすまし、
9時頃用意された車に乗り空港へ。
9時30分に空港到着。


搭乗手続きをはじめるが、その厳重なチェックに半ば呆れる。
預け荷物を開けられ中身検査。
その後手荷物X腺検査、
靴、上着を脱いでの金属検知器によるボディー検査。
パスポートチェック。
所持金検査。(財布に入っている現金を見せた。)
搭乗ゲートで再び手荷物を開けられ中身検査。
再び靴、上着を脱ぎ係員の手によるボディーチェック。


(アメリカ系の航空会社を狙ったテロリストが過去に
ナイジェリア人だったからだろうけど、
それにしても飛行機に乗るまでにこれほどストレスを
味わうとは。これだけ検査すれば、テロる意欲も失うというもの。
疲れ果て、結果的に個人的には飛行中、かなり熟睡できたのでよかったのだが。)


飛行機の席についたのが10時20分頃。
そして11時過ぎに離陸。
無事におよそ16時間かけてNJに帰還。


写真上は、空港に到着後、
外で私服に急いで着替えるバンドメンバー達。

下はバンドメンバーとの記念撮影。
右よりDavid Gilmore, Michael Olatuja,
仕事着のまま帰国したSteve Belviusと私。

2010年11月7日日曜日

Nigeria ツアー その4


演奏の日。
サウンドチェックは午前11時30分と言われていた。

NYと5時間の時差があるので、
どうにもこちらの明け方にならないと眠れない。
ようやく朝の6時くらいにウトウトしはじめ
目覚ましで10時に起きる。

今日は、泊まっているホテルの敷地に設置されたステージで
演奏だったのだが、会場に行ってみると、
これからステージを設営する感じであった。


『アフリカだ』と、思うのはこういう時間のゆったりしたところだ。


もう5年前ほどになるが、アフリカ初体験だったニジェールに行った時、
この時間の感覚のずれで、人に借りたキーボードを壊した経験がある。
昼12時にサウンドチェックと言われて、定刻にキーボードを設置。
ところがスタッフは誰もいない。
野外ステージ。気温40℃近い猛暑。
結局3時間近く遅れてサウンドチェックが始まったのだが、
その時には太陽熱でキーボードがメルトダウンしてしまった。
スタッフを待つ間、キーボードを日陰に避難させなかったのが
いけなかっただが、12時にサウンドチェックが始まっていれば
キーボードは無事だったのにとぼやいたものだ。


そんな事を思い出しながら、
ホテルの部屋に戻る。昼寝。
午後4時30分頃になって電話で起こされ、
サウンドチェックは5時からと知らされる。


はじめから5時と行ってくれてたら
この日はもっと違う一日になったのにと思いつつ、
のんびりと一日を過ごせてよかったかと。
自分はアフリカにいるのだ、と思いなおした。


明日は別の会場で演奏してその後すぐ空港に行き、
NJに戻る予定。ナイジェリアのツアーも
あっという間に終盤だ。

(写真)
ステージ設営中の様子。

2010年11月6日土曜日

Nigeria ツアー その3

torudodo38というユーザー名の日本人ピアニスト(38歳)
らしい人物から投稿されたLagosの街並の流出映像です。

何故、このタイミングでビデオがアップされたのかは、
よくわからないのですが、
特に、義憤にかられたとかそういうものではなく
こんな風景を『百々徹を助ける会の皆様』と
共有したかった、さらにナイジェリアツアー中、
意外とビデオをアップロードできるほど
暇な時間があったという説が有力です。


2010年11月5日金曜日

Nigeria ツアー その2


ナイジェリア2日目。
今日と翌日はオフ日。
『ダヴィンチコード』を書いたDan Brownの新作
『The Lost Symbol』を読んではウトウトし、
バンドメンバーとご飯を食べに行っては
またホテルに戻って読書に昼寝、
夜は、フェスティバルの出演者との顔合わせパーティーがあり、
その後、ラゴスのクラブに繰り出す。
熱帯夜。汗まみれでホテルに戻り一日終了。
バケーション的で悪くない。



全然関係ない話で恐縮ですが、
最近人から教わって、面白かったのでここに書きます。
(知っている人も多いかと思いますが)
グーグルマップで、ルート乗り換え案内を出して、
出発先を日本、到着先を中国とタイプ。
運転ルートを出して#43を見てください。

2010年11月4日木曜日

Nigeria ツアー その1


アムステルダム経由でナイジェリアに到着。

ウェブに、ナイジェリアは汚職にまみれ、
空港職員は賄賂を要求してくる、等と
書かれてあったのを読んでいたので、
入国審査の際、少々緊張していたのだが、
予想外にあっさりとクリーンにパスできて安堵。

バンドメンバー5人のうち3人の荷物が
届いていなかったが、僕のは幸いにもあった。

気温30℃。
空港を出ると、すぐさま汗がでてきた。
用意された車に乗って40分ほどでホテルに到着。

Lagos Jazz Seriesというイヴェントで
週末演奏予定。

(写真)
ホテルの部屋からの風景。

2010年11月1日月曜日

他人の下着。

旅が長くなると途中で洗濯しないといけなくなる。
ホテルサービスに頼むのもいいのだろうが、
どうもせこく、ホテルのバスルームで
手洗いしてしまう自分がけっこう好きだったりする。


ただ、乾かし方が悪かったりして
途端に服から異臭が発生し
旅の後半には結局ホテルサービスに
洗い直してもらったりすることになって
こんなことなら、はじめから
ホテルサービスに任せればよかったと
後悔することもしばしば。



夏にSOMIバンドで東アフリカ2週間ツアーに行った時、
ウガンダ滞在中、ホテルの近くに住む、
SOMIの親戚の方が、洗濯をしてくださると
おっしゃってくださった。
僕は、手洗いしていたので、遠慮したのだが、
他のバンドメンバー3名がお世話になった。


しかし後日このバンドメンバー3名は、
SOMIからお叱りを受けた。
彼女曰く、他人に洗濯をお願いする時に、
下着も洗わせるなんて失礼極まりないという。


バンドメンバーは、洋服を洗ってくださるというから
お願いしたまでで、それならそれで、前もって、
下着は除いてくれと言ってくれればいいのに、
と抗議した。


SOMIに言わせると、下着は自分で洗うのが
常識だという。


僕自身も、もし手洗いを自分でしていなかったら、
パンツも含めて、洗ってもらっただろうと思った。


逆に、自分が例えばバンドメンバーを連れて
日本でツアーした場合、メンバーの洗濯を自宅で
してあげようと言うときに、彼らのパンツも洗ってあげれる気がする。
洗濯機に入れちゃえばいいだけの話だと思う自分がいる。


ただし、手洗いだった場合、他人の下着は洗えるか微妙だ。
好みの女性のであれば洗えるかもしれないが、
そうでない場合は手袋をして、マスクして、目隠しすれば
洗えるかもしれないが、いずれにしても
けっこう難しい事かもしれない。
SOMIの親戚の方はまさか手洗いだったのだろうか。
わからないが。


下着を他人に洗ってもらうことが
バンド内で文化的倫理的な大論争に
なってしまったことを思いだすと、
結局、旅先中は自分で手洗いしていた方が
安全だということなのかもしれない。
ポイントは乾かし方だ。


その事を念頭に、ナイジェリア7日間の旅に
向かいます。

2010年10月31日日曜日

SOMIミシガン州ツアー




10月28日から30日、
SOMIバンドでEast Lansing, Traverse City,
Flintというミシガン州の3都市で演奏。


(写真)
上:車中から見えたミシガン湖。

中:Traverse CityのMilliken Auditoriumで弾いたピアノ。
この街に住むボブジェイムスのピアノだそうだ。

下:SOMIバンド集合写真。

2010年10月26日火曜日

ない?ジェリア ある?ジェリア。


SOMIバンドの旅が続く。
先週末はミネアポリス。
今週末はミシガン州、
そして来週は上手く行けばナイジェリア7日間トリップ。


上手く行けばというのは、例によって現在ビザ申請中のため、
不安な状況なわけで。これまでもそうだったが、
アフリカツアーは何故か出発ぎりぎりでビザ申請になるので、
今回もひょっとすると出発前日にパスポートを大使館に取りに
行くことになる可能性もあり、なんとも落ち着かない。
そうでなくても、インターネットの情報を
見ると、『ナイジェリアは危険だ』と書かれてあるのが多く、
色々心配ではあるが。まぁ、どうなりますか。


(後日談)
この作文後2日後にあっさりとビザ取得。
ナイジェリア行き決定。
たいがいなんだかんだ問題があるものだが、
意外にスムーズにパスポートが戻ってきた。
どうやらアフリカが俺を呼んでいるらしい。


写真はミネアポリスの風景。

2010年10月22日金曜日

ダンス体験

Joyce Theaterに『Les Ballets C de la B』という
ベルギーのダンスカンパニーの公演を見に行った。


そこにパリ在住のKaori Itoさんという日本人ダンサーが在籍しているのだが、
彼女には8、9年前くらいに彼女のお母様とNYでお会いしている。
確かこの時は、KaoriさんはNYで勉強されていて、
パリに移住される直前の時期だったのではないかと記憶する。

お母様は、平石裕さんというアーティストで
10年以上前に日本で自分が演奏した時に
お客様でいらした方で、それ以来メールの交信が続いているのだが、
今回も、お母様より娘がNY公演に来ているというお知らせをいただき
Kaoriさんのダンスを初めて見るべく、劇場に向かった次第。


私服姿の9人のダンサーが舞台に現れるなり、
いきなり下着姿になったりして
エロイ内容になるのかと緊張したのだが、
そういうものではなく、
非常にアーティスティックでありつつもコミカルな要素もふんだんにあり、
人間の肉体の動きの表現の限界を探るかのようなダンスアンサンブルに、
およそ1時間半のショーの間、僕はひきこまれっぱなしだった。
ダンスの世界に全く疎い自分だが、見てみるものだなぁと
思った。この劇場には、つい最近日本の山海塾も公演をしていて、
見に行けばよかったかなとも思った。


Kaoriさん、小柄な身体ながら研ぎすまされた筋肉美を纏いつつ、
骨がないのではないかと思わせる程、手足のグニャグニャな
動きを見せられ、長年さぞかし厳しい修練を積んでこられたに違いないと思い、
親族でないのに、支えて来られたお母様の気持ちになったりして
目頭が熱くなった。



Kaoriさん、ますますのご活躍を。
またどこかでお会いできればいいなと思う次第。


Kaori Ito website

2010年10月21日木曜日

お詫び。

スケジュールの問題で、
12月の滋賀行きがキャンセルになりました。
ツアーをアレンジしてくださっていた
浜田博行さんはじめ、多くの方にご迷惑おかけしました。
この場をかりてお詫びいたします。

2010年10月18日月曜日

今年も終盤。

•なんでも11月の1週目にSOMIバンドで
ナイジェリアに行くことになった。
さらに12月にはセネガルにも行くらしい。
これほどアフリカに行くようになるとは。
今後、私は『青年海外協力ピアニスト』
として売って行けばいいのだろうか。


•先日、仕事先で泊まったホテルで、
チェックイン後、部屋の鍵を開けたら、
下着姿の見知らぬ白人老人男性2人がいて、
『何だお前は!どうやって入ってきたんだ!』
と怒鳴られてしまった。
 今回は怒鳴られただけでよかったが、
もしかしたら、この白人老人男性達は下着になって
これから麻薬の取引をする直前だったのかしれなかったわけで、
私は怒鳴られた後、殺されてどこかの海に捨てられた可能性がないとも
言えないわけで、ホテルのフロントの人はこの辺のセキュリティ対策は
しっかりして欲しいと思う。
(ホテルの部屋はたとえオートロックだったとしても、
内鍵はしておいた方がよさそうだ。)


•夏に行ったウガンダで買って来たコーヒー、
大変強いコーヒーで、おいしかったのだが、何故か飲むたびに下痢をした。
飲むのを止めたら下痢は止まった。と同時にコーヒーを飲みたい、という
欲求も消えてしまった。もうかれこれ2ヶ月コーヒーを口にしていない。
コーヒー人間だったのに、最近はスタバで紅茶を飲む有様。
ドトールコーヒーとタイアップを図ろうという私が、
この事態をここに公表してはいけなかったかもしれない。
多分またコーヒーを飲めるようになるとは思っているのだが。


•2ヶ月以上アンダーグラウンドに閉じ込められて、
見事に救出されてスポットライトを浴びたマイナー(炭坑夫)達。
(微妙な駄洒落。失礼。)


•今年のノーベル平和賞は菅首相にあげたほうがよかったという説。
隣国から文句を言われたら
その文句を聞いてあげる。
解放してほしいなら解放してあげる。

問題があったらすぐミサイルを撃ちこむ、
という世界各国の常識を打ち破ったという意味で、
菅首相はノーベル平和賞を与えられてあまりあるのではないだろうか。

2010年10月8日金曜日

『NY Music★Love 井上智』体育の日に再放送!

お知らせです。

10月11日(月)深夜0時より
『NY Music★Love 井上智』がNHK BS2で
はやくも再放送されます。

前回は視聴率120%を目指しましたが、
今回は150%を狙います。

2010年10月6日水曜日

バーレーン、オランダツアー終了。


オランダツアー中、
契約をめぐって絶えずプロモーターとSOMI側で諍いがあった。
常にピリピリした雰囲気だった。
ツアー最終日、ついにそれが沸点に達した。


Tilburgという街のコンサートスペースで
サウンドチェックを終えて、控え室で食事中、
廊下で、SOMIとプロモーターが口論しているのが聞こえて来た。
どうやらギャラが支払われない可能性が出て来たのだ。


本番開始30分前に、涙を浮かべたSOMIが控え室に戻ってきて
バンドメンバーに、

『今日のショーはキャンセルにする。』

と通告。

一度ステージ衣装に着替えたメンバーは私服に着替え直す。
ドラムのスティーヴは、セットアップした自分のシンバルを撤収。


会場の取締役の人が、困惑して控え室に来た。


『お客様がたくさん来ているのに、ショーをキャンセルにするわけにはいきません。
なんとかなりませんか?』

『こちらの問題ではありません。プロモーターに問い合わせてください。
ツアーのギャラと天売したCDの売り上げをショーが始まる前に持ってきてくれるまで
ショーは行ないません。』


取締役、しょうがないという表情でプロモーターに話に行く。




SOMIバンド控え室で待機すること30分。
ショー開始の夜8時になって、ドアをノックする音。
なんともバツの悪い顔をしてプロモーターが封筒を片手に入ってきた。


『キャッシュを持って来た。CD代も入っている。ショーをやってくれ。』


ベースのキースが早速、現金を数える。
契約書と数字が一致したらしい。

会場の取締役も入ってきて、

『じゃあ、30分遅れでショーを開始してもいいですか?』

『やりましょう。』

メンバーは再びステージ衣装に着替え、
スティーブはシンバルをセットし直した。
キースは現金を封筒に詰め込み、控え室には置いておけないと言って、
スーツの内ポケットに入れて、演奏した。


お客様には、ドラムセットに不備があってショー開始が
遅れたと説明したらしい。



ショー後のパーティーで複数のお客様から
『ドラムに何があったの?』
と聞かれたが、
『シンバルを留めるネジが見つからなくて。』
と返すスティーヴ。


Amsterdamに戻る車の中、
バンドメンバーとプロモーターの間に会話はゼロ。
彼から、翌日、朝の7時45分に
空港までのタクシーを手配したとだけ告げられた。


翌朝、8時を過ぎても、タクシーは来ない。
しかも、8時5分頃、ホテルに『ホテル代2日分、SOMIにチャージしてくれ。』
とプロモーターから電話があった。
もちろん、SOMIは拒否。
ホテルのフロントにタクシーを呼んでもらい空港へ。


プロモーターと金の問題になるという話は
聞くばかりだったが、まさか、
そういう現場に遭遇するとは思ってもいなかった。


昔のジャズミュージシャンは、こういう事態に対応するのに、
ピストルを常に懐にひそませていたというが、
ショーをキャンセルするという通告で解決したSOMIの交渉術、
バンドメンバーの落ちついたサポートに実に感服した。


こういう争い事がまったくもって苦手な臆病者の私は
控え室では、ただ黙っていただけだったし
帰りの日も、ひょっとして空港に腕っ節の強さそうな兄ちゃんを多数引き連れた
プロモーターが待ち伏せしているのではないかとビクビクしていたことを告白しよう。


王様のような待遇を受けたバーレーンから一転、
ギャング映画のようなちょっと危険に満ちた体験をしたオランダ。
無事にNJに戻ってほっとしている次第。


写真は、バーレーンのブルカ売り場の看板。

2010年10月3日日曜日

オランダ ツアー その3







アムステルで演奏前、急ぎ足でアムステルダム観光。
3時間もあれば市の中心部はだいたい
歩いて見て回れる感じの大きさか。
(美術館巡りもしたかったが、なにしろ時間がなかった。)
演奏後、バンドメンバーと夜のアムステルダム探検。
いわゆるレッドライトディストリクトに行ってみたのだが、
まぁ、なんというか、新宿以上に『猥雑卑猥不健全』全開であった。
この『猥雑卑猥不健全』はオランダ国が公認しているので、
逆に『健全』だという説もあるが、
うーん、、、やはり『猥雑卑猥不健全』極まりない感じであった。
いろいろな国のスタイルがあるものだと思う。
いよいよ今日でツアー最終日。Tilburgという街に行きます。


(写真)
1 ムントタワー
2 運河
3 チューリップマーケット
4 ダム広場
5 SOMIバンド

2010年10月1日金曜日

オランダ ツアー その2







Groningen, Utrechtで今日はRotterdam。
パッキングして車にのって演奏してご飯食べて
ホテルに戻ってバタンキューのオランダツアー中。


(写真)
1Groningen。

2自転車好きな人達。

3風車発見。

4Somi バンド @ Utrecht

5。。。。。。@ Amsterdam