2013年12月31日火曜日

2013 年

2013年は、総じて、悪くなかった年であったと思う。
2010年、11年、12年は個人的に、
実に大変な3年だったし、
特に12年は膝の怪我等、
最悪に落ち込んだ感じがあったのだが、
13年は、少し、すべての面で
回復の兆しが見えてきたと思っている。


2013年に初めて一緒に共演した人達。

Francois Moutinーーー超強力ベース。
Steve Littleーーーーーエリントンとやってたなんて知らなかったドラマー。
Joe Farsworth ーーーー勝手に縁がない人だと思っていたのに。
Marcus Gilmoreーーー勝手に縁がない人だと思ってたのが。
Andromeda Turreーーお父様とは何度か演奏した事がありましたが、まさか娘さんとも。
Satoru Ohashiーーー長年知ってるのですが、仕事は初めてだったかも。彼最高です。

2013年に読んだ本。

Zen and the Art of Piano by David Wolff
 ーーーーーーーピアノの事を何も知らない気分にさせられた。
 今年はこの本とHtml講座の本しか読んでないかも。
  
2013年に始めた事。

自分の演奏を録音して聞き直す事。
ーーーーーーー学生時代にやっていた事をまた普段からやり始めた。
どんなGigでもレコーディングしているかのような気分になって、
音楽に集中できて、聞き直しては反省できた。

2013年の印象深い出来事。

ボストンマラソンテロ事件とレッドソックスの優勝。
ナイジェリアに2回行った事。
大渋滞にはまり5時間かけてミッドタウンから家に帰った事。
 

2013年のさくら。

1月にようやく歩き始めたかとおもったら、
12月にはすっかりぺちゃくちゃ話をする子になった。

2013年に可能性があったが実現しなかった事。

英国のとある有名シンガーのツアーの仕事。
アメリカのとあるシンガーのブラジルツアー。

2013年にやろうと思っていて出来なかった事。

自分で自動車のタイヤ交換。ーーー指怪我しそうだしなぁ。
自分のバンドのライヴ。ーーーーーやらなくなるとなかなかやれなくなるものです。
                2014年にはなにかできるかしらん。  
曲作りーーーーーーーーーーーーー2013年は不作であった。2014年に期待。
                                 

そんなわけで、来年もいい年になりますように。








2013年12月20日金曜日

通勤地獄

12月15日(土)。
Sleep No Moreの演奏の仕事があった。
普段は、車で向かう。
20分から30分程で着く。
しかし、この日は、大雪。
危ないので車で行くのをあきらめ、バスと地下鉄で行く事にした。

私は今、New Jersey州Fort Leeという、
George Washington Bridge(以下GWB)の橋の近くの街に
住んでいるのだが、NYへ行くには、
このGWBをバスで渡って、
そして175丁目の駅から地下鉄Aトレインを使って
マンハッタンを南下していく。

夜中の1時30分頃、家路についた。
深夜のニューヨークの地下鉄は、
走っている本数が少なくなる。
駅で長い時間、電車の来るのを待たなくてはいけない。
しかも、日中は、快速であるAトレインは、
深夜は、各駅列車になってしまう。
 因みに、GWBを渡るバスは
深夜1時30分以降は走っていないのだ。
175丁目を降りて タクシーを呼ばないといけない。

結局、この日家についたのは、3時40分頃。
2時間以上かかったのだ。
 
 12月16日(月)。
とあるクリスマスパーティーでの演奏の帰り。
キーボードとアンプ持参の為、車で来ていた。
ミッドタウンのブロードウェイ近くの51丁目の
駐車場から家路に着いたのが夜の7時7分。

普通、30分から1時間弱で家に帰れる距離だ。

ところが、この日、
私の運転史上最悪の渋滞にはまった。
 
私は今、New Jersey州Fort Leeという
George Washington Bridge(以下GWB)
の近くの街に住んでいる。

通勤の際、必ず、GWBを使うのだが、
この日、緊急の修理工事をしていた。
GWBは2階建てで、この日、
上の階の橋の4車線中3車線が閉鎖されたらしい。

橋に向かうすべての道路が激しく渋滞した。
2時間以上かけて120丁目に到達した時に
私は、これは、相当やばい渋滞であることを認識した。

『あぁ、Uターンして、ミッドタウンにある
Lincolnトンネルを使ってNew Jersey州に渡ろう。』

しかし、この時、すでに遅し。
運転手は、皆、同じ事を考える訳で。
Lincolnトンネルに入るまでに
とんでもない時間がかかった。

ガソリン足りるのだろうか。。
膀胱はなんだか破裂しそうだ。。。

 ようやくにしてトンネルを渡り、
New Jersey Turnpikeという有料の高速道路を使った。
GWB近くの出口を出てすぐのガソリンスタンドに行く。

そこが、なんと大混雑。
ガソリン入れるのも
トイレに入るのにも
行列ができていた。

おそらく皆、同様の境遇に
見舞われた被害者だ。

結局、家に着いたのが、夜12時をまわっていた。

なんと家に帰るのに、5時間もかかったのである。

おそらく、はじめから、Lincolnトンネルを使えば、
だいぶ早くに帰ってこれたのかもしれないと
思ったが、後の祭りだ。

車で5時間。

 ニューヨークの通勤地獄をなめてはいけない。

2013年12月10日火曜日

Bayelsa, Nigeria その6 見た映画

父親業を始めてから、映画を見るのは
飛行機に乗っている時だけになったかもしれない。

飛行機に乗ると、
寝てる場合ではない、映画を見なくては、
みたいな気持ちになる。

今回、NY-Paris-Port Harcoutという
およそ片道7時間の飛行機旅で見た、
映画名と簡単な感想を見た順に記録。

Hang Over III --------チャウ凄すぎ。まだまだこのシリーズ続くのかしら。

Oblivion---------------何故かトムクルーズが出てるとあまり面白くなくても見てしまう自分がよくわからない。

Pacific Rim-----------ゴジラ2013年版みたいな。楽しめた。

Wolverine-------------日本の観光協会がスポンサーになっているかのような。楽しめた。

Elysium --------------まぁまぁかなぁ。

Now You See Me---かなり面白かったっす。

乱------------------------フランス語吹き替えで、英語字幕だった。武満徹の音楽。
                                贅沢!
                                実はあまり黒沢映画を見た事がなかったのだが、これを機に
              色々見てみたい。 

The Great Gatsby ----まぁまぁかなぁ。

以上、ナイジェリアツアー日記終了。



Bayelsa, Nigeria その5 Old Friends & New Friends

今回のツアーメンバーは、この最近の
レギュラーメンバーが私以外参加できず、
ギターに、パリ在住のセネガル人、Herve Samb。
ベースは、パットメセニーユニティーグループの
Ben Williams。
ドラムに、現在のチックコリアバンドのMarcus Gilmoreであった。

私がSomiの初めてのショーに参加したのが
2004年の4月。その頃、Herveが
Somiの音楽監督であった。
彼とは、アメリカツアーやアフリカツアーで幾度となく
時間を共にした。
彼に会ったのはおそらく3年ぶり。
この間、お互い、一児の父親になった。
今回の再会、私はとても嬉しかった。

Benとは、これまで何回か共演したことがあったのだが、
今回、こうして旅をするのは初めて。
Marcusとは、ツアー3日前のNYでのリハーサルが初対面。
今をときめく若手スターとのツアーに
なんだかすっかりおじさんとなってしまった感のある私、
少なからず興奮した次第。

その4に書いた通り、今回実際に演奏したのは
20分ばかりしかなかったのが心残りではあったが、
この2人、実に凄いということがひしひしと伝わった。
おじさんも頑張ろう。
また何か演奏機会があれば嬉しい。

右からHerve, 私、Marcus, BenとツアーマネージャーのAlexandria。


Bayelsa, Nigeria その4 Bayelsa Jazz Festival

今回は、12月7日に行われた、
Bayelsa Jazz Festivalに出演するための
ツアーであった。

この街の、観光事業の目玉として
行われた第一回目のジャズフェスであった。

今までの自分のアフリカ体験からの
予想に沿うかのごとく、
やはり、物事は、時間通りには進まず、
あらゆる所で、不都合が生じた。

Somiバンドのサウンドチェックは昼の12時の予定が、
おしにおして実際に行われたのは夕方6時。
しかもラインチェックのみ。
ボーカルマイクのチェックさえなかった。

フェスティバル予定開始時刻は7時であったが
実際に始まったのはおそらく9時くらいか。

Somiが本番会場入りしたのは結局夜の12時。
しかも、会場するなり、運営側から、
トリを努めてくれないかと打診があった。

因みに、このジャズフェスの目玉は、
Hugh MasekelaとFemi Kuti。
Somiは、後ろから3番目の順番であった。

ところが、話をきけば、
この日、Bayelsaの市長が会場に来ており、
彼とその取り巻きが早く、家に戻りたいという要望があり、
ただでさえ、進行が遅れているために
はやくHughとFemiを出演させてご機嫌をとりたいという
事だったらしい。

Somiは出演順番の移動を断った。

ジャズフェスの進行の遅れは、
Somiに責任はない。
それに、Femiの後に演奏した場合、
お客さんは皆帰ってしまって、
会場の無人の椅子の前で演奏する可能性が高い。
長旅のあげく何のために演奏したのか
よくわからなくなる。

最終的に両者妥協してHughバンドを先に
次にSomiそしてトリはFemiということになった。

Somiの出演時刻は結局深夜1時過ぎに。
もともとSomiは45分のショーを予定されていた。
ところが、 ジャズフェス側は、一刻もはやく
Femiを演奏させたいばかりに、
ステージ脇から、Somiが演奏中、たえず
『まいてまいて!!』の指示を送っていたという。
(私は、気づかなかった。)
3曲目を終えた時には、
『ステージ降りて!!』の指示が出ていたらしい。

Somiは憤慨してもう一曲だけやると宣言。
その演奏中、ステージ場に、謎の男が現れる、
怪しげにSomiの横に並んで踊った。

Somiは、驚きと呆れと、もしかして
身の危険も感じたのかもしれない。
歌うのを止めた瞬間もあった。

その男は、ステージに座り込み、
ねそべり、ポーズをとった。
会場のプレス陣が一斉にその男の写真をとった。
警備員が現れ、その男を取り押さえ、ステージから
降ろした。

もうショーどころではなかった。
Somiは切れた。
私も、なんとも失礼な話だと思った。
結局、演奏した時間といえば20分も
してしなかったかもしれない。

Somi控え室にもどって運営者に
涙の抗議。
SomiのCDにも参加して、
親交のあるHughが現れ、両者をなだめる。
あぁ、アフリカ!

気の毒なショーとなってしまったことは
残念でならない。

会場控え室にてHugh MasekelaとHerve Samb

会場控え室にてFemi Kutiのダンサーと。

Bayelsa, Nigeria その3 シャワー

今回宿泊したのは、
政府関係者が主に宿泊するような
場所であった。

Wi-Fiがあった。
食事も一日3食支給された。
ACもガンガンに効いていた。
ただし、シャワーに問題があった。

シャワー口からの水量が弱く、
しかもお湯がでなかった。

身体がすぐに冷えた。
満足に洗えなかった。
床にはミミズが這っていた。

今回の旅は、実際のところ、
移動時間が長いだけ(およそ計25時間)で、
宿泊は2泊のみ。

私は決断した。

今回の旅は、
旅に出る前の身体に、
フケとアカと悪臭をためこんで
帰宅した、初めての機会となった。

Wi-Fiがあれば、どんな所でも
心に平安が訪れる私であったが、
もしこのツアーがあと2日延長していたとしたら
たとえWi-Fiがあったとしても
私の心はどれほどに乱れ、
私の身体と髪の毛はどれほどかゆみを覚えたか、
想像に難い。


Bayelsa, Nigeria その2 マシンガン

アメリカ合衆国では、よく
その銃社会について規制すべきかどうかの
喧々諤々の議論になるが、
ナイジェリアのような国だと、
しっかりとマシンガンで守ってもらえないと
身の危険にさらされるようなのだ。

今年の3月のSomi tourの際にも、
Port Harcourt空港から演奏会場に向かう際、
マシンガンを抱えた傭兵が
バンドの移動車の助手席に座った事に
驚きを禁じ得なかったが、
今回もその例に漏れず。

バンド移動車が3台。
その前後にそれぞれ傭兵4人ほどのせた
パトロールカーが走る。
もちろん、それぞれのバンド車の助手席には
傭兵が座った。

道路のコンディションはいいとは言えず、
夜道を2時間も移動しなければならない状況で、
やはり、こうしたマシンガンによる
警護が絶対必要な国が世界にはあるっちゅうことですかねぇ。




Bayelsa, Nigeria その1 イエローカード詐欺

12月7日(土)に行われた
Bayelsa Jazz Festivalに
Somiバンドの一員で演奏。

NYからParis経由でPort Harcourtへ。
そこから車でBayelsaという街へ。
なんだかんだ自宅から25時間くらいかけて
到着した事になる。

Port Harcourt空港は
現在立て直し中で、
ほったて小屋みたいな所が入国審査室であった。
預け荷物の受け取り場所には、
ベルトコンベアーはなく、
飛行機からトラックに積み込まれたスーツケースが、
人力で運び込まれてきた。

パスポート審査を終えた後、
カウンター越しに係員から、
『Yellow Card、please!』
と話しかけられた。

国によって、入国の際、
黄熱病のワクチン接種歴を証明する
イエローカードの提示が義務づけられている。
ナイジェリア国は、私、今回で
3度目の訪問なのだが、
いままで、提示を求められたことはなかった。

私は、今回、幸いにも、イエローカードを所持していた。
それを見せ、問題なしとされ、私は、預け荷物受け取り場に向かった。

ところが、今回バンドメンバーのうち、
2人がイエローカードを持って来ていなかった。
彼らは、係員にそれぞれ60ドルを払って
イエローカードを手渡された。

その時、 2日前に前乗りして現地入りしていたSomiが、
空港まで我々を迎えにきた。
すぐさま、今、かくかくしかじかで、
イエローカードをもらったんだ、という話になった。
Somiは、
『私が入国した時には、そんな話はなかった。
だいたい、イエローカード提示義務はないはずだし、
 いったい誰に支払ったの?』

『いや、だからあの人に、、、』

と振り返ったカウンターに
人影がなかった。

だいたい、イエローカードというのは、
政府に指定された医療関係者からしか
もらえないのだ。

案の定、もらったイエローカードの
紙質は、自分の持っているものにくらべて
劣悪なものであったし、そもそも、
黄熱病ワクチンを接種していないのに関わらず、
適当な日付が入ったスタンプがおされてある有様。

冷静に考えれば、おかしいことだらけなのに、
あまりに突然、事が進んだばかりに、
あたかも、イエローカードがないと
入国拒否されるかという恐怖感を利用した
立派な詐欺だったらしい。
見事としかいいようがないのだが。

Bayelsa, Nigeria

2013年12月1日日曜日

Michelle Walker North Carolina Tour

先週、歌のMichelle Walkerのミニツアーで
North Carolina州に行ってきた。
 寒さが厳しくなったNYに比べこちらは
だいぶ気候がよろしく
ジャケットなしで過ごせた。

アメリカでいいと思うところは、
大概のホテルにジムが設置されてあること。
4泊したうち3日はジムで汗を流した。
日本のビジネスホテルでジムがある所を知らない。

ただアメリカでどうかと思うのが
ホテルの朝食のレベル。
日本のバイキング方式の食事を知る私としては
アメリカのそれはいささか物足りない。

日本ツアーすると太る私だが、
アメリカの旅は逆に身体が締まる私である。


右からMichelle Walker(Voc), Michael O'Brien(Bass), Willard Dyson(Drums), 私。


 昨年夏の小林陽一さんツアーを彷彿させる車旅(片道10時間ドライブ)

宿泊したホテル。来年ゴルフのUSオープンが行われるゴルフリゾートホテル。



2013年11月18日月曜日

さくら語辞典改訂版(2013年11月17日)

アーチャン    さくら
イロイロ     クレヨン
エンチプ     鉛筆
ケケココ     ニワトリ
チーレタ     血が出た
パイル      食べる
バメ!      駄目!
ムノ       飲む

2013年11月10日日曜日

ここ最近の事。

・ 先日、SOMIの仕事で、とあるチャリティイベントで
演奏した。200人近くが食事をして、最後にオークションが
行われた。
 アメフトのスーパーボウルのチケット2枚がおよそ150万円、
何年ものなのかよくわからなかったが、高給ワインが120万円等々。
ひととおりオークションが終わると、今度は、このチャリティに賛同する方
一口200万円からお願いしますと司会の人が声をかけると、
続々と手をあげる人達。
最終的にこのイベントで2000万円くらいが集まった。
 俺はこれだけお金を寄付できるぜ競争みたいになっていて
なにしろその活気がすごかった。まぁ、こうして集められたお金で
助かる命があるわけで。
 なかなか自分にお金はよってこないのだが、この日は、
たくさんお金を持っている方達と至近距離で時間を過ごせたわけだ。

・ 先日、ブルックリンにあるShape Shifter Labという所で
韓国のSeung-Heeという歌手のバンドで演奏した。このライヴハウスは
同じ日に2、3バンドが出演するのだが、この日Seung-Heeのバンドの前に
演奏していたのが、Karl Berger's Improviser's Orchestra。
30から40人近くの演奏家がKarlの指揮のもと、即興で
演奏するものだった。
 NYに1998年から住んできて、私も、まぁ、それなりに、
他の方のライヴを見れば演奏している人を一人や二人知っていたりするものだが、
このバンドのメンバーを誰一人として知らなかった事に少し驚いた。
 それだけ、自分は、いわゆるフリー系の人達と交わる事がなかったということ
なのかと、自分の足跡を確認した次第。


下はチャリティーイベントの写真。

2013年11月1日金曜日

RedSox 優勝!!

今年は優勝するかもと4月から思っていたが
そのとおりにBoston Red Soxが優勝して、
嬉しい。

特に10月は、プレーオフ毎試合後、
redsox.comやkoji-uehara.netを
細かくチェックする日々を送ってしまった。

その昔、スポーツ新聞を読み漁り、
野球談義に花を咲かせるおじさん達を見て、
あまり関心しなかったものだが、
自分もそのような人間になってきているような
気がして少し反省している。

音楽に戻ろう。

さくら先生もおかげさまで2歳になりました。




2013年10月24日木曜日

Pink の伴奏もしてたDanny Jones

私、この2年ほど、
Sleep No Moreというオフブロードウェイのショーで
Danny Jonesという名前で演奏してるのですが、
ほぼ2年前の演奏風景がYoutubeにあがってました。
ショーを見に来ていたPinkがシットインした貴重な
映像かと思われます。
お楽しみくださいませ。
(Stella Sinclairを名乗るこの黒人シンガーは、
Karen Marieという人です。
 彼女はこのショーでメインで歌ってます。)



2013年10月22日火曜日

初裁判体験

先日、私は身の潔白を晴らすべく、
人生で初めてNYの裁判所へ出廷したのである。
弁護士を雇わず自分の力で
無実を訴えた。
証拠を提出した。
私の尊厳をかけた戦いであった。

評決。

無罪。

法廷を出ると、
秋の日差しがやさしく私を包み込んだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 今年の6月、自分の運転する車の
ヘッドライトとブレーキランプが
切れていたことで、 私は、NY警察から
違反チケットをいただいたのだ。

 ルールによれば、チケットをもらった時から
24時間以内になおして、その時の
修理工場のレシートを送付すれば
違反取り消しにしてくれるのだ。

そのようにしたのだが、どういうわけか、
NY交通局の公聴会への呼び出しをくらってしまったのだ。
(交通違反チケットをもらった際、
無実だと信じれば、こういう公聴会に出向き
裁判官に判断を伺う事になっている。)


 大人しく罰金を払ってしまえば
(140ドルくらいだったと思う。)
時間かけてわざわざこういう場所に出向くこともないのだが、
こういう機会もなかなかないと思い、
出向いた次第。
(もっとも呼び出しをもらった日に出廷しないと
免許取り消しになるらしい。)

こちらは、修理した時のレシートは持っているし、
間違いなく棄却されると思っていた。
とはいえ、初めての公聴会。
勝手もわからず不安であったのは確か。

多くの人がいた。
それぞれ、指定された部屋にふりわけられた。
公聴会は公開で行われているので
他の方のやり取りがまる聞こえだった。

運転中に携帯電話をかけた罪の人がいたり
一時停止を怠った人。
左折禁止のところを左折してしまった人がいた。
皆、訴え通らず有罪とされているのを目撃した。
私は緊張した。

そして私の番がきた。

修理屋でのレシートを提出した。

裁判官は、すぐさま『棄却』としてくれた。

あまりにもあっけない判決であった。
とにもかくにも私は初めての裁判で違反の取り消し、
いわば、勝訴を得たのである。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

因みに、私が行ったNY交通局は
ハーレムの125丁目の東側にあった。

最近の125丁目というのは、
多くの大手チェーン店が立ち並ぶ
ショッピングモール化している。
かつてのアフリカ系アメリカ文化一色という雰囲気が
消えていくのかという感じがある。
時に猥雑で犯罪の香りのあった所が
一掃されて行く過程にあるように思う。


公聴会からの帰り、
125丁目を東から西へ向かうバスにのった。
乗客のほとんどはアフリカ系アメリカ人であった。
自分の座った席の前の床には
ケンタッキーフライドチキンの紙容器や
スポーツドリンクの空き瓶が転がり、
背もたれと窓の間の隙間には
新聞紙がはさまっていたりと
なかなか衛生環境はよろしくなかった。
しかし、そういうのが、ハーレムらしいとも
思えた。

さて、NYの地下鉄とバスを乗る時に
メトロカードというプリペイドカードを
使って運賃を支払うのだが、
とあるアフリカ系女性、年は50代くらいか、
バスに乗り込んで私の近くの席に座った。
すると彼女はメトロカードを床に落とした。
周りの乗客が、
『あなた、メトロカードを落としたよ。』
と声をかけた。
彼女は、
『いや、もうメトロカードの残金がなくなったから
捨てたの。ありがとう。』
と応えた。
いやいや、だからバスに捨てていいのかと、
私は思ったのだが、いやいや、
こういうスピリットというものがある限り、
たとえ、街並はディズニーランドのようになってしまったとしても
ハーレムはハーレムであり続けるのかなと思い直した。 

2013年10月7日月曜日

Steve Littleさん

先週と今週の土曜日、結婚式の仕事が続いた。
10人編成のビッグバンドで、
主に、1930、40年代ものを演奏した。
このバンドのドラムがSteve Littleさんであった。

顔は見覚えがあった。
日曜日のCleopatra's Needleでジャムセッションホスト業をしていた頃、
僕のトリオの演奏前は、Vocal ジャムセッションが行われていて、
そこで、Steveさんは、たまにハウスバンドで叩いていたのを思い出した。
当時は、話す機会もなかった。

今回、2週続けて演奏することになって、
話をする機会に恵まれた。
聞くに齢79歳だというのである。

見た目おそらく60代後半かまあ、
70前半くらいかと思っていたので、
80歳目前と聞いてまず驚いた。

一人で車を運転して、ドラムを組み立て
達者に演奏するのである。
譜面はしっかり読むし、
お客さんから急にリクエストが入った
”Sing Sing Sing"も、決めばっちりで
演奏された。

物腰柔らかく、偉ぶることなく
誰にも優しい態度。
ドラムの片付けを手伝おうとすると
「そんなに俺を年寄り扱いしないでよ。」
と軽々とバスドラを抱えていかれる。
なんと若々しい身のこなしよ。

今日、ちょっと彼の名前をググってみたら
彼のインタビュー記事が出て来た。
読んでみてたまげてしまった。
http://dothemath.typepad.com/dtm/interview-with-steve-little.html


エリントンの『And His Mother Called Him Bill』で叩いていた方だったのである。

私のジャズレコードコレクションは決して多くないのだが、
このCDは持っていた。クレジットを確認するにSteveさんの名前がしかとあった。
(因みに、昨日の結婚式では、エリントンものを何曲か演奏した。
そうだったのか。。。。)
へーーーー。。。。。

『セサミストリート』のバンドも長年やってらしたのね。。。
へーーー。。。。。。

1940年代くらいからNYのミュージックシーンを
今まで生き抜いて来た方なのである。
恐れ多い方なはずだろうに、まるでそういう感じを
初対面の方に与えないという、
逆に、それが怖い。

昨日の演奏した会場はNYCから車で2時間ほどの
田舎街。Steveさんは、帰り際、
『この辺りはシカが出るから注意してね。』
と忠告していただいた。

案の定、帰り道、街灯がないローカル道で、
少なくとも10匹ほどシカが
道路をもうダッシュで渡るのを見た。
その後、高速道路に入ると、突如の大雨。
大変疲れる帰路であった。

Steveさん、無事に運転して帰れたかしら。

おそらく、問題なくひょうひょうと帰宅されたに
違いない。

2013年10月2日水曜日

New York City Opera 破産

自分の過去のブログによれば、それは、遡る事11年前、
2002年10月の事であった。

 当時、Cleopatra's Needleでジャムセッションのホスト業を
していた時、たまたまご飯を食べに来られた方がいらした。
演奏の休憩時間に私に話しかけてこられ、
お褒めの言葉を頂き、自己紹介された。
それが、山田敦さんであった。

そのひと月後に、山田さんからご招待をいただき、
 New York City Operaによる
Humperdinck の 『 ヘンゼルとグレーテル 』を
観劇した。
指揮をされたのが、この山田敦さんであった。
この日、日本人として初めて、NYCOの
指揮デビューされたのを目撃したのである。
しかもこれが、私の、初めてのオペラ生体験であった。

それ以後、山田さんとの交流が続いた。
数度となくNYCOのショーにご招待いただいた。
 山田さんが当時、担当していたJ-Waveの番組に
出演させていただいたこともあった。
NYの日本人会のクリスマス会で、
クリスマスキャロルをオペラ歌手とジャズバンドで演奏する
機会もいただいたりもした。
(初めてゴルフの手ほどきを受けたのも山田さんであった。)

その後山田さんは、NYCOから離れ、
2006年にアジア系のミュージシャンで編成した
The New York Asian Symphony Orchestraを立ち上げ、
国連やリンカーンセンター公演や日本ツアー等
勢力的に活動されていたが、残念ながら
 2010年5月に破産申請をするにいたる。

2009年の秋頃から 山田さんとは音信不通になってしまった。
現在、日本にいらっしゃるという話だけは人から聞いているのだが、
どうされているのかは知らない。

今日、NYCOが破産したニュースを知った。
なんでも2009年以降から急激に経営不振に陥っていた
そうである。その記事には、経営陣の手際の悪さを指摘する
内容があった。

ふわっと山田さんとの思い出が頭をよぎったわけで。
私のNY生活に彩りを与えてくださっていた
山田さんとNYCO。
なんというか、ひとつの自分の歴史の
ある章が、完全に終わった感じがしてます。

多分に感傷的になった百々徹でございました。

山田さん、どうかお元気で。

2013年9月22日日曜日

Worst to First

9月20日、Boston Red Soxがアメリカンリーグ東地区の
優勝を決めた。(なにげに、この日はさくら先生の生誕23ヶ月の日であった。)
2年前は最終戦に勝てばプレイオフに進めたのが負けて逃し
昨年は最下位。それが今年、開幕からほぼシーズンを通して
地区で首位を守り、見事な優勝であった。
私も昨年は膝の皿を割る事件があり落ちるとこまで落ちた感じがあったのだが
今年は色々な面でなんとなく立て直しをはかれてきている感じがあり、
どうもレッドソックスと自分の状態をシンクロさせて感じてしまう
傾向がある。とにもかくにもなんだか嬉しい気分だ。
10月のプレイオフも楽しみである。

最近の演奏写真をここに。

9/9 Michelle Walker (Voc) @ Zinc Bar, NYC


9/17 Miki Hirose (Tp) @ FONT Festival at Smoke, NYC 


(おまけ)
最近風呂嫌いが段々に薄れてきたさくら先生。
昨年、膝の皿を割って以来、風呂は妻に任せていたのだが、
昨日、久しぶりに娘と入浴をした。
怖がってなかなか腰までつからないさくら先生を
無理矢理しゃがませると、始めは嫌がってすぐに立ち上がったのだが、
2回目にしゃがませると、おとなしく長い時間、腰までお湯につかった。
何かじっとお湯の中を見ている。
『だりい?』(誰?)
と尋ねる指の先には私の大切な突起物があった。
生後23ヶ月にして初めて見つけられてしまった訳である。

2013年9月17日火曜日

最近の事だらだらと。

ここ最近の事をだらだらと

・ここ数年怠っていたのだが、
自分のgigの演奏を録音し、聞き直し
反省する作業をここ最近始めてみた。
至らない箇所が明確になり、そこを改良して
次の演奏に生かすという繰り返し作業が
自分をよりよい演奏家にするのではないかと、
そう信じて止まないのですが。


・さくら先生、人見知りがすごかったのだが、
ここ最近、何かがはじけたかのように、
公園で見知らぬ子について遊ぼうとする
姿勢がでてきた。
もう父親を超えたと思うのは、人種関係なく遊べる事だ。
私は、日本育ち。日本人以外の人種を初めて生でみたのは
小学校高学年くらいだったかもしれない。
私は、いまだに、日本人以外の人と接するに
少なからずストレスを覚えるものだが、
さくら先生は。2歳になる前から
英語等まるでできないのに関わらず
白黒黄色関係なく遊んでいる事にただ関心する。


 ・どちらかというと睾丸の近くにある突起物の
サイズの方が気になっていたのだが、このニュースを
読んでちょっと気が変わった。

http://www.cnn.co.jp/fringe/35037015.html

・レッドソックス地区優勝近し。今年は
ワールドシリーズも取れる勢い。
4月のマラソン爆破テロがボストンに
勝つ使命を与えている部分もあるのかも
しれないとも思う。なにより、
自分の好きなチームが強いと
自分も調子がいい気分になるから
不思議だ。

2013年9月3日火曜日

Bronx Zoo


もうかれこれ22ヶ月もこのヒト科の面倒を見るようになって、
動物園たるものに来てみるに、
『俺って、ここで飼育係で雇ってもらえるんじゃないか。』
という気分になったのは私だけでしょうか。

(Bronx Zooに来たのですが、広大な敷地に
様々なアトラクションがあり、とても1日では
すべてを見る事はできない所でした。また、
というか、何度も行く事になる予感。)

2013年8月30日金曜日

Somi on Sony

Somiの新作CDが、来年に
Sony/OKeh Recordsから発売されることが
決まったということです。

2004年の4月以来、
彼女のプロジェクトに関わっている手前、
なんだかとても嬉しいです。

2013年8月16日金曜日

風呂嫌い

まもなく生後22ヶ月になるさくら先生、
ここにきて、極端な風呂嫌いになってしまった。

夕食後、
『そろそろ、お風呂に入ろうか?』
『ハインナイ。アージョーブ(大丈夫)。』
『なんでお風呂嫌なの? 体、奇麗にした方がいいでしょ。』
『キレイキレイ。』
『じゃあ、お風呂入ろう!』
『ハインナイ。アージョーブ。』
『入らないで寝るの?』
『ネンネ。』
『ネンネするの?』
『ウン。』
『昨日も入らなかったでしょ。お風呂入ろう1』
『ウギャー!!!!!!!』
と火がついたように泣き叫ぶ。

一体どうしてしまったのかしらん。

2013年8月9日金曜日

Somi show at Boston & NYC



8月1日 Scullers Jazz Club ( Boston)
 8月5日 Rockwood Music Hall (NYC)
とSomiのショーに参加。
Somi-voc
Alicia Olatuja-back voc
Liberty Elleman-guitar,
Otis Brown-drums,
Michael Olatuja-bass(8/1) ,
Ben Williams-bass(8/5)
Toru Dodo-piano

彼女の新作CDも今年中に発表されるとのこと。

ボストンのScullersでは、Somiのショーの
翌日にショーがあった、Terence Blanchardが
前乗りしてホテルに到着していて
バーで少しお話する機会に恵まれ光栄でございました。


(写真提供してくださったJusoさん、ありがとうございます。)

2013年7月25日木曜日

Sleep No More 1000回公演記念パーティー

ここ2年ばかりお仕事させていただいている
Off-Broadway Show "Sleep No More"が
先週の土曜日で1000回公演を数え、
それを記念してのパーティーに参加。
今までの人生であまりお目にかかったことのない
演劇界との交流に、私はいまだに
高揚感を覚えている次第。
この手のショーも水商売といってしまえば
そうなのでしょうが、
それにしても、何百人もスタッフを抱える
一大企業のようになっているこのショー。
どこまで続くものなのでしょう。
関わっていられるだけは関わらしてもらいたいと
思っている次第。

会場前でパーティーの開始を待つ人々。


最終的には皆踊る。(音量大きいので注意。)

2013年7月18日木曜日

Pinehurst Jazz Festival

7月14、15日の2日間行われた
North Carolina州のPinehurst Jazz Festivalで演奏。
企画したのが、5月に亡くなったピアニストの
Joshua Wolffeの弟さんDavid Wolffe。
Davidは、North Carolina Philharmonyの音楽監督を務める
指揮者&ピアニストで、兄のメモリアルを兼ねての
ジャズフェスであった。
出演したのが、Joshuaと共演していた、歌手3人。
Michelle Walker, Whitney James, Hilary Gardner。
私は、MichelleとWhitneyのバンドのピアノを担当した。
(アルトサックスのJon Gordonとも初共演。)
演奏した場所が、宿泊したホテルのボールルームで、
しかもこのホテルは、来年のゴルフの全米オープンの
会場に使われるゴルフリゾートホテルでありました。
(ここでタイガーウッズが宿泊するのか、と
想像した次第。)
このエリア、引退された方が多く住むエリアらしく、
集まってくださったお客様の年齢層はかなり高めでありましたが、
暖かく迎えられた感じで、楽しい時間でありました。 

2013年7月4日木曜日

さくら語辞典その2

さくら先生、生後20ヶ月が過ぎ、語彙も増えてきた。
最近のさくら語。 (個人的に眼鏡がアマミになるのが可笑しい。)          

外に行きたい   アメ
ボール,タイヤ  ブッブ    
鍵        ジッタ   
乳母車      チッチッブッブ
ピザ       ジッパ
抱っこして!   デッコ! 
食べたい!    アムアム!
飲みたい!    アプ!
眼鏡       アマミ
寝てる      アニュマ
外が暗くなる   アニュマ
駐車場に車がない アニュマ 
パパが車でマンハッタンでお仕事に行く。       
         パパ オシュゴ アンマンマン ブッブー

2013年7月2日火曜日

2013年前半終了。

この3年くらい、なんだか、限界を感じたのか、
臆病になったのか、疲れたのか、(金欠なのか)、
自分のShowをやることからすっかり離れてしまったのです。

(自分のShowというものは、昨年7月の日本で
行って以来、やっていないのです。そもそも、
アメリカ国で、自分のShowをこの3年近く、
行っていないのです。)

そもそも、昔から、頼まれた仕事を一生懸命にこなす、
というアプローチでやってきているのですが、
他人のShowで演奏する事はまだ今も頼まれるのですが、
この3年、自分のShowを頼まれる事がなくなった
ということだけなのかもしれません。。。

 他人のShowで、自分の役回りを演じる事は
楽しいですし、最近はもはや、
自分というものはいらないのではないか、
くらいにまで思えてくる事もあるのです。
( ここ最近、月の半分近く、演奏させてもらっている、
Sleep No Moreでは、Danny Jonesという
芸名で、テディウィルソン風な感じで
演奏しているのです。。。これが楽しかったりするのです。)


とはいえ、自分の中に、まだわずかながら、
『自分の音楽』に対するこだわりが残っているかなとも思うのです。
それを人様に聞いていただこう、という欲も
まだ多少はあるように思うのです。


なんというか、走らせてないと動かなくなる車のように
 自分のShowというものもひとたびやらなくなると、
ますます、億劫になってやれなくなりそうな気もするのです。


今年の後半戦、どこかで一回くらいは、
Showをやってみようかとも思っているのですが。。。

(昨年、アリーグ東地区で最下位だったBoston Red Sox、
今年は、首位で前半を走っているし、優勝したりしてくれたら
嬉しい。って自分の調子とRed Soxの調子を一緒にするなって。)


下は、Sleep No Moreで使われている曲。
歌詞といい曲調といい、痺れます。
自分も恥ずかしながらこの感じが少しはわかるような
大人になった気がしてます。

2013年6月26日水曜日

あるジャズピアニストの苦悩。

さくらと近所の公園に行く事も増えてきたのだが、
公園に行くと、母子しかいない状況があったりする。

アメリカらしく、ロシア系母子グループ、
韓国系母子グループ、中国系母子グループがいたりする。
それだけでも私はいっぱいいっぱいなのだが、
そのお母さん達と英語で話をする状況は不思議とまだいいのだ。

私の住むエリアは日本の駐在員も多い。
たまに駐在員の若奥様達グループが
公園を陣取っていられたるする事もあり、
そうなると、私は、途端に、こっ恥ずかしくなって
さくらの手を引っ張って、公園を離れる事がある。

20歳後半か30歳前半あたりのこうしたお母様方が
集っていられる中で、40過ぎたおっさんが、
平日の午前中から、 赤ん坊を膝にのせて、
滑り台を降りる。それだけでもかなり恥ずかしいのだが、
その上、『どこどこの○○ちゃんが。。。。。』だの
『 あそこの幼稚園で。。。。。。。。。』
とかいう会話が聞こえて来たるすると
もうさくら、家に帰ろう、という気持ちになる。

さくらが、そのグループの子供達と友達になっていったりすると
また違う展開になるのかもしれないが、
自分で自分の身体のコントロールがついていない
何ぶん、まだまともに話すことも出来ない20ヶ月のさくらに
多くを望めない。
これを駐在の若奥様達とお近づきになるチャンスととらえるか、
違う公園を探すキューととらえるか。
自分が試されている気がする。

2013年6月19日水曜日

『アメ!』

ここ最近のさくらは、気候もよろしく、
ほとんど野外で過ごす生き物になっている。
(家が必要でないのかもしれない。)

朝飯後、『アメ!』コール。
(さくらは、散歩したい、外に行きたい、という時にアメと言う。)
ほぼ1時間かけて散歩。
昼飯後、再び『アメ!』コール。
また1時間以上かけて散歩。
(道中、眠くなり、私の腕のなかで昼寝することもしばしば。)
先日は、夕食後にも『アメ!』コールされ、
40分ばかり散歩した。

今日は、午後になって、雨が降ってきた。
さくらは、『アメ!』コール。
わざと、さくらを外に連れ出し、
雨に濡れさせて、
『これが、雨だからね。雨が降ったら、アメできないんだよ。
わかる?』
と諭してみたが、さくらは、おかまい無しに
『アメ!アメ!』と一人で雨の中を歩いていく始末。
しょうがないので、車にのせ、近くのショッピングモールに行き、
店の中で散歩させるはめに。

ここ最近の私の一日のほとんどは、さくら姫の家臣になって
散歩の御伴係に費やされている次第。

2013年6月13日木曜日

両親来る。

6月の始めより、両親並びに妹夫婦が
NYに来訪、そして今日、帰国の途についた。

この間、私は、さくらの父親業、ならびに、
両親の息子業、ならびに、兄業、さらに、
夫業、そして音楽業をこなしたわけで。

なんといいますか、
生まれて間もない生命力に溢れたさくらと、
人生の最終章にさしかかっている自分の両親が
戯れているのを見て、
私は、何度となくうるうるしてしまい
まいった、まいった。

(両親が旅立つお別れの時、
 さくらが、何かを察したのか、
祖母にだっこを求めた。
私は、痺れてしまった。)

あーこれ人生なり。

2013年5月30日木曜日

合掌。

その昔、よく研究させていただいていた
ピアニスト, マルグリューミラーが亡くなったそうで、
寂しいものです。57歳。。。
10何年前に、ケニーカクランドが死んだ時も
ショックでしたが、なんだか、この世代のピアニスト、
結構、早くに死んでしまいますね。。。
(彼らの上の世代、ハービー、チック、キースとか、
バリバリ健在なのに。。マッコイ、シダー、もっと上のバリーも。)

 つい最近も、僕がNYに出て来た当時、
クレオパトラズニードルで、よくたむろしていた
ピアニスト、ジョッシュウルフが、癌で亡くなったし。
38歳。。。。悲しいです。

ドラムのタケさんも、逝っちゃってから6年が過ぎたです。
 まぁ、皆、生まれたら死んで行くんですけどね。

5月は、どうも、偲ぶ月になってしまいます。


2013年5月23日木曜日

12日連続

昨年の今頃は、右足の膝の皿骨折で
全く仕事が出来なかった。
その分なのか、今年の今月は、
仕事に恵まれた。
5月10日から21日まで12日連続で
仕事が続いたりして、私は、Gigの神様にひたすら感謝の
気持ちで一杯である。

 この12日の間、一日に仕事が2本というのも数日あった。

私の行っている仕事は、もちろん、きちんと演奏ができるかというのが
あるが、それと同等くらいに仕事場に時間通りに行けるかどうかが重要である。

先週の土曜日は、マンハッタンでSleep No Moreのピアノソロの仕事の後に
ブルックリンで歌のMichelle Walkerの仕事の2本があった。
久しぶりに焦った私がいた。
時間表示付きでその記録を留めておく。

因みに、Sleep No Moreは、6pm入り、6:20pm ~7:30pmの仕事。
Michelle Walkerは、9pm−12amの仕事。


5:10pm 家を出発。(普段であれば15分くらいでSleep No Moreの会場に着く。)
5:25pm Westside Highwayの渋滞にはまる。
      (時間にとても厳しいオフブロードウェイショーの仕事である。
       遅れたりすると、仕事を失う率が高まる。。。)
5:50pm  Highwayを出て、一般道に路上駐車。
6:00pm 最寄りの地下鉄駅まで走り、地下鉄に乗る。
6:15pm 駅を出て、タクシーに乗る。
6:18pm 会場到着。
6:20pm 演奏開始。
7:30pm 演奏終了。タクシーに乗り、車を止めた場所に行く。
7:40pm (普段であれば10分で着く所が、渋滞にはまる。)
7:45pm 渋滞にしびれを切らしタクシーを途中で降りて、走って駐車した所へ行く。
7:50pm 自分の車が何故か見つからない。
7:51pm 『あれ、おかしいな。』
7:52pm   『ストリート覚え違えたかな。』
7:53pm 『ないな。。』
7:54pm 『何故ないんだ。』
7:55pm  そういえば、2年近く前、初めてSleep No Moreの仕事を頂いた日に
車がレッカーされた事を思い出す。
7:56pm  またもやレッカーされたのかと、思い始める。
       (Michelle Walkerの仕事は、自分のKeybord持ち込みの仕事)
7:57pm  『やばい、やばい。』
7:58pm  Michelleに連絡を入れる。留守電にメッセージを残す。
7:59pm  『なんて日だ!!』
8:00pm  うなだれて、あてもなく1ブロック南へ歩く。
8:01pm  視界に、自分の車が飛び込んでくる。
8:02pm  『アーーーー!!!!!あった!!あった!!』
8:03pm  Michelleに慌てて、電話をする。留守電にメッセージを残す。
        『Ignore my previous message. I found my car!!!! I'm coming!!!』
9:00pm  渋滞にはまるも、ブルックリンの会場に到着。
        Michelleも若干遅れて到着。演奏開始。


おそらく家をあと30分でも早く出ていれば、
4:30pm  家を出る。
6:00pm  大渋滞にはまるものの、会場近くに難なく駐車。
        時間通りに会場入り。
7:30pm  演奏終了後、すぐさまブルックリンへ移動。
8:30pm  会場に到着。早く着いたので近くにある
       ダンキンドーナツでお茶でもしながら待機。
となっていただろうに、と思った。

2013年5月15日水曜日

カープールドラマ

以前、NJ州からNY州に向かう時に、
車に3人乗っていれば、カープール割り引きで
通過料が安くなる話を書いた。
http://dodotoru.blogspot.com/2011_06_01_archive.html
当時に比べて、料金は若干値上がりしたものの、
已然、一番安くNY州に行ける方法であるに違いない。

先日、昼間にマンハッタンでリハーサルがあった。
マンハッタンは、夕方6時以降は、無料で
路上駐車できるのであるが、
6時前にマンハッタンに行く時は、
車の駐車場所に苦労するので、
George Washington橋の入り口付近の
バス停まで歩き、バスに乗るか、
カープールしてNY州に入り、
地下鉄にのる方法で行く。

バス停でしばらく待っていたら、
カープールしてくれる車にありつけた。
50代後半と思われる、ヨーロッパ系の
訛りのある英語を話す女性が運転していた。
助手席に座った私。もう一人白人男性が
後部座席に乗り込み、橋を渡る。
見知らぬ人が乗り合うこのカープール、簡単な挨拶のみで、皆、押し黙っている事が
多いのだが、この女性運転手、割と、気楽な感じで
話しかけて来られる方であった。

橋を半分渡りきったあたりで、彼女は、
どこまで行くのか聞いてきた。

このカープール、このバス停から橋を渡った後、
すぐ出てくる、NYの地下鉄Atrainの駅入り口で
降ろしてもらうのが暗黙のルール。

私は、つい、調子にのって、
『East sideの66丁目あたりまで行きますけど、
もしかして、そこまで乗せていってもらえます?』

ジョークとして終わる話だと思っていたら、
『え、私もEast sideの59丁目まで行きますよ。
 よかったら乗っていきますか?』
と提案されてしまった。

見知らぬ人の車で、何があるのかわからない
危険はあると思うが、私は、
なんだか、大丈夫な気がして、
ありがたく、乗せていってもらうことにした。

(後部座席に乗られた方は、通常のAtrainの地下鉄で
降りられた。)

道中、彼女は、色々な話をされた。
彼女は、ユーゴスラヴィア出身で、
1992年からはじまった紛争を機に
幼い子供を連れて、外国に避難。
ヨーロッパを転々とした後、
14年前からアメリカに避難してきたという。
彼女の旦那さんは、祖国では、
弁護士をされていたらしいが、
アメリカに来てからは、英語も不自由で、
清掃の仕事等をして生計を立ててきたという。
旦那さんは、友人もおらず、
仕事と家の往復のみ。
子供が大学生になって、今後、
子供がどのような進路につくかわからないが、
落ち着いた所で、夫婦は、祖国に帰る
予定だという。
『この14年、ずっと、祖国の事を
思いながら、アメリカで過ごしてきた 』
と語った。

 音楽のために、アメリカに行かなくては
いけないのだ、みたいな感じで、
1995年に祖国を飛び出してしまった私との
あまりの境遇の違いに、言葉を失ってしまった。

目的地についた。
せめて地下鉄代くらいは、彼女に支払おうと
思ったが、彼女は、
『いいからいいから。よい一日を!』
と明るく挨拶された。
私は、感謝を述べて車を降りた。

 しばし、彼女の話の内容に呆然としながら
リハーサル場所に向かった次第。

2013年5月6日月曜日

いけいけとしょぼしょぼ。

今月は、オフブロードウェイショーのSleep No Moreでの
演奏の仕事が月の半分くらいを占めている。
2年前に始まって最近、公演回数900回を越え、
まだまだ続きそうな勢いである。
はじまってはすぐに消えるこの手の
ショービジネスで、これほど
人気が続いているのは、
たいしたものだと思っている。

最近は、日曜日も公演をするようになり、
公演スペースにレストランも2つオープンさせ、
(公演鑑賞前のお客さんの食事中に
ピアノソロの演奏の仕事もたまにさせてもらっている。)
成功しているところは、こうして、
ますます規模が大きくなっていくものなのだなと。
そういう現場にちょっと足をつっこんでいる
自分が好きだったりする。

一方、

この4、5年お世話になっている教会。
メンバー数の減少。高齢化。
資金不足。教会の建物の老朽化。
あげくに、建築法に対する違反と
その支払い滞納がたたり、
今月半ばまでに360万円をNY市に払わないと、
建物の差し押さえという最後通牒が
来てしまい、教会存続の危機に
陥っている。
 
最近になってなんとか、
NYの同じ宗派の教会本部から
資金調達し、その罰金の支払いに
あてれる目処がついたようだが、
いずれにしても、今後、どうやって
返済していくのか、教会メンバー一同、頭を悩ましている。
私も、何か、ファンドレイジングコンサートの企画を
立てるよう言われていて、知恵を絞らなくてはいけない。
こんな沈み行く船に、一緒に溺れて行く自分も
好きであったりする。


2013年4月28日日曜日

人見知り。

さくらは、人見知りだ。
私もそうであるからしょうがないのだが。
(私は年月かけてだいぶ克服してきたつもりだが。)


普段の散歩中、
周りに人がいない時は、
得意になって闊歩するのだが、
他人が視界に入ってくる途端、
すかさず『だっこだっこ!!』と
助けを求めてくる。

通りすがる人から手を振られても、
愛嬌をふりまく、等という芸当は
とてもできない。
抱っこする私の陰に隠れるか、
顔をしかめてじっとその人を睨むことしかできない。

昨日、George Washington Bridgeを上から
臨める小高い丘の公園に行った時、
韓国人のおばあさんとそのお孫さんと思われる女の子に
出会った。

 さくらは、いつものように
私に『だっこ』を要求した。

すると、その女の子は、
私達の方へ寄ってきた。
あきらかに、さくらに興味を持ったようだった。

私は、試しにさくらを
その子の隣に降ろしてみた。

さくらは、すぐさま、
逃げるように、
私に『だっこ』を求めた。

その女の子は、
またおばあさんのもとへ
戻っていった。

しばらくさくらを抱っこした私は、
休憩を兼ねて、
近くにベンチにさくらを座らせた。

しばらくして、再び、先程の
おばあさんと女の子が
通りがかった。

女の子がさくらに気づき、
歩みよってきた。そして、
さくらの隣に座った。

さくらは、その女の子に
『アンネ!アンネ!』と
意味不明な言葉を発した。

女の子は、特に
さくらに話かける事はなかった。
たださくらの隣に座っていた。

私は、こういう時の、
大人のたしなみとして、
その女の子に英語で少し質問してみた。

(子供を連れての散歩は、
他人から声をかけられる率が非常に高まり、
自然と私も話をする機会が多くなり、
自分の人見知り克服には大変役立っていると言える。)

『お名前は?』
『チーヴー。』
私は、いまいち、女の子の名前が聞き取れなかった。
『チーヴー?』
『違う、チーユー。』
『チーユー?』
『違う、チーヴォー。』
『チーヴォー?』
『そう。チーヴァウ。』

私は、彼女の名前の理解を諦め、
違う質問をしてみた。

『いくつ?』
『5歳。』
『この公園にはよく来るの?』
『わからない。』
まだこの質問の意味がわからないということなのか、
私の英語がひどくてわからなかったのか
その辺りの理解も私は諦めた。
とりあえず、
『この子は”さくら”っていいます。1歳半なんだ。よろしくね。』
と言ってみた。

『ナントカナントカ?』
『ナントカナントカ!』
少し離れた所から、おばあさんが女の子に
韓国語で声をかけて、女の子も韓国語で応えていた。
女の子は、ベンチを離れ、おばあさんの所へ戻った。
おばあさんは、私達に、
『コンニチワ』
と挨拶してくれた。
そして立ち去っていった。

 するとさくらは、急に私に、
ベンチから降ろしてくれとせがみ、
女の子の後を追って歩き始めたのだ。

先程の女の子は、頻繁に後ろを振り返り、
私達がついて来ているのを確認する。
再び、女の子は、走ってさくらのもとへ
戻ってきた。

その子は、左手首にピンク色の小さなハート型が
たくさんついたブレスレットをしていた。
その子は、そのブレスレットをはずし、
さくらに渡すそぶりをした。

さくらは、そのブレスレットをおそるおそる触った。
そして、なんともいえない
笑顔を見せたのだ。
女の子も笑顔を浮かべた。

 女の子は、ブレスレットを自分の手に戻し、
待っているおばあさんの所へ走って戻っていった。

おそらく、おばあさんは英語があまり得意ではないだろう。
女の子も幼稚園では英語を使っているのかもしれないが、
おそらく家では韓国語で話している機会がまだ多いのだろう。
私はいい加減な英語しかできない日本人。
さくらにいたっては、まだチンパンジーにも劣る言語能力しかない。

ただ、この日のこの瞬間、
彼らと私達はすごいところで、
繋がった気がした。
その事に私は痺れた。

さくらの人見知りも何か、
この日を境に改善するのかもと思った。



今日、知り合いの方に誘われて、
近所の日系幼稚園で行われた
無料リトミック体験コースに参加した。

さくらがどのように反応するか
興味があった。

しかしながら、
大勢の子供達に囲まれたさくらは、
その子達と交流をはかるどころか、
泣いては母親にしがみつくばかりで、
リトミックどころではなかった。

(私も、幼少時、とある音楽教室に
通った時期があったのだが、
グループレッスン時、ずっと母親に
しがみついていたらしいのだ。)

 まぁ、しょうがないか。
さくらは自分の子なのだ。

2013年4月25日木曜日

さくら18ヶ月

桜の季節になったが、
家のさくらも産まれてから18ヶ月が過ぎた。

このくらいの年齢の子は、
これが普通なのかよくわからないのだが、
とにかく外に出たがる。
ひとたび外に出ると、最低2時間は
外にいたがる。
少しでも外出滞在時間が短いと、
家に帰ってからごねて、
激しく泣いたりするので、
また外に出さないといけない。

最近の私の午後は、
妻が自宅でピアノの先生業をしている間の
さくらの散歩の御伴に費やされている。
(えてして午前中もそうだったりする。)
幸い、今住んでいるNJ州Fort Leeは、
公園が充実している。
  今日は、気候もよろしく、
George Washington Bridgeが
展望できる小高い丘の公園に行った。
そこには、野生のシカもいた。
そんな所を、さくらは、
2時間ほど、ひたすら歩いた。

夜に演奏機会がない日は、
私は、今、ほとんど、ハウスハズバンドである。

今日は、 広瀬未来君のCD発売記念ライヴが
あった。

夕方5時30分まで、
『ジッジがいたね。(鳥がいたね。)』
『大きいプップーが通ったね。(大きな車が通ったね。)』
等と さくらのお相手をした後、
さっとジャケットをはおって、Zinc Barへ向かい、
『Yo, What's up ,Man.』
の世界に切り替える。

 ジョンレノンは、ショーン誕生後、
育児に専念するために5年間音楽活動休止したらしいが、
私は、育児も音楽活動も継続してかないと、
育児も音楽活動も成り立たなくなる感じなので、
育児も音楽活動もがんばらないといけないのだ。

おそらく、自分は、今、人生で、
最も幸せな時間を過ごしているに違いない。

そう思って、やっていかないと
毎日が、かなりタフである。
タフになるとは思っていたが、
実際、相当にタフで、
笑うしかない。

2013年4月22日月曜日

信じる事。

何かを強く信じると、
ヒトという動物は、
何かとんでもない事が
できてしまう事が
言えるかと思うのですが、
信じるものによって
ヒト科の幸せに貢献する事もあれば、
よろしくない事にでると、
このたびのボストンマラソンテロ事件みたいな形になって、
ヒト科にとって何もいいことのない結果に
なるのを見た気がしてます。

(強いてめちゃくちゃな事を言うと、
ボストンレッドソックスは、今シーズンは、
優勝しなくてはいけない理由を得た感じがして、
もし本当に優勝でもしたら、
ファンの私としては、幸せになるかもしれないのですが。)

第2の故郷と思っているボストンで
起きた事件に動揺した1週間でありました。

2013年4月18日木曜日

Tuesdays Radioインタビュー 後半

Tuesdays Radioに私の後半のインタビューが
アップされてます。どうぞ。

2013年4月11日木曜日

4月9日

2012年4月9日。

私は、ジョギング中に転倒し、
右膝の皿を割る全治6週間の怪我を負った。
着替えもままならない、ほぼ寝たきりの生活を
送った。

2013年4月9日。

だいぶ右膝の感覚も戻り、
軽く走れるまでに回復した。
快気祝いというか、厄払いに
転んだ場所までジョギングして
やろうか、とも考えていた。

朝7時過ぎ頃
『ギャー!!』
とさくらの泣き声で起こされた。
いつもより泣き方が激しかった。

普段は、起きた途端から
歩き回るのが日課なのだが、
ひたすらお乳を求め、
母親にしがみついていた。
あくびも頻繁にでていた。

『まだ寝たりないのか?』

寝かせようとするにも、
激しくなきじゃくる。

とりあえず、ご飯を食べさせようとするも
いやいやをする。
好物のCheeriosにも手がのびない。

 因みに、我が娘、
産まれてから17ヶ月半、
一度も熱を出した事がなかったのである。
不死身の赤ちゃんなのだと
思い始めていた矢先であった。

『あれ、もしかして、おでこ熱い??』

買ってあったが開封してなかった
赤子用の体温計を慌ててこじあけ、
慣れない手つきで おしりから
熱をはかってみると、
39度。

さくら、人生初のおねつ。

さっそく病院に連絡。

暴れ回るさくらを羽交い締めにして、
病院で再び体温計測。
40度を超えていた。

泣きじゃくるさくらに
薬を無理矢理注入。
血液検査してもらうも、
特に異常なく、医師は、
様子見てくださいということで、
病院を出る。

薬を飲んで2時間くらいたつと、
さくらは、復活していた。
昼飯を平らげ、
家の中を歩き回り、
夕方には、外に出て
散歩した。

翌朝も普段のさくらであった。
原因不明の高熱ではあったが、
やはりこの娘、不死身なのかもしれないとも
思いなおしている。

それにしても4月9日。
死月苦日。
私にとっては、何かある日に
思えてしまってしょうがないのである。
(この日が誕生日の方や特別な記念日
の方もいらっしゃるのでしょうが。)

そうそう、4月9日。
最近、開局したインターネットラジオ
Tuesdays Radioに、私のインタビューが
アップされました。今週と来週2回、
最近の私の”感じ”が収録されてます。
さくらもたくさん参加してますので
どうぞ。
(因みに、モーツァルトのソナタは、
左手パートをさくらが弾いてます。
嘘です。私、こんがらがって、
全然弾けてませんでした。
お恥ずかしい限りでございます。)


2013年4月4日木曜日

4月

ナイジェリアから戻ってきた直後に、
とある信頼のおける筋から、
とある有名アーティストの仕事の可能性を言われた。
バイオと写真を送ってくれと言われて、そうした。
その仕事は、4月のほとんどがツアーになり、
ギャラもかなり高額提示されていた。

私は、少し、浮き足立ったが、
冷静に、こういういい話ほど、
可能性は低いと思い直し、
4月のスケジュールは、
このツアーの為に仕事を入れない、
等という事はせず、いつも通りに
組んでいた。


それから1週間が過ぎても、何も音沙汰がない。


そして、リハーサル予定日とされていた
明後日になっても何も連絡が来なかった。
そして、ついに信頼のおける筋からも、
どうやらないようだと報告が入った。

ちょっとしたエイプリルフールだったのかもしれないと
思ったりしている。
なくなって残念ではあるが、いたしかたない。
地道に、さくらの世話を見よう。

春は、昨年の右膝皿骨折の例をだすまでもなく、
ここ最近いい話がない。
気を引き締めて、4月を迎えたい。

(僭越ながら、北朝鮮国を運営している方々、これ以上無茶しないように祈りたい。)

2013年3月25日月曜日

国連で演奏

3月22日、奴隷制度廃止記念のイベントで
マーカスミラーバンド、Steel Pulse等と共に、
SOMIバンドも国連総会で演奏。
写真はとれなかったですが、とりあえず、
何かのご利益があるかと思い、
マーカスミラーと握手だけはしておきました。


 <サウンドチェック中の写真>
 <国連行ったらのお約束の写真>

因みに、日本国、最前列にテーブルがありました。
イランやイラクは最後尾に配置されてましたが、
アルファベット順だとは思うのですが、
もしかしたら違う順番で並んでいるのかもしれません。

もう一枚おまけ。

2013年3月24日日曜日

ナイジェリアツアー その6

おまけ映像2点
<Lagos空港へ向かう途中でタイヤパンク>
<弾丸ドライバー@Port Harcourt>

(因みに両画像で、主にしゃべってたり鼻歌を歌っているのが、ドラムのOtis Brown)

2013年3月21日木曜日

ナイジェリアツアー その5

帰国日。
Port Harcourt-Lagos-Atlanta-NJ

朝7時に、何時の飛行機に乗るのか
連絡すると言われていたが、
朝7時くらいに、腹の痛みで起きてしまった。
何が原因かよくわからないが、
激しくくだしてしまった。

8時30分を過ぎて、まだ
何も連絡が来ず、聞いてみようと
ホテルの据え置き電話に手を伸ばしたが、
電話は故障していた。

仕方なく、腹も調子悪いので寝た。

結局、10時30分くらいに
扉ノックで起こされた。
11時に出発、午後1時の飛行機に乗ると言われた。
再びトイレに籠った後、
色々と惨事が起きないよう、祈りながら、
チェックアウトした。

今回のツアー、SOMIは、かなりの部分を
自分でマネージングしていて、
あきらかに手が回っていない感じがありありで、
だいぶいらだっていたのが伝わってきたのだが、
極めつけは、バンドメンバーに渡すギャラを
この日空港への移動中の車内で、
ナイジェリアの通貨(ナイラ)を必死に数えていたことだ。
しかもその最中に、空港の両替係の知り合いに電話で
何度も、対ドルの値段を確認したり、
ドルはちゃんと準備されているのか
念には念をおしていた。
 厄介なのは、ナイラは、0の数が多く、
最終的にミリオン単位で数えないといけなくなっていた。

SOMIと今回のツアーの同行撮影係をした女性は、
仕事が残っていて、Port Harcourtに居残りで
バンドメンバーとお別れであった。
彼女達は、空港に入ることができない。
よってバンドメンバーが、結局、
ナイラの札束を持って空港で両替しなくては
いけなかったのだ。

さて、なんとなく予想されていたのだが、
SOMIの数えた額より、両替係が数えた額が
少なかった。

SOMIに連絡するも、
SOMIはSOMIで
そんなはずはない!
両替係は両替係で、
そんなはずはない!
の言い合いになった。
が、目の前で、3度も数えた両替係の方に
明らかに歩があった。

ナイジェリアの地方都市の空港ロビーで
替えてもらった米ドルをこっそりと
山分けするバンドメンバーの図。
何か悪い取引をしている人達の図である。

Lagosに着いて、すぐさま、
Atlanta行きの飛行機のチェックインをする。
前回、ナイジェリアに来た時に、
このチェックインが非常に辛かったのを思い出していた。
長い行列。預けて荷物、持ち込み手荷物すべて
開けられ、逐一チェックされる。
所持金を聞かれる。賄賂を要求してくる係員がいる等。
搭乗機待ち合いロビーに神経衰弱して
到着したのを覚えている。

ただ今回、こういうサービスがあるのかよく
事情はわかっていないのだが、
SOMIが、空港職員に内通している人を
我々一行に同伴させてくれて、
彼の権限で、一般の行列とは違う窓口から
チェックインをさせてもらい、
もちろん、手荷物検査諸々すべて行われたのだが、
ものの30分ほどで搭乗待ち合いロビーに到着した。
彼に、チップを$20くらい渡すように
SOMIから言われていたが、
$20でこのサービスが受けれるなら、
お金は使う時には使うべきだと実感した。


搭乗時間5分前くらいになり、
これで家に帰れると思った時、
『燃料補給で、プエルトリコに
立ち寄る可能性がありますので
ご了承願います。』という
アナウンスが入った。
『その際は、Atlanta到着に遅れが出ます。
乗り換え便に間に合わなくなる可能性もございます。
その際は、こちらで代わりの便の手配すべていたします。』
なかなか家に帰してもらえないと思ったものだった。
(何故、Lagosで燃料満タンにしていかないのだろう?
しかしながら、幸いにもプエルトリコに立ち寄ることなく、
直接Atlantaに到着した。)


移動中、ナイジェリアの公衆トイレ事情の
劣悪さを知る私としては、どうしても
行くわけにはいかず、我慢していたのだ。
飛行機に乗れば救われると思っていた。
搭乗後、その救いを5、6度得た。
久しぶりに私のお腹は完全に壊れてしまったようだった。

そういう中で、
『Dark Knight Rises』を見てそのあまりの重厚さに堪能し
『The Campaign』を見てそのあまりの下品さに笑い、
『Lincoln』は英語が難しすぎて寝てしまった。


Atlantaに到着した時に、
何とも言えない喜びがあった。
まだ家に帰ったわけではないのに、
安堵感があった。

New JerseyのNewark空港に到着した際も
雪が積もって寒かったにも拘らず、
私の心は、暖かかった。

家に到着した際も、
さくらは、最初の30分ほど、
私の顔を見て、硬直し、怖がって
『ママ!』
 と抱きついてしまい、
私が触ろうとするといやいやをした。
1週間も会わないと、忘れられてしまうものなのかと
少し寂しくもなったのだが、
それでも、我が家ほどよいものはないと
思ったものだった。
そんな事を思わせてくれた ナイジェリア。
凄い国だ。


(帰宅後は、お腹も徐々に回復している。)

2013年3月20日水曜日

ナイジェリアツアー その4

3月17日(日)。

ホテルに、目覚ましコールを朝7時にお願いして
あったのだが、電話がなったのは、朝6時であった。
止むを得ず、起きて、パッキングをして、
朝食をとり、8時にロビーへ。

車2台に分かれて、空港へ。
高速道路沿いで、私の乗った車のタイヤが
パンク。路肩に止めて、運転手が
スペアタイヤに取り替える。

10時すぎに空港に到着。
空港は大混雑。
しかも停電中で、エアコンが効いていない。
サウナ状態。
(ナイジェリアは国内線は3社あるのだが、
1社は、営業停止処分中。
もう1社はストライキ中。
唯一飛んでいる飛行機会社に人が集中しているのだ。)
11時発の我々の飛行機が最終的に出発したのが、
午後2時30分。

フライト前のアナウンスで、
混雑のため、預け荷物の一部は、
後発の飛行機に預ける事になると言われる。
搭乗後、窓から、フライトケースを載せた
カートが、どこかに移動していた。その中に
自分の荷物を発見し、気分が滅入った。


4時前に到着。
バンドメンバー一人を除き、皆、荷物が
届いていなかった。
予定では、後発の飛行機に積み込まれているはずだった。
しかし、その後発の飛行機にも
我々の荷物は届いていなかった。
航空界社から十分な説明がなかった。
現地の人達は、係員に詰めより、
口論をしていた。
つい、好奇心と暇つぶしに
この模様をビデオ撮影したら、
警備員が近づいてきて
『今録ったのを全て消せ!』
と言い寄られた。
はいはい、と素直に消去した。


予定では、6時から演奏開始であった。
ただ、ナイジェリアでは、6時といっても
実際には8時くらいになるのが通常であるので、
特に焦りはなかったのだが、さすがに、
6時近くになっても、我々の荷物が
届かない事に、不安が増した。


SOMIが、しびれを切らし、
『もう荷物はあきらめて行かないと』
バンドメンバーが、
『次の飛行機の到着を待とう。』
と言い合いになった時、
ついに、我々の荷物が到着した。
6時をまわっていた。

LagosからPort Harcourtは50分のフライト。
なのに、結局我々は、空港で合わせて、
8時間過ごした事になる。

Port Harcourt空港から演奏会場まで、
2台の車に分かれて向かう。
私が乗った車は、小型トラック。
助手席に、マシンガンを持った警官なのか
軍関係者かわからないような人が乗った。
運転手は、飛ばした。
何故それほどまで飛ばさなくてはいけないのか
理解に苦しむのだが、
時速100kmで、車線のない道を
バスをトラックをバイクを自転車を
クラクションをかき鳴らしながら
すりぬけるように飛ばした。
ウガンダでもタクシー運転手が
似たような運転をしたのを思い出した。
私は祈った。

 7時過ぎに会場に着き、サウンドチェックを行い、
8時前にホテルに着き、着替え、軽く夕飯を食べて、
結局演奏が始まったのが9時過ぎ。
それでもお客様は温かく聞いて下さったように思う。

  演奏後、その会場はダンスパーティーに。
スポンサーの方からシャンペンを振る舞われ、
その方の家に招待され、さらにシャンペンを
振る舞われる。ナイジェリアは、
シャンペン好きが多いらしい。

ホテルに戻ったのが深夜2時くらい。
SOMIから、明日のLagos行きの飛行機が
何時になるかわからない。翌朝7時くらいに連絡する。
と言われる。

ホテルの部屋はダンスミュージックが
爆音のように流れていた。
 『Gangnam Style』をナイジェリアで
この時間に聞くとは思わなかった。
ホテルの隣にクラブがあり、
そこからの音がつつぬけ状態なのだ。

しかし、幸いにも私は疲労しきっていた。
耳栓をし、寝れた。よく寝れた。

一日が2週間に感じられた。

 飛行機窓から見たPort Harcourt







ナイジェリアツアー その3

翌日、ホテルで朝食をとり、
ホテルのジムで汗を流し、
バンドメンバーでホテルの外に出て、
レストランで昼食をとり、
ホテルに戻って、サウンドチェックをし、
演奏し、夕食をとった。
ここまで完璧な一日であった。

Somiから、明日演奏する街
Port Harcourt 行きの飛行機会社が
ストライキに入り、代わりのチケットを
購入した。午前11時発。
8時にロビー集合と言われた。

外は、スコールが降っていた。
ドラマの始まりであった。

 ランチタイム
 DODO発見
DODO

2013年3月16日土曜日

ナイジェリアツアー その2

久しぶりに赤子と離れて、
一人でたっぷりと寝てしまったせいか、
起きた時に頭痛に悩まされた。
2度寝してみたが、頭痛が残っていた。
朝食をとりにホテルのレストランに行ったが、
時は11時。すでに朝食は終わっていた。
部屋に戻り、昼食の始まる12時を待っていた。
BBCを見て、新しいPopeのニュースを見ていたのだが、
12時ちょっと過ぎに突然テレビが消えた。
 停電だった。
バスルームの水も出なくなっていた。
しょうがないのでまた眠ることにした。
3時頃目が覚めたが、相変わらず停電していた。
4時30分ごろになってようやく電気が戻る。
9時30分ショー開始したが、
途中で再び停電。
アフリカらしいといえばらしいのだが、
停電はつきものなのですね。
すぐに復旧して事無きを得て、
無事にショー初日を終えた。
ショーが終わると頭痛が消えていた。
めでたしめでたし。


(写真右より、Michael Olatuja, Liberty Elleman,
SOMI, Otis Brown and Toru Dodo.)

2013年3月15日金曜日

ナイジェリアツアー その1

3月12日、ルフトハンザ航空で
夜7時10分発フランクフルト経由
ラゴス行きの旅程であった。

ところが、フランクフルトが大雪で空港閉鎖のため、
フライトがキャンセルということを出発数時間前に
知らされる。

すでにナイジェリアにいるSOMIの
指示を待つ。

  翌日昼頃に、デルタ便夕方6時15分発のアトランタ経由ラゴス行きか
ルフトハンザ便7時10分のフランクフルト経由のどちらかになるとメールが来る。
3時30分過ぎには家を出ないといけない。
ところが、まだ連絡がこない。

私はいまだにスマートフォンを持たない人であったので、
外出をするとメールを確認できなくなる。
妻に自分のメールをチェックしてもらうようにお願いして、
タクシーに乗る。

車にのって10分くらいたったころに、
妻より電話がきて、旅程が来た事、
デルタ便に決まった事を告げられる。
とほぼ同時に、SOMIから電話が来る。

『デルタがネット上で私のクレジットカードを
うけつけてくれないの。お金はすぐ送金するから、
Toru, 代わりにチケットの支払いをしてくれないかしら。』

やむを得ない。引き受けた。

空港に4時30分に到着し、
登場カウンターで、
この便に乗るバンドメンバー3人分のチケットを購入する。
恥ずかしながら、最初に提示した自分のクレジットカードが
クレジットリミット額を振り切ってしまい、
購入できなかった。
もう一枚のクレジットカードを使い、2枚に分けて
チャージしてもらい、ようやくチケットを発給してもらった。

ぎりぎりに飛行機に乗り込むものの、
私は、この段階で、相当精神をすり減ってしまった。

寝ようと思ったが、なかなか寝れない。

結局、 機内の映画を見ることにする。
日本語吹き替え版があって、そちらで見た。
よくわかって嬉しかった。

”Argo"
イランからカナダ大使館に隠れた、
アメリカ大使館職員を無事にアメリカに
連れ戻す任務を与えられたCIA隊員の活躍を描いた実話らしいのだが、
これを見て、自分のストレスなんていうものは、
彼のストレスに比べたら、全然たいした事ないと思え、
大分、落ち着いた。

"Life of Pi"
太平洋上をトラと漂流した少年の話。
 私のこの度の体験等、完全にふっとぶ程凄い
話であった。それにしても凄い映画であった。

”Silver Lining Playbook"
 前半はかなりよかったのだが、
後半、『Shall We ダンス』みたいな感じになって
ちょっとしらけたところもあったが、
最後は、しっかり泣いてしまった私。
この頃には、全く、私のストレスはどこかに
消えてしまっていた。

"Lincoln"も見てしまおうかとも思ったが、
寝てしまい、起きたらラゴスに着陸していた。
帰りの飛行機で見よう。

こうして今回のラゴスツアー開始。
気温32度。ビールが上手い。

2013年3月10日日曜日

ナイジェリアに行ってきます。

自分のWebsiteの改装工事も大分大詰めになってきた。
ブラウザのタブにdo&doのアイコンを入れられたことが、
個人的に嬉しい。あとは、Welcomeページのデザインを
変えてとりあえず、完成でしょうか。

というわけで、
来週の火曜から1週間、SOMIバンドで
ナイジェリアツアーに行ってまいります。
2010年11月以来、2度目のナイジェリア。
貴重な機会を感謝しますです。


2013年3月2日土曜日

1日が長い。

毎日毎日のこの充実ぶりに我ながら驚く。
朝はたいがい7時30分に起こされ、
絵本を読んだり、散歩に連れて行ったり、
昼飯を作ったり、昼過ぎに娘が昼寝をしたら、
その間に、夜ご飯を用意し、まだ時間があれば
自分のウェブサイトの更新をしたり、
娘が起きてきたら、再び、
昼ご飯を食べさせたり、散歩に行ったり。
妻の仕事が終わった後は、娘を妻に預け、
夜ご飯をかきあげ、ピアノを30分弱練習し、
仕事に出かけ、遅い時は深夜3時過ぎに帰宅し、
それで、翌日、7時30分に起きる。
今朝はどういうわけか、朝の6時30分頃、
娘よりも早く目覚めてしまい、この作文をしている。
16ヶ月の娘よ、早く学校に行ってくれないかとも思う、
今日この頃。
うー、眠い。うわ、娘が起きだした。。。

2013年2月18日月曜日

Website改装中

以前、使っていたWebデザインのソフトが
使えなくなってしまった為に、
torudodo.comの更新がしばらく出来なくなっておりました。

そこで、タグを自分で書けるようにして、この際、
サイトの改装工事もしてみようかと、思った次第。

というわけで、
torudodo.comのとりあえず日本語と英語の
表紙のページを見よう見まねで書いてみました。

 シンプル極まりないですが、とりあえずは、
こんなものでしょうか。

今後は、それぞれのメニューコンテンツも
ゆっくりと書き換えて行こうかと思ってます。

HTMLを学んでみると、楽しくなってくる感じはありまして、
調子にのって、JAVA スクリプトとかも学ぶべきなのか、
とも思うのですが、
以前、ジョギングを始めて、けっこう距離も走れるようになり、
スピードもついてきて、これは、NYマラソンとか出れるのではないのか、
等と思っていた矢先に、転んで、膝の皿を割るといった経験があり、
調子にのると、ろくな事がないのを学んだので、
このHTMLの学習もこのあたりで十分なのかとも
思っている次第ですが。。。

(まぁ、でも、JAVAを学んだところで、骨折はないか。
いずれにしても、 なんだか、料理を学びたてなのに関わらず、
嬉しくなって、友人を家に招待して
恥ずかしげもなく、不味いご飯を
振る舞っているような感じもあります。)

2013年2月8日金曜日

宣伝諸々

広瀬未来君の新しいCDが発売されました。
是非是非に!

(忘れもしません。昨年の4月、私、不覚にも
右膝の皿を割って、松葉杖でレコーディングに参加した
作品でございます。
サステインペダルを左足で踏んでます。
CDタイトルがスクラッチで、
少しびっくりしました。
英語で松葉杖がクラッチですからして。)


1月27日に行われた、平麻実子さんの
Blue Noteライブの写真と音源です。
お楽しみくださいませ。




2月5日に、日本からいらしたギラジルカさんの
Somethin' Jazz Clubでのライブに参加しました。
演奏開始1時間前のリハーサルで初めてお会いするといった
ギリギリの状況だったのですが、 歌声を聞いた途端、
何の問題もない事を確信したといいますか、
素晴らしい歌手に出会えた機会に感謝しました。

Eric Lemon, Geila Zilkha, Doug Richardson and Toru Dodo

2013年2月3日日曜日

さくら辞書

〜生後15ヶ月のさくら辞典より抜粋。


『はい』
   人にものを渡す時にでるかけ声。

『あぶ』
   水。水をちょうだい!

『あうあ』
   お風呂。お風呂に入りたい。

『あめ』
   外。外に出して!

『 あんぱん』
   あん饅。

『あんまん』
   お月様。

『あいあい』
   コンピューター。

2013年1月26日土曜日

Pete Zimmer Bandの映像

昨年9月、11月に参加したPete Zimmerバンドのライヴ映像です。
お楽しみくださいませ。

2013年1月18日金曜日

Websiteの更新

私のウェブサイトtorudodo.comは、
ウェブ制作専用のソフトウェア使って作っていたのですが、
1年半前にコンピューターを変えた御陰で、
そのソフトが使えなくなり、
ここ最近、サイトの更新がまるで、
できなくなっておりました。 

新しいソフトを買うべきかどうか、思案したあげく、
少し、HTMLを学んでみようと、思い立ち、
ネットでダウンロードした参考書を読み始めて
4日目にして、今日、少しだけ
サイトを更新できるようになった次第。
(本年も宜しくお願いいたします!
という文章を冒頭に入れただけなのですが。。。)


サイトのレイアウトを変更等といった
しゃれた芸当は当分、できそうにないが、
とりあえず、ソフトを買う事なく、
簡単な部分は、自力で更新ができそうな
手応えを得た事がちと嬉しい。


尚、今日、更新した際に、ファイル名を変更した為に、
『百々徹』でグーグル検索した際にトップに出てくる、
百々徹ーToru Dodo.comからは、日本語ページは
表示されなくなってしまいました。
torudodo.comからJapaneseをクリックしてくださいませ。

 (次の目標は、写真を更新できるようになることであります。 )

2013年1月17日木曜日

歩いた!

10日程前に、初めて、さくらが2歩ほど自力で
歩いたのを目撃した私は、興奮して絶叫したのです。
それに驚いたか怖がったか、さくらは泣いてしまい、
それ以来、歩くことがなかったのです。
ところが、昨日、1月15日、
何かひらめいたように、
突然、パッパッパッパッ歩き始めたのです。
今回は、自分の興奮を抑えて冷静に、
事の成り行きを見守ったのですが、
なんとも、幸せな気持ちになりました。
14ヶ月と3週間かけて、ようやくさくらも、
人間になってきたのだと感心した次第。

同じ日、SomiのライヴがDROMという所であったのですが、

演奏終了後、突然、バークリー留学時代からの友人の
アルトサックスの石崎忍君が現れ、驚いた次第。
なんでも、3ヶ月、NYに住むらしく、
この冬は、私も、彼と出歩く事が増えそうな予感。


お祝い気分で、さくらの初歩き映像も公開。

2013年1月10日木曜日

2013 はじまり

明けましておめでとうございます!

とりあえず、娘がようやく少しづつですが
歩き始めましたし、
私も、ようやく、ゆっくりと
ジョギング再開できるまで右膝が回復してきましたし、
この調子でいい感じで2013年開始っす。
 
写真、NYに住んでる日本人ミュージシャンの
新年会の写真。1次会2次会合わせて50人近く
集まったのですが、女子率高いっすね。