2011年12月27日火曜日

Burlesque 体験

12月24日、ロウアーマンハッタンにある
Duane Park Cafeで、初めて演奏した。
ここは、Burlesque ショーが行われている。
私、このBurlesqueというもの自体、恥ずかしながら知らなかったのであるが、
アメリカの古くからあるエンターテイメントらしいのである。
(最近またはやってきているという話も聞いた。)

乳首と秘部以外はすべて晒す女性の踊り子さん達が
音楽に合わせて踊るのを、食事しながら楽しむ場なのである。

(女性のすべては見せないところが、普通のストリップショーとは
違うらしい。)


12月24日ということもあって、演奏したのは、
クリスマス関連の曲が多かったが、
一枚一枚派手派手な衣装を脱いでいく女性を
目の前にしながら演奏したのである。
こういうことなら、普段からAVを見ながら
ピアノの練習をして備えておけばよかったかと悔やんだが、
実際その場に立ってみると、案外、
さっぱりと、しかもしっかりと盛り上げる所は盛り上げて、
演奏できたような気がする。


”Jazz"なる音楽、もともとは、
売春宿で演奏されていたものらしいし、
なんというか、『音楽』というのは、
こういう人間の根源欲求の近くに沿うように
あるものなのだなぁと、再認識したといいますか。


まぁそういうわけで、今年のクリスマスは、すっかりジャズっちゃったわけで。


写真は、Burlesqueで共演した踊り子さん達との写真、ではなく、
12月22日に演奏した、Pete Zimmer "Common Man" Bandの
Smallsでのライヴの模様をネットのストリーミングで
ご覧になってくださった大阪のJusoさんからメールされてきたもの。
(Pete Zimmer, Jerry Weldon, Mike Rodriguez, David Wong, Toru Dodoというメンツ。)

2011年12月19日月曜日

Happy Holidays!

今日は、ピアノ演奏させていただいている教会で、
クリスマスサンデーを祝ったのだが、
そういえば、もうそういう時期だったのだ。


2011年ももう終わる。
なんという年だったのだろう。


3月11日の東日本大震災。
日本ツアーで帰国していて、丁度オフ日、
新潟でうなぎをごちそうになって、名古屋へ
車に移動中に地震が起きたのだ。
満腹で眠りこけてしまっていて、
数時間後に携帯電話で起こされて事の次第を知った有様だったのだが、
無事に名古屋へ移動できた事は今にして思うと
なんと幸運だったかと思う。


その後アメリカに戻ってからは、
連日、その後の日本についてネットで情報を得た毎日。
津波の被害、放射能汚染の恐怖におののいた。


これと同時進行で、妻に宿った小さな命の成長を
ヒヤヒヤと見守った日々。
そして10月20日の出産。


思うに、10月20日から新年が始まった気分なのである。
だからあまり年末の気がしないのだ。
さくらと過ごし始めて2ヶ月が過ぎたのだが、
今は、そういう意味で2月が終わったような気もする。


ところで、この教会、一段と資金繰りが苦しくなり、
光熱費が払えず、ガスを止められ、電気ストーブ一つで礼拝を行っている。
この冬、上はシャツを5枚重ねにコート、下はズボンを2枚重ね
で演奏している。
今日は気温マイナス2度。
しかも途中で電気ブレーカーが上がり、ストーブは止まり、
全く暖をとることなく礼拝が行われた。
ピアノを弾く指が凍り付いて動かない、いわば冷温停止状態になった。


しかしながら、自分の中にいるもう一人の自分は、これに異を唱えた。
冷温停止などということはない。ありえない。
さくらの誕生、そしてさくらとの新しい生活を通じて
自分をつき動かす燃料棒は、今まさに2400度くらいに
熱を帯びているではないかと。


来年は、この燃料棒が、
肉体という格納容器を突き破って、
ある人には、危険すぎるからといってどこか疎遠にさせてしまうかもしれないし、
ある人には、たいしたことないからといって相手にもされないかもしれないけれど、
でもある人には、遺伝子レベルで今後30年以上も多大な影響を
与えられるようなパワーを放射してみたいと思っている。


Happy Holidays!!

2011年12月12日月曜日

2011 NIPPON SONG CONCERT


12月8日(木)に、NYCのVictor Borge Hallというところで行われた
NIPPON SONG CONCERTで演奏。
m2duo (Machiko Ozawa-Vln & Makia Matsumura-p)
Go-Zee-Lah(Kyoko Kitamura-voc & Yayoi Ikawa-p)
Yumi Kurosawa-koto
Mamiko Taira-voc & Toru Dodo-p
という日本人ミュージシャン4組が出演。
それぞれ、日本の歌をアレンジして演奏するという企画。
KyokoさんMakiaさんには初めてお会いできたし、
その他の方々には久しぶりにお会いできたし、
楽しい時間でありました。
皆さん、本当に才能に溢れている方ばかりで
お父さんすっかりやられてしまいました。


Mamiko Taira & Toru Dodoは、因みに、
堺正章、ユーミン、オリジナルラヴ、武田鉄矢の歌を
演奏しました。日本人が日本語で日本の歌を歌う事、演奏する事
なんて自然な事でしょう!


写真はTOMO YAGIさん撮影

2011年12月4日日曜日

時限爆弾

2時間おきに、ウンチして泣いておっぱいを欲しがる小動物を
外出させるのは、かなり苦労するものだ。
これまで、車で5分の小児科の検診に3度ほど通ったが、
いつも決まって診察中におしっこをしてしまい泣きわめく結果となっていた。

一昨日、妻の出産後の検診でさくらの産まれたHackensack病院に行く。
車で20分程の距離。おそらく生後最大の外出距離。
おっぱいを飲んで寝たのが丁度、診察予定時間の2時間前。
私は相当不安であった。
眠るさくらを車にのせ、病院へ。
病院の駐車場からさくらを抱え、先生のオフィスまで
歩く間、自分は、何か時限爆弾を運んでいるような気分であった。


さくらをとりあげてくださったLizabeth Kopp先生に
6週間ぶりに再会。妻の検診を終え、お願いして
先生にさくらを抱いていただいた時に
目を覚ましたさくら。



(そういえば、先生のファーストネームを拝借して
さくらのミドルネームにした事を報告するのを忘れてしまった。
先生の名前は、どうやらLizabethのようなのだが、Elizabethだと思っていた
私。さくらのミドルネームもElizabethにした次第。
この先生には本当にお世話になっております。)


会計を済まして駐車場に戻る途中に徐々に
顔つきが曇ってくるこの爆弾。
車に乗せた時に、ついに爆発。
泣きわめき、見れば、見事にカレー粉のような
ウンチがおしめ一面にしきつめられていた。
狭い車内でおしめ交換をし、帰宅。
(車走行中は割と泣き止むのが不思議。)
まぁ、病院で暴発しなかっただけ、上出来であった。


写真は、こんな事があった夜に参加したSOMIの
Jamaica Performing Arts Centerでのライブ、
控え室にて。左から、Keith Witty, Otis Brown,
SOMI, Nir Felder and 私。

2011年11月26日土曜日

1ヶ月が過ぎて。

相変わらずさくらネタである。
世の中に育児書や育児ブログが溢れている理由がわかった気がする。
何かこう、書きたくなってしょうがないものだ。


思えば、自分に0歳から3歳くらいまでの記憶がないことに気づく。
おそらく、この時期に記憶が一生残ったりした場合、
とても恥ずかしくて生きていけないからかもしれない。
さくらも、まさか、毎日10回近くも、女性の大切な部分を
眼鏡をかけたおっさんに覗かれて紙で拭かれている事などを
記憶していては、明るい青春生活を過ごせなくなるのではないだろうか。
自然の摂理というのか、うまくできているものだ。


そういえば、自分はペットを飼った試しがない。
団地育ちでペット禁止という事もあったが、
なにより、鳥類や猫アレルギー体質のために、
自分の健康のためにペットを飼えなかったのだ。
(夏祭りですくった金魚は一時期飼ったかもしれないが、
親が結局面倒を見ていたかもしれない。)
いきものの扱いに慣れていない自分が、
はたしてこの小動物を扱えるのか、危ぶむ声が一部
自分の両親サイドからあったのであるが、
こうして、小動物との生活が始まってみると、
意外に、お世話が苦になっていない事に我ながら驚く。
スカトロ趣味があるわけではないが、
ウンチオシッコ系の清掃、割と大丈夫なのだ。
赤子のウンチには大腸菌はいない、食べても大丈夫、
という説を提唱したいほどだ。
(赤子を抱いても鼻がむずかゆくなったり咳が止まらなくなる事が
ないことも大きい要因?)


ただし、幼児プレイの趣味があるわけでなかったので、
どうも”あやす”行為がうまくない。
何かと語りかけた方が発育にはいいらしいのだが、
何を語ればいいのか、見当がつかない。
しかも赤子には声のトーンを高くした方がいいらしいのだが、
『ーーーでちゅか?』等となかなか言えないものだ。
『さくら、君は今一体何を求めているのだい?
空腹を訴えているのかい?それとも排泄行為に不満があるのかい?』
こう問うたところで、なかなか泣き止まないことだけはわかった。



いずれにしても、母親の身体から出てくるミルクの前には
何も敵う物は無い。なかなか、さくらが泣き止まない時でも
(最近、この事態を、「さくら錯乱」と呼んでいる。)
パクっと母親の乳房をくわえさせるだけで、すっかり泣き止むのだから不思議だ。
オッパイプレイは嫌いではない自分も、このオッパイパワーのスゴさには
ちょっと舌をまく今日この頃。

2011年11月16日水曜日

眠れない街。


それほど子育てなるものが難しいものであるならば、
地球上に70億人もヒトが生息しているはずがないと、
自分に言い聞かせるのだが、
それにしても、夜の10時30分頃から明け方の4時くらいまで、
目を爛々と輝かして眠ることをしないで、
しゃっくりやら、おしっこやら、うんちやらを繰り返す
我が娘を前に、こちらもの疲労もピークに達する。

『頼む、寝てくれないか。』

まだ生後1ヶ月にも満たないこの小動物には、
とても通用しない嘆願。

試しにモーツァルトを聞かせてもベートーヴェンを聞かせても
やけくそでプロコフィエフの戦争ソナタを聞かせても寝ない。
とっさの子守唄を歌ってみても、目を閉じる気配がない。
あげくに声が枯れる程泣きわめいた後、突然、スイッチが切れたかのように
眠りに落ちるさくら。


眠らない街New York、いや正確には眠れない街New Jersey ストーリー。

2011年11月6日日曜日

2時間ごとのショー

最近は、自分の持ってた目覚まし時計が無用になった。
さくら時計が、毎2時間ごとに泣いて起こしてくれるからだ。


さくらの全身全霊をかけての食事タイムは、
毎度、さながら何かの興行だ。


上下歯茎を振るわせてオギャーと開始の合図。
まず、汚れたおしめの交換の儀式。
(おしめを外した矢先に、聖水を浴びせられるという
洗礼の儀式も頻繁に行われる。)
続いて、右乳からの授乳15分後、
ゲップのハーフタイム。
その後、左乳から授乳15分。
この後、乳を吐き出したり、
その際、呼吸が乱れ、しゃっくりが始まったり、
お腹がいっぱいで苦しいのか、いきんだりして
再び、おしめを汚したり。


お腹が満足し、眠りにつく間、
さくらの顔は、たまに微笑みの表情を浮かべるわ、
アホの坂田のような顔に変わるわ、
白目をむいて『うらめしやー』の顔になるわ、
目を閉じて荘厳な大仏のような顔つきに変わるわ、
まるでコロッケのものまね百面相芸のようにコロコロと変化する。
ようやく眠ったところで
このほぼ1時間にわたる(手こずると2時間)繰り広げられるショーが終了。


これを一日8回から9回行う。


心底ぞっこんのファンでないかぎり
ついていけない興行回数であるなぁと、
おしめかぶれしてしまったさくらの秘部に軟膏を塗りながら、
ふと思うのであった。

2011年10月29日土曜日

さくら後1週間

さくらの誕生から1週間が過ぎた。

日増しに、泣き声のピッチが高くなり、ボリュームも大きくなって来た感じがする。
産まれて間もなくの頃は、
『お腹がすいたよー。何かくださいませんか。』くらいだったのが、
最近は、
『腹へったって言ってるだろ。いい加減に起きてミルクくれ!!!』
に変わってきたかのように泣く。

なにしろ2時間おきにせがまれるので、
特に夜中は、こちらがきつい。
なんといっても産後まもなくで体力も弱っている母親には本当にきつい。

(今日は、どうにも眠くて、8時間くらい寝てしまった男親の私、
ごめんなさい。。。)

親業、体力ないとできませぬ。

2011年10月25日火曜日

百々さくら。

10月20日の夜、女の子を授かりました。


実は、昨年3月に辛い流産を体験しまして、
今回も妊娠が分かった時に、
また不幸な事になるのではないかという恐れとともに
出産を迎えました。

ずっと暗闇の中をもがいていた感じの私達夫婦だったのですが、
今回の誕生で、何か、ひとすじの光が差し込んできた思いです。

ただし、喜びも格別なのですが、
そういう余韻にひたる暇もないほど、
赤子の泣き声に、ふりまわされる
眠れない毎日であります。
子育てというのは、そういうものだとは聞いてましたが、
そうなのですね。


名前は、
百々さくら

英語名もつけようというこで、アメリカでは、
Sakura Elizabeth Dodo

と名付けました。
(さくらを取り上げてくださったElizabeth Kopp先生から
拝借した次第。)

これからここのブログにもたまに登場すると思いますので
宜しくお願いします。

2011年10月15日土曜日

Girl Shakes Loose Her Skin part 2


10月14日。

今年6月に参加した、Zakiyyah Alexander作
『Girl Shakes Loose Her Skin』という
創作過程のミュージカルの台本読み合わせ発表会の
2回目がNYにある脚本家養成学校New Dramatistsで行なわれた。
(Patricia McGregor演出、Imani Uzuri音楽、Toru Dodoアレンジとピアノ演奏)


今回は計6人の役者中、
主役含めて、ニューキャストが3人交代し、
リハーサルも限られた時間の中で
1時間20分ほどのショーを見事終えた。


俳優さん達の、そのあまりに早い学習能力、
あまりに凄い演技力に歌唱力に前回も感服したのだが、
今回も役者さん達のその才能ぶりに
ノックアウトされてしまった。


(いまいち、現場で、一人一人にどういう経歴があるのかを
聞くのもやぼったいので、こっそりと
ググってみたりしたのだが、
American Idiotというミュージカルの主役を張っている人だったり、
Lion Kingで歌っていた人だったり、
テレビドラマLaw & Orderに出演していたり、
たいした人達なのだというのを知る。)


彼らの歌に、ピアニストはピアノ伴奏しながら、
泣いている場合じゃないのだが、
リハから本番含めて、鳥肌たちまくって
目には涙が溜まってしまう連続であった。


(皆、素晴らしかったのだが、特に、今回主役をされた、
Rebecca Naomi Jonesさんの歌には、変な話だが
なんだかお金を払わなくてはいけない気がしてしまった。)


もちろん、自分がこういう方達と同じ現場で
仕事ができているという自分に酔っているだけなのだが、
アメリカすげぇと、こういう時に、思ってしまうのは確かなのだ。


(写真左から、Brandon Victor Dixon, Toru Dodo, Karma Mayet Johnson, Ayesha Ngaujah, Imani Uzuri, Rebecca Jones, Zakiyyah Alexander, Peter Jay Fernandez, McKenzie Frye and Patricia McGregor.)

2011年10月12日水曜日

”November 1st” & ”Sahara”’s Movie debut

10月11日。
Martin Flusserという方が監督された『the Patterned Scarf』という
短編映画に、私の"November 1st" と"Sahara"の2曲が
使われることになり、その試写会に参加。
この映画音楽を担当しているSugimoto Shinyaさんが、
(彼とは、一度共演したことがあります。)
私のCDを監督に聞かせて、気に入ってくださったとのこと。

映画は、離婚した中年女性が、ミステリアスなお見合いサイトで男性を探す話
でしたが、私の曲は、その女性が食事デートのシーンで、
レストランのBGMとして使われてありました。

自分の曲をビッグスクリーンで聞くのも悪い気はしないものですね。
今後は、なんでもサンダンス映画祭に出展して、好評を得れば、
長編作品にしていくらしいです。

The Patterned Scarf』のクリップ映像はこちら。

あ、そうそう、"November 1st"は、『116 West 238 St.』
"Sahara"は、『Do You Like Cappuccino?』に収録されてますです。

2011年10月7日金曜日

ロシア人に言われると。


•最近、ロシア出身のベーシストとデュオ演奏の仕事をしたが、
休憩中に、日本の放射能汚染を心配された。
チェルノブイリで原発事故が起きた時、
彼は現場からは、離れた街に住んでいたらしいが、
当時、放射能汚染に関する本を読んで、
事態のシャレになってない事を知ったという。
自分も、ネットの情報、しかも、
やばいやばいと言っているサイトを好んで見てしまう傾向があるので、

小出先生武田先生早川先生東海アマさんとか)

やばいのだろうと思ってしまっているのだが、
実際のところよくわからない。
彼は、日本には行けない、と言っていたので、
自分の祖国をそんなばっちい物扱いにされたくないなぁと
少しイラッとしたのだが、しかし、
インド人にカレーの事、イタリア人にピザの事、
アメリカの特に黒人ミュージシャンにジャズの事を意見されたら、
なんとなく反論できない感じに似て、
ロシア人に放射能汚染の事を言われたら、
やはり強く否定できないこの感じ、なんとかならないだろうか。


•パソコンこそずっとマックであったが、(といっても長年、
妻のパソコンを拝借させてもらってきただけなのだが)
電話とテキストメッセージができるだけのプリペイド携帯を使って
月に料金を$20くらいしかつかっていない私、
i-podも昨年初めて買ったくらいの私が、
スティーブジョブスの事を語る資格はないなぁと
思っている。


•US-Africa Business Summit で演奏というSOMIの仕事で、
ワシントンDCに行った。オバマ大統領がもしかしたらスピーチを
するかもという話であった。しかし、結局、来られなかった。
会場は、ワシントンヒルトンホテルだったのだが、
ここの入り口で、昔、レーガン大統領が撃たれたという。
とりあえずオバマではなく、このホテルを記念に写真をとってみた。



•ネットで見つけた、在日フランス人向けの食品汚染注意をするお知らせの
日本語訳サイト。心頭滅却してここに貼付けておきます。

2011年10月4日火曜日

宗教と音楽





週末に、ブロンクスの黒人教会のイベントで演奏を頼まれた。
歌にImani Uzuri、サックスにJaleel Shawと私というトリオであった。


いわゆるゴスペルを演奏する際、
自分が、キリスト教を信じる信じないはともかく、
なんというか、音楽の起源というのか、
つまり、人間が信仰とともに、音楽(特に歌)が共存していたという事を
実感する。


(自分の音楽を学んでいった過程というのは、
バイエルからチェルニー、ソナチネ、ソナタといった、
譜面に書かれたピアノノ楽譜を読んで弾くという作業の連続であって、
音楽そもそもの成り立ちの部分というのは、よくわかっていなかったかも
知れないと思う。)


特にアフリカ系の歌手の人が歌う時の、その伝統的な節回しというものに
『伝統』を見るわけで、
それをアジアの東のはずれにある国出身の私が、ピアノ伴奏する作業は、
時に困難を覚えるのであるが、なんというか、ユーチューブのおかげで、
色々、自宅で、研究できたりするので、有り難い世の中ではある。

(貼付けた画像は、自分が演奏の参考にしたもののひとつ。
この歌の人、めちゃめちゃ凄いなぁと、いつも思います。)


しょせん、自分は、物真似をしているだけかもと思いつつも、
実際、現場で、素晴らしい歌手が歌っているのを聞くと、
なんだか自分も突き動かされて、熱く、弾いてしまう。
この時は、特に、信仰とかどこの国出身とか消えてしまっている。
錯覚かもしれないあが、音楽の根源に少し触れた感じを覚える。


人間の歴史と共に、宗教があったのなら、
音楽もあったわけで、
ちょっと世界の音楽研究の目的で、
イスラム教会やヒンズー教会、
仏教、神道他、あらゆる教会に出入りしてみたいと思ったりもするが、
こういうのは人間としてあまりに節操がないかもしれず、
とりあえず、自宅で、あらゆる宗教の音楽をユーチューブで漁ってみようかと
思ったりしている。

2011年9月29日木曜日

平麻美子レコーディングセッション&レッドソックスの歴史的敗北。

平麻美子レコーディング

9/27&28の2日、平麻美子さんのレコーディングセッションに参加。
ヴォーカルとピアノのデュオがメインで、トランペットの
広瀬未来君が数曲ゲスト参加。
私にとっては、デュオCD録音というのは初めての事で、
アレンジ能力、ピアノの演奏能力が試された、実に充実した時間でありました。
出来上がりが楽しみであります。


レッドソックスの歴史的敗北

28日のレコーディング中、どうしてもレッドソックスの試合が気になって、
平さんには申し訳ないと思いつつ、
エンジニアの方のインターネットをお借りして試合をちょこちょこ追っていたのだが、
レコーディングが後半に入っていた頃、まだレッドソックスは最下位のオリオールズ相手に3−2で勝っていたし、
レイズは早くにプレイオフ進出を決めていたヤンキース相手に7−0で負けていたのだ。


ところが、レコーディングが終了近くには、
レイズが8回裏に一挙6点、9回裏2アウトからホームランで7−7の同点にして
延長戦に入ったのを知る。かなり動揺したのであるが、
レッドソックスは3−2のまま9回の守り、抑えのエースが投げていたので、
まぁ、なんとか勝てるかなと思っていた。


しかしながら、願い通じず、
帰りの車のラジオで、レッドソックスはサヨナラ負け、レイズはサヨナラ勝ちを
したのを聞いた。これにて、レイズがプレイオフ進出決定。
外は大雨、私の心も大嵐であった。



レッドソックスは、
8月末にはヤンキースとアリーグ東部地区の抜きつ抜かれつの首位争いをしていた。
3位のレイズとは10ゲーム差くらいあった。

ところが9月に入ってから途端に調子がおかしくなり、負けが続く。
公式戦160試合目でレイズに追いつかれ、
最終試合162試合目にしてプレイオフ進出さえ逃してしまった。
優勝した2004年以前の情けないレッドソックスを
彷彿させる、見事なまでのダメダメな2011年のシリーズであった。

まぁ、レッドソックスの選手なんてものは、
別に明日から飢えや内乱や津波や放射能で死ぬなんて可能性のない、
私よりも、何万倍もの収入を得ている大金持ちの集団なのであって、
私が心を痛めることのない、心配するだけ無駄な事には違いないのだが、
なんなんでしょうか、このファン心理というものは。
残念でなりません。

2011年9月20日火曜日

Red Sox & Sleep No More

1)野球の事等、自分の人生にはまるで関係ないのだから
熱中することほど時間の無駄はないと常に言い聞かせてきたのだが、
さすがに、ここに来て、あまりのボストンレッドソックスの凋落ぶりに
一筆したためないといけない気がしてきた。


今シーズン開幕早々は調子が悪かったものの、
9月の1日まではほとんどアリーグ東地区の首位を走ってきた
ばかりか、ある時期は大リーグで一番いい成績を誇っていた。
今年は2007年以来の優勝だろうとまで思っていた。


ところが、9月に入ってから大スランプ。
首位どころか、9月1日の時点で8ゲームくらいの差をつけていた
ワイルドカード枠も今日19日の時点で1ゲーム半まで追い上げられている。


今年はあまりのレッドソックスの好調ぶりに安心して、
それほど野球にかまっていなかったのだが、今となっては
心配で心配でしょうがない。
残り2週間弱。せめてワイルドカードには残ってほしいと
ここに書いてしまった。まぁ、野球の事等、
自分の人生には関係のない事だと必死に言い聞かせてはいるのだが。


2)Sleep No Moreの演奏の仕事を再びいただき
先週末3晩連続でピアノを演奏してきた。
先月初めて演奏させていただいた時、車がレッカーされて、ばたばたしてしまい
ほとんどショーを見る事ができなかったのだが、今回は、
じっくりとショーを拝見させてもらった。


元クラブだったところを改造して作られた
6階建てのビルディングの中に、舞台が設営されていて、
お客さんは、マスクをつけて、
ビルの中を勝手に歩いて廻る。
役者さん達が、マクベスをベースにした物語が
各階、各部屋でショーを展開していて、一回行っただけでは、
おそらくすべての演目は見る事はできないであろうという感じ。
薄暗い会場内で、
アクロバティックでセクシーな踊りありの、
全裸の男女が登場するの、
おどろしい儀式があるの、
なかなか面白かった。


このショーの特筆すべき所は、
内部の写真、ビデオ撮影絶対禁止。
ウェブサイトもあまり情報を出しておらず、
メディアへの広告もほとんど打っていないらしい。
ほとんど口コミで今年の3月開幕から6ヶ月で
毎日売り切れだという。
いわゆるセレブの方達も多く訪れ、
実になんというかNYらしいスポットになっている。


僕が演奏しているのは、ひととおりショーを見終わった人達が
唯一マスクを外してくつろぐバー。ピアノトリオと歌手が
1920−40年代の流行曲を演奏する。
演奏者それぞれ仮名で出演していて、
私は、『Danny Jones』という名前いただいた。
今月はあと3晩程演奏する予定。

2011年9月15日木曜日

ひまわり

3月の大震災から日本国政府は、特に、放射能汚染に関しては、これまで
一貫して国民にポジティブなメッセージを送って来たのだと思う。

『直ちに健康に影響はないのです。』
『このレベルの汚染であれば、毎日食べても大丈夫なんです。』

事故を起こした福島の原子力発電所周辺の街並を
『死の街』と表現した大臣には厳しく咎め、
努めて、安全平和をアピールしてきた。

ただし、この世に絶対はないわけで、
これまで、どんな政府の安全メッセージに対しても
多かれ少なかれ、本当かなぁ?という疑念を抱いてしまったように思う。
少なくとも、私は、ネット上で、放射能絶対危険説を散々チェックしてきているので、
なおさら政府の言う事が信じられなくなってしまっている。


国が計測した、各地の放射線量の数値、各種の食物検査の数値や
住民の被曝検査の数値等が発表されても

『ちょっとごまかして低目に計測しているのではないか?』

という疑いの目を注がずにはいられない。

そんななか、
今日のニュースで、農林水産省から
ひまわりの除染効果は低い、という実験結果が発表された、というのを読んだ。
ネット上で、除染にはひまわりを植えるといい、というのを
読んでいたので、この政府の発表には私は目を疑ってしまった。
記事中にも,

 南相馬市で仲間と農地60ヘクタールにヒマワリを植えた農業、渡部有三さん(72)は「チェルノブイリ事故の際に効果があったというのは常識なので、今回の結果は信じられない」と驚きを隠せない様子。


とあり、政府を疑う姿勢が読み取れる。
私も、いや、そんなことはない。
ひまわりをもっと植えていかないといけない、と思ってしまった。

ひょっとしてこのニュース、震災後、初めて政府が出した
ネガティヴなメッセージなのではないだろうか。


もしかすると、政府は始めから治安維持のために、
こういう作戦を練っていたのではないだろうか。


まず震災から半年は、ひたすらポジティブ路線を打って、
国民を疑心暗鬼に陥らせる。政府への不信を増幅させていく。
その後、ネガティヴ路線に変更。

『この食品を食べ続ければ、5年後に必ずガンが大量に発生します。』
『もうこの土地には永久に住めません。この街は今日から”死の街”と改名します。』

すると国民は既に政府が信じられないので
『いや、そんな事はない。よし、俺は東北の野菜毎日食べるぞ!』
『死の街だって? 嘘つけ、よしその街に住んで”生の街”に改名しなおすぞ!』

となって、なんだかんだで、皆が
いい具合にうまく事が収まるのを狙っているのではないだろうか。


『ひまわりの除染効果は低い。』のニュースは、
震災から半年が過ぎた事を契機にして
政府がシフトチェンジした第一報なのではないだろうか。


私は、もう何がなんだかわからないのです。

2011年9月13日火曜日

祈り

私がこの2年ほど、毎週日曜に演奏させていただいている教会は、
建物の老朽化が進んでいて、セレモニー中にたまに壁の一部が
崩落することがあったりして、本当にひやひやするのだが、
しかし修繕するにも、新規参加者の減少や、常連の信者の高齢化が進み、
かなり厳しい財政状況でどうにもならないらしい。


そもそも、自分の宗教は何かと問われると
もしかすると何も信じていないとも言えるし、
その気になれば何でも信じれるという感じもあるし、
なにしろいい加減なものなのだが、
そんな私を、参加者のほとんどが黒人というこのキリスト系の教会は、
ピアニスト/オルガニストして雇ってくださっているのだ。


私の仕事は、演奏である。
プログラムに指定されたミサをつつがなく演奏して
皆さんが気持ちよく歌ってくださればいいことになっている。
セレモニー中、皆で手をつないで輪になって一人か二人が、
お祈りするコーナーがあるのだが、そういう時も、
私は、輪には加わらず、静かにBGMを演奏すればいいことになっていた。
とりたてて私の個人的信仰を試されることがないところが、
私にしてみれば有り難く思っている所であった。


ところが、先日のセレモニーで、
天候が悪かったせいか、いつもより参加者が著しく少なかった。
皆で手をつないで輪になるコーナーもあまりに輪が小さく
寂しく思ったのか神父が、『Mr. Dodoも輪に加わって。』と誘ってきた。
私は断るにもいかず、輪に加わり、目をつむってみた。
神父は、『今日は、この教会の復興を皆一人一人お祈りしましょう。』と言った。
繋いだ私の両手はとたんに緊張で発汗した。


一応、私の英語は、日本で中学、高校、大学での英語の授業、
さらにはNHKの『ラジオ英会話』、ボストン留学、そしてNYでの音楽活動、
ハリウッド映画やSaturday Night Live等を
通じて培ってきたものである。
しかし、この時初めて、私はこれまで、
『お祈りの英会話』のレッスンを全く受けて来なかった事を悟ったのである。


まず、どう祈ればいいのか。。。。。
そしてどういう構文を用いて祈ればいいのだろうか。
いやぁ、本当に、何を言えばいいのやら、
神様、お助け下さい、という気持ちであった。


次々とお祈りが進む。
本当に感心するのだが、皆、即興で実に見事なお祈りをする。
ついに左隣の人がお祈りを終えた。


しばしの沈黙。


右隣の人と目が合ってしまった。
『何か言いなさい。』と言うかのように目配せしてきた。


人生初のお祈り。



『Dear God,

You know the situation we face. we don’t know what to do. We release our need and our anxieties to you right now and ask that you give us your peace that surpasses understanding, and the wisdom how to resolve our circumstances. Enable us to patiently await your timing for the resolution of the problem and what we need to be doing on our own in the meantime. In the name of Jesus, I pray. Amen.』


みたいな事は決して言っていない事は神に誓って確かである。

自分のお祈り後、何事もなかったごとく右隣の人がお祈りを始めた。
セレモニー終了後も、特に、周りの人の態度が特に変化したということもなかった。
しかし、どうにもこのままではいけない気がして、家に帰って、
祈りの例文なるものをグーグルしてみたりしたのだが。

2011年9月2日金曜日

Irene

先週末NYをハリケーンIreneが襲った。


NYにハリケーンが上陸する事等めったにないことなので、
警戒するように前々から散々ニュースで報道されていた。


NY市長が、ハリケーン上陸前から公共の乗り物をストップさせ、
海や川沿いの住民を強制避難させる処置を取った事、
昨年、ちょっとした嵐が来た時に、家が1日断水した事、
家の近所で3日ほど停電した事を思い出した事、
さらにNYで何十年ぶりの地震があったばかり、
これはなにかやばい兆候なのではという変な虫の予感、
以上が加わって、私は少なからずパニクった。


ハリケーン上陸3日前の夜にスーパーに買い出しに行ったら、
店内にペットボトルの水がほぼ売り切れ状態になっていた。
昨年の断水の記憶があるこの街の住人が一挙に買い出しに来たのであろう。
これがさらに自分のパニック度をあげた。


2日前には、混雑するスーパーに再び出向き、
水を大量に買いこみ、食パンを買い、
レトルート食品やカップ麺を買い、
電池を揃え、ラジオ、懐中電灯を確認し、簡易式ガスコンロを確保し、
車のガソリンを満タンにした。
ハリケーン上陸当日の土曜日は、
早々とシャワーに入ってから、
風呂場に水を張り、家中の鍋薬缶に水を貯めた。
最悪、家から避難しなくてはいけない場合の
近所の避難所の住所も確認した。
我ながら準備万端という思いだった。
電気や水が止まっても、最低3日は自力で生き延びれる自信はあった。


IreneのNY上陸は土曜の深夜から明け方という。
午後から雨足が激しくなった。
ニュースに聞き耳をたてて夕食をすませた。


夜の8時過ぎに、電話がなった。
バークリ−留学時代の同級生からである。
『Catskill(NYから車で3時間ほど北の街)での仕事の
帰りの運転中なんだけれど、もしかしたら
ブルックリンの家まで道路封鎖で帰れないかもしれない。
今晩、急で申し訳ないけど、もしかして泊めてもらってもいい?』
という。


私の家は、北方面から南下して、ニューヨークシティに
入る前の途中にあるのだ。


こんな日に仕事をしていたのか、と思ったが、
『こんな日に仕事してるのもなんなんだけど。』
と先に言われてしまった。
私の無二の友人の頼みである。
『もちろん。』
と答えた。
と答えたのではあるが、私は、この時、
自分と妻の2人が3日分のみ生存できる量しか
備えはなかった事を思ったのである。


さらに雨や風がひどくなってきた10時頃、
彼が到着した。
駐車場から家までの間を歩いただけで、すでにずぶ寝れである。
『シャワー使うかい?』
と言ってみたものの、風呂には水を張ってあるのを抜かなくてはいけないのを思った。
しかし、水を抜き、
『まだ断水してないうちに、早く!』
とせかすようにしてシャワーを使ってもらい、
その後、すぐさま水を貯めた。


11時過ぎて、一段と雨がひどくなってきた。
ニュースでは、NJ州ですでに何万世帯が停電しているといっている。
しかし、我が家はまだ停電はしていない。

翌日の朝食の事を考えた。

レトルートーカレーが6箱ある。
妻と2人で3日分の予定だった。
しかし、しかしである。
電気のあるうちにやれることだけやろうと、
ご飯を3合炊いた。


しかもこの日、竜巻警報が出ていた。
私の家は、割と高台にあるので、洪水の心配はしなかったが、
もし、竜巻が来たら、おしまいだと思っていた。
しかし、今住んでいるところは2階建てで、普段は2階で寝ているのだが、
竜巻で吹き飛ばされるのは、2階の屋根からだろうという予想をたて、
今晩は1階で寝ようと決めていた。
しかし、彼と3人で川の字になって寝れるかと自問した。
そこで彼は1階で、私と妻は2階で寝た。


窓に叩き付ける風の音に何度か目を覚ます。
寝苦しい夜。

翌朝。


風は強かったが、雨は止んだようである。
ハリケーンは北東に抜けて行ったようである。
陽もさしてきた。


ありがたいことに電気も水も使えた。


昨晩炊いた米にレトルートカレーをかけて、皆でいただいた。
なんともいえない安堵感に満ちていた。

昼過ぎ、ブルックリンエリアは、大丈夫とのニュースを確認し、
彼は無事帰宅した。


もし、仮に、電気が止まり、断水してしまった場合、
食料も水も段々と底をついていくなか、
私は彼にどのような行動を迫ったのかと思うと寒気がする。
もう15年近い交流のある親友に対して、
家に帰ってくれ、と言えるのだろうか?
なんだか極端ではあるが、どこかに漂流してしまった船上で、
最も弱った船員を皆で食べて生き延びたという話が頭をよぎった。
ハリケーンIreneに、色々と人間を試された。


このハリケーン、死傷者の数がとても少なかったものの、
NJ州自体は、なにげに被害が大きく、
もうハリケーンが過ぎ去ってからすでに4日が過ぎても停電しているところがあるし、
水かさの増した川が氾濫して、洪水で街が水没し、ハリケーンの去った後に
避難せざるを得ないエリアもあったらしい。
けっこうしゃれになっていないのだ。


電気も水も大丈夫であった我が家も、
実はハリケーンの去った翌日の朝から、2階の天井から水が漏れてきた。
見れば、天井の一部が、おそらく屋根からしみ込んだ水が入り込んだせいで、
ブヨブヨにふやけてしまって少し垂れ下がってきてしまい、
そこに2センチ程の穴が水圧で空いてしまったようで、
その穴から雨水がポトポトと落ちて来たのだ。
家のオーナーに電話してるが、4日たってもいまだに修繕の手はずがついていない。
次ぎに大雨が降ったら、天井が落ちてくる可能性を心配している。
ハリケーンIrene、なかなか手強かったのである。







(ベースのワキさん、ネタにしてしまいました。すみません。
一晩共に過ごせて思い出深い台風になりましたです。
また遊びに来てくださいませ。天気のいい日の方が助かるかもですが。。。)

2011年8月27日土曜日

ハリケーンIreneが来るらしい。

大型ハリケーンが週末来るというので、
木曜の夜に近所の大型スーパーに水や食料、電池等を買いに行ったのだが、
すでにガロン水は売り切れていて、人々はマジで備えているのだと
認識した。
金曜の昼にはニュースで、土曜の昼からNYの地下鉄バスを運行停止、
NJの高速道路も、南側方向は封鎖とか。
川沿い等の低い土地にすむ住民に強制避難命令が出たらしいし、
かなりマジみたい。
今日も、またスーパーに水、それからレトルート食品等買い加えた。
土曜の夜から日曜にかけてひどい事になるらしいのだが、
果たしてどうなりますやら。


2011年8月25日木曜日

NY地震

8月23日(火)午後2時前。
125ストリートのブロードウェイを超えて東に向かっていた。
ハーレムに住む友人宅に向かう運転中だった。
信号で止まった時、何故か車体がブルブルと縦に揺れているのに気付いた。


エンジンの故障か。
この車ももうなんだかんだ6年近く乗っているし、
ついにガタがきたのか。
先週はレッカーされたし、ギグはキャンセルされたし
今週は、車の修理かと。
うぉー、お金が飛ぶ。助けてくれ。


渋滞している。少し進んで、またブレーキをかける。
相変わらず車体がブルブルと縦に揺れていた。
ちょっとブレーキを強く踏み込んでみた。
すると車体の揺れが止まった。


ブレーキの問題なのか。
だとすればまだしも、もしエンジン自体の問題だとすると
修理代は高くつく。困ったなぁ。
でもやはり検査に行くべきかしら。


周りを見ると、多くの人が路上にあふれていた。
パトカーも多く見る。
何か事件でもあったのかと。
かつてハーレムで銃撃事件に遭遇したこともあったし、
またそういうのが起きたのかもしれない。


友人宅に近づき、路上駐車場所を探す。
友人の住むアパートの前を過ぎると、やはりここも
多くの人が路上に出ていた。
友人もその中にいて、どうしたのだろうかと思った。


友人宅から数ブロック離れた所に
駐車場所を見つけ、駐車。
レッカーされた後の自分は、ここが
本当に路上駐車出来る所なのか確認に確認を重ねるものだ。

駐車ルール表示ポールには、
午前9時から11時30分は、道路清掃のため
駐車禁止と書いてある。
今は午後2時だ。
午前9時から11時30分は駐車しては駄目だと書いてある。
今は、午後2時だ。午前11時30分から2時間30分経過している。
ということはここは駐車しても良い場所のはずだ。
もう一度表示を見た。
午前9時から11時30分は、道路清掃のため
駐車禁止と書いてある。
今は午後2時を少しまわったあたりだ。
おそらくここに駐車して大丈夫だろう。



その後、
相変わらず玄関前にいた友人から
バージニアでM.5.8の地震があったことを知らされた次第。
地震等めったにないNY。多くの人が外に避難して、
皆一様に地震体験を話し合っている。
NYに住み始めて、911も大停電もそして
67年ぶりの大地震も体験してしまった次第。
車の故障ではなかったと少し安堵。

2011年8月22日月曜日

Sleep No More

さえない週末であった。


まず21日(日)に
ノースカロライナ州で行なわれる予定だった
SOMIの仕事が17日(水)になってドタキャン。
日曜はここ2年ばかり教会の演奏の仕事をさせてもらっていて、
SOMIの仕事があるということで、お休みにしてもらっていたのだが、
キャンセルになったので、急遽、教会で仕事させてもらうお願いをして
了承されて、まずは、安堵。


急遽19日(金)に、“Sleep No More"というオフブロードウェイショーで
ピアノを弾く代役を頼まれて行くも、駐車した車が、
警察に牽引されてしまい、頂いたギャラよりも払った罰金の方が多かったという
情けない有様。


20日(土)に、教会から、近年の財政危機から
21日(日)はお休みしてほしいと言われてしまう。
この教会の仕事もいつまで続くのやらで、久しぶりに、
百々徹経営危機意識が芽生えてしまった次第。



それにしても仕事に行った先で、車を駐車違反で牽引されてしまうのは
けっこうこたえる。(人生で3度目かしら。)


マンハッタン内は、午後6時以降は無料で路上駐車できる場所が多い。
19日の仕事は、West 27丁目の10avenueと11avenueの間。
たいがい、マンハッタンの西や東の端側は駐車しやすいもの。

案の定、僕が会場に着いた頃には、
会場の前の道は、すでに多くの車が駐車してあった。
スペースを見つけ、難なく駐車。

駐車ルールを知らせるポールの看板を確認した。
6pm以降駐車可能であった。
その下に黄色い張り紙があったので、読んでみた。
来週の火曜の夜は映画の撮影で道路封鎖するので
駐車禁止と書かれてあった。
今日は金曜日、問題ない、と余裕で会場入りした。


この日の演奏は8:30−10:30pmと
12:30am-2:30amの2セット。
休憩時間が長いので、バンドメンバーと外にご飯を食べに行くことになった。

鼻歌まじりで、会場を出た。
何故か道がひっそりとしている。
自分の車が消えてしまっている事に気付くのに
数秒もかからなかった。
鼻歌が止まった。




駐車のルールを知らせる看板をもう一度確認した。
すると一番上にもう一つ表示があって、夜の10時から朝の6時までは
駐車禁止と書いてあったのだ。ひとつのポールに3つも表示があるとは。。


動揺を隠せず、バンドメンバーにご飯は失礼すると告げ、
交通課に電話したり、妻に電話したりして、
車がどこにあるかを確認した。
見事に警察に牽引されてしまっていたのだ。


『今日はいったい何しに来たのだ!』
『今日はそもそも出歩かなければこれほどのダメージはなかったのではないか!』
『ギグで一番重要なのは、車を牽引されない事ではないだろうか?』
『バークリー音楽院では、駐車ルールの看板を読むクラスがないのは問題ではないだろうか?』
『今日はいったいどうやって家に帰ろうか?』
『タクシーでニュージャージー州まで帰るといくらかかると思っているんだ!』


やり場のない怒りを鎮めようと、界隈を散歩した。
ただこの辺、何気に、人通りが少なく、
出歩いているのは主に貧困層な方々であった。
スーツ着用の仕事であったので、こういう格好で
夜中に一人で歩くのは危険なのかもしれないと
警戒した。


案の定というか、狭い歩道の少し先で、
若い大人しそうな白人男性が、
身なりの汚い中年黒人男性二人組に金をせびられていた。
白人男性は、ポケットから$1札を渡していた。
『これじゃサンドウィッチも買えないよ。』
とぼやく中年黒人。白人男性は
『ごめんね。』と言って、そそくさと退散した。
次ぎは僕が標的になった。
『おい、サンドウィッチ買いたいんだけど、恵んでくれない?』
と来た。相方も、
『さっきのは$1くれたぜ。』

さっとUターンして逃げようかとも思ったのだが、
その前に自然と言葉が出た。

『Sorry...... I need a help , too..』

すると、彼らは、

『Oh, OK. Take care.』

と言って、どこかに消えてしまったのだ。
自分がどれほど哀れな感じに 彼らの目に映ったのだろうか。


そのくらいさえない週末だったのだ。


(追記)
このSleep No More という舞台、少しだけ見る事ができました。
ホテル全館を舞台に改造。90くらいある部屋それぞれに
趣向をこらしたセットがあり、お客さんは、好きな所を見て回るというもの。
マクベスが下敷きになったストーリーになっているらしいのですが、
僕は、なんだか遊園地のお化け屋敷を思い出しました。
それと、お客さんは皆、オペラ座の怪人みたいな仮面をつけなくてはいけなくて、
そのためか、舞台を見て回っているお客さんそれぞれが、
舞台のオブジェに見えてくる効果があって、面白く感じました。

(お客さんがひと通り見終わった後、バーで少しお酒を飲むようになっていて、
そのバーで演奏するというのが僕の仕事でした。)

今年3月から始まって、常にチケットは売り切れ状態だとか。

2011年8月18日木曜日

CD−Rの保存。

今週、ぽっかりと休みの日が続き、
部屋の片付け掃除に励む。


これは捨てていいもの、これはとっておくものと
分別するだけでかなりな時間が費やされる。


自分にとって本当になくてはいけない物だけ
とっておいてその他はすべて捨ててしまえれば、
かなり部屋も広くなるだろうにと思うのだが、
なかなかそうもいかないのだ。


今、とりあえず扱いに困ってしまったのは、
作品になる前の自分や他人のデモCD−R、ラフミックスCD−Rだ。


頻繁に聞く類いではないし、
CD棚に並べると景観が悪くなる。
(薄い紙ケースに入っているのも多い。)
じゃあ、捨ててしまえばいいかと思えば、
なんとなく惜しい気持ちが湧いてくる。
他人のデモCD−Rも捨てたら、罰が当たるような気もするし、
特に自分の作品になる前のボツテイクがおさめられているような
CD−Rは、もしかして歴史的資料になったりするのではないかという
変な期待というか思い上がった勘違いをしてどうしても手放せない。


ブロンクスから引っ越して来た際もこの手のCDーR類の扱いに困り
結局ダンボール箱に入れてニュージャージーに持って来たのだが、
引っ越して2年半が経ち、このダンボールに入ったCDーRをもちろん
一度も聞いてはいない。さらに、この2年半で、新たにこの手のCD−Rが
増えてしまっている。捨ててしまうか。
しかしまぁ、とりあえず、新しく増えたCD−Rをこのダンボールに詰め込み、
保管を決めた。こういうのは、死んだら誰かが処分してくるれのを期待して
死ぬまで自分で保管していくものなのかしら。

2011年8月11日木曜日

SOMI CD発売ライヴ@Le Poisson Rouge



8月9日、SOMIのCD発売ライヴがNYのLe Poisson Rougeで行なわれた。
今回、Jaleel Shaw (Alto Sax), David Eggar(Cello), Otis Brown (Drums)
Liberty Ellman(guitar), Michael Olatuja(bass) に私という特別編成。
なんでもこの発売されたばかりのCD『Live at Jazz Standard』、
i tuneのジャズ部門で初登場10位みたいです。

(前座にMorleyというシンガーソングライターが演奏して、
彼女のバンドには、James Genus(bass), Gene Lake(drums)がいたりして
NYにあたしいるんだ的な雰囲気をいまさらながら感じてしまった。)

(堀江さん写真ありがとうございます。)



2011年8月7日日曜日

BEBOP BICYCLE




宣伝が続きますが、
最近、Judy Kirtleyという写真家による
小さな自転車の形をしたおもちゃの眼鏡(上写真参照)を
105人のジャズミュージシャンやらジャズサポーターの方達がかけている
写真を集めた、”Bebop Bicycle"という写真集が出版されました。


Judyさんは、因みに、ピアニストBill Maysの奥さんでして、
因みに、私の幻の名盤と呼ばれている(と自分で呼んでいる)
すでに廃盤となった"DODO”のCDジャケ写を撮っていただいた方
でありまして、そういういきさつから、
この彼女の写真集に、私もいちページを飾らせていただく恩恵に
あずかりました。


百々徹ヌード写真集ならいざ知らず、おもちゃの自転車眼鏡をかけた私服姿の
百々徹の写真がおさめられた写真集がもし欲しいという奇特な方は、
(増尾さんやケイ赤城さんの写真もありますよ。)
なにしろ個人出版のようなので、直接Judyさんにメールをしてみてください。
35ドルプラス送料がいくらかばかりか、かかるようです。

Judy Kirtley

email:
jkirtley@ptd.net


因みに写真集におさめられている方のリストはこちら。

2011年8月3日水曜日

SOMI Live at Jazz Standard CD 発売


今年3月29、30日に行なわれた
SOMIのライヴレコーディングCDが発売となりました。
(私、ピアノとローズで参加しております。)
日本でもAmazon等でお求めになれるはずです。
リンクはこちら
よろしくどうぞ!



この時の動画もありました。

2011年7月27日水曜日

12年

NYに住み始めて12年が過ぎて8月から13年目に入る。
まったくもって自分の感覚でしかないのだが、
自分のNY生活の第1章が完全に終わった気がしている。
(厳密にいうと、2年前にNew Jersey州に引っ越したので、
すでにNY生活自体は終わっていたのだが。。。)


この間、様々な人々と出会いがあり、そのうち
ずっと続いている関係もあり、疎遠になっていく関係もあり、
またつながる関係もあり、悲しくも永遠に別れてしまった関係もあり、
まぁ、色々変化していくのが常なのだとは思うが、
自分をとりまく風景が、刻々と変わって行くものだなぁと思ってしまう。
そういう事に、何か一つの区切りがつくとすれば、
この12年目なのではないかなと、勝手に思っている。
干支も12年周期だし、きっと何か理由があるはずだ。


ある種お気楽すぎてそれが問題なのかもしれないのだが、
自分の第1章には、かなりなほど自己満足をしている。
12年前、NYに引っ越してきた自分は、
『まぁ、なんとかなるだろう。』という
明確な未来予想図があったことを記憶しているが、
12年後の現在を鑑みるに、
『うん、まぁ、なんとかなってるなぁ。』
というすがすがしいほどの目標達成感がある。


来月から、自分のNY生活第2章が始まるわけだが、
さりとて特に気負いもないのだが、
より人生のチャレンジ度が増して行く事だけは確かな気がしていて、
少し、帯を絞め直して望もうかなぁと思ったりもするのだが、
『まぁ、なんとかなるだろう。』
というマントラが再び頭の中をかけめぐっているのである。


そうそう、JAfroのCD音源がついに完成しました。
なんとか拡散普及に努めていきたい、と思っております、はい。

2011年7月22日金曜日

さわわ、さわわ、さわわー。

なでしこリーグなるものの存在さえ知らなかったのだが、
ドイツ、スウェーデンに勝ってあれよあれよと決勝戦というので、
これは是非見たいと思い、日曜朝の教会の仕事終急いで帰宅、
近所のピザ屋で昼飯をテイクアウトして、観戦体勢に。
ところが。。
昨年、スペイン語放送局が、ネットのライヴストリーミングで
ワールドカップサッカーを見れたので、なでしこのアメリカ戦も
てっきりネットで見れると余裕かましていたのが失敗で、
頼みのスペイン語放送局が放送していないことを知ったのが、
キックオフ5分前、その後、アメリカのスポーツ専門ネットの
ESPN3で登録すればライブストリーミングで見れるらしいのを発見し、
登録を試みるも、どうやっても、最後のパスワード設定でエラーが生じてしまい、
結局ログインができず前半戦終了。

すっかり冷めてしまったピザを食べ終わってから、
ネットサーフィンしていたら日本のヤフーが文字で実況しているのを発見し、
結局、1分おきにリターンキーを押し速報を確認するという観戦方式になった。

後半何分 米国女子 誰々からのコーナーキックで誰々があわせるもゴールを外れる。
クリック
後半何分 日本女子 誰々と誰々が交代
クリック
後半何分 日本女子 誰々のパスを誰々が何々するも誰々の何々で何々になる。

この調子を45分継続するのは辛く、あろうことか昼寝してしまう。
目覚めるとなんと日本がPKで勝利していた次第。


翌日、ユーチューブにあげられた日本のニュース映像で、
数々の名場面を見る事ができて涙腺を震わせた。
こういう時、やはり生でテレビ観戦できたらいいなと、
テレビ無し生活を惜しんだが、昨日あたりからアップされた
ユーチューブ映像で、日本のワイドショーに出演するなでしこジャパンの放送を見て、
選手のお母さんのコメントや、選手結婚恋愛事情を根掘り葉掘り聞かれている選手達を見て、なんだかがっかりしたというか、
やはりテレビはなくてもいいのかもと思うにいたった。


そもそも何を自分は彼女達に期待していたのかもよくわからないのだが
あのアメリカ戦での凄すぎる、神々しかった選手達が、
ああいう番組で、どうして、何々町出身の何々ちゃんレベルに引き下げられなくては
いけないのか、腹立たしくなった。
そういう番組作りをするテレビに怒ったのか、
そういう番組に出演した彼女達の選択に落胆したのか、よくわからない。


宮間さんの駆け込みシュート。
澤さんの超絶技巧同点弾。
岩清水さんの決死のインターセプト。
横跳び海堀さんの右足での防御。
熊谷さんの豪快な決勝PK。


これらのシーンだけ何度も何度も流すだけで、
テレビは十分なのではないのだろうか。
彼女達のワールドカップでの勇姿に、
どれだけの日本国民が勇気づけられたか
わからないというのに、ワイドショー出演で一気に、
彼女達の存在を卑近なものにしてしまっていいのだろうか。 

2011年7月17日日曜日

One Word 発売

増尾好秋さんの震災支援プロジェクト”One Word"が
増尾さんのサイトから配信されております。
これの売上金が義援金として被災地に寄付されます。
26人のミュージシャンが無償で参加した15分近くの大作です。
さわやかなテーマにはじまって、ミュージシャンが、"We are the World"みたいに
ソロをとっていく中間部は、それぞれのミュージシャンの個性が聞き取れて
面白いです。
(おとうさまおかあさま、ただ今、音源を聞きまして、貴方達の息子も
無事ボツにされることなく収録されておりましたよ。)
詳しくは、こちらからどうぞ!

Yoshiaki Masuo One Word

One Word

2011年7月12日火曜日

今年も半年が過ぎ。

今年も半年が過ぎたわけで。
3/11の震災からも4ヶ月が過ぎたのか。

祖国はどうなってしまうのか、ついつい毎日、
決まったルーティーンで日本のニュースを
ネットでチェックしてしまって暗くなってしまう自分がいるのです。


早川氏

小出氏

武田氏

上杉氏

小野氏のブログ

木下氏

そんでもってこういう人達だけではバランスが悪いかと思って、

玉井氏

藤沢氏

池田氏

こういうのを読んで、いったいどうしたもんだかと、
ますます暗くなったりするのです。

まずは、壊れた福島原発を収束させないことには、
どうしようもないのでしょうが、これに何十年もかかるかもということは、
一体、どうしたらいいものなのでしょうか。
日本の底力で、案外、あっさりと素早く、収束できたりしたらいいのになと、
七夕の短冊に願い事を書いてみたくもなりました。

2011年6月30日木曜日

3人乗れば。


George Washington Bridge


ニュージャージー州とマンハッタンの間にハドソン川があって、
マンハッタン側に行く方法として、


•ハドソン川を泳いで渡る。

無料のはずだが、実際に泳いでいる人を見ない。


•George Washington Bridgeを歩いて渡る。

無料だが渡りきるのに、25分くらいかかる。
夜は閉鎖される。

•George Washington Bridgeをバスで渡る。

1年半前までは$1.25であったのに、今では$1.75もかかる。


•フェリーで渡る。

まずは10回分の回数券$84.25を買わなくてはいけないらしい。
(まだ乗った事がないのでなんともわからないのだが。)

•車で渡る。

橋代に$8かかる。
日本のETCカードにあたるEZ Passというのを使えば、オフピーク時に$6。
(NYからNJに戻ってくる時は、無料。)


等があげられるのだが、
ニュージャージー州のGeorge Washington Bridge に割と近い所に住んでいる
私は、歩いて橋を渡ることはさほど困難な事ではないのであるが、
昼は、バスで渡り、帰りが夜遅い場合は、車で橋を渡ってきた。


ところが、つい最近になって、
カープール(乗り合い)ディスカウントというルールを知った。
車内に運転手の他に2人が乗っていれば、
橋代が$2になるというのだ。


おそらく、車の通行量を減らして、
排気ガスを抑制しようとするエコ対策なのだろう。
ニュージャージー州に引っ越して2年が過ぎたのだが、
これまで、マンハッタンに行くのに、毎回$6から$8をかけていた私にとって
このニュースは、明るい光であった。


これを知ったのは、先週、
バス停でバスを待っていた時の事。

一般車がクラクションで僕に合図してきて
何かと思って聞いてみたら、ビジネスマン風の韓国人男性運転手が
『橋渡るんでしょ。タダで乗っけてくよ。乗りな。』
というのだ。
後部座席には、南米系の老夫婦が座っていた。
助手席に乗った私は、この運転手からこの
カープールディスカウントの事を聞いたのである。

そういえば、ここ最近、バスが空いている事が多く、
$1.75を払うより、カープールする車を選ぶ人が
増えているのだろうと思った。

運転手は2人以上乗せる事で普段の$4から$6のディスカウント。
普段バスに乗る人は、$1.75のディスカウント。
皆ハッピーなのだ。


それ以来、早速、私も、マンハッタンに行く時は、
まずバス停に寄り、老若男女、
人種もよりどりみどりの見知らぬ人達を
2人から3人自分の車に載せて、普段バスが行く、
地下鉄Aトレインの駅近くで彼らを降ろし、
それから目的地まで向かうことがルーティーンになった。


見知らぬ人を自分の車に乗せる事、
(また見知らぬ車に乗る事も含めて、)
ちょっと危険といえば危険なのだが、
これまでこれといった問題はない。
皆、笑顔で乗り込んできて、
橋を渡っている最中はなんとなく無言になるのだが、
駅に着いた時は、また笑顔で
『ありがとう、よい一日を。』
と降りて行く。


安く橋を渡れるという理由だけで
実は、案外簡単に、
人類は、愛に満ちあふれた世界を
作れるのではないかと思い始めている。

2011年6月28日火曜日

少しだけ。。。

SOMI weekend

先週末、
金はNYのGreene Space、土はPhiladelphiaのWelcome America! Festival,
そして日曜はNYのCentral Park SummerStageとSOMIショーが続いた。
実にありがたい体験をさせてもらってますです、はい。




@SummerStage, Central Park June 26 2011
From Left, Alicia Olatuja, Toru Dodo, SOMI, Kendrick Scott, Ben Williams and Liberty Ellman



From SummerStage after the show.



@ Welcome America! Festival , Philadelphia, June 25, 2011
From left, Toru Dodo, SOMI, Alicia Olatja, Michael Olatuja



@ Delaware River, Philadelphia

2011年6月22日水曜日

首相職。

今、日本国の首相を喜んでやりたがる人って
果たしているのだろうか。


現在の日本が抱えている大問題を解決していく事の困難を思うと、
普通の日本人だったらどうしても及び腰になるのではないだろうか。
ものすごく過酷な決断をして、ある一部の国民には今後も、
より一層のとてつもない犠牲をお願いしないといけなくなるのだろうという事が、
容易に想像できる現状で、
まぁ、そういう事をするのが首相の仕事なのかもしれないが、
そういう事をしたいと思う人は果たしているのだろうか。

(ああいう状況でも福島原発で働く人達がいることを思えば、
こういう状況でも首相になる人達はいるはずとは思うのだが。)


現首相がなかなか辞任しないのが問題になっているようだが、
仮に辞めた場合、
与党も野党にも次期首相をやりたいと思う人がいないので、
実は、大変困ってしまう状況になってしまうのでは。
現総理が、どういう神経しているのかよくわからないが、
こういう状況でいまだに職にこだわりを見せている事に、内心、
ほっとしているまともな政治家が多いのではないかと思ったりもしてみたい。

ケイ赤城さんに会う。


NY訪問中のケイ赤城さんにお会いした。
最後にお会いしたのは、2009年秋の
吉祥寺サムタイムだったかと思う。


お互いの近況、日本の事、アメリカの事、
音楽の事、サバイバルの事について
ミッドタウンのダイナーでお話した。

なんというか、これってもしかして人生の転機?的なものを
こんな自分も、あるいは迎えてしまっているんじゃないか、
と昨年あたりから思い始めていたりするわけなのだが、
なにかこう人生の先輩のお話、助言に飢えている自分がいる。

先月末の増尾好秋さん宅訪問に続き、今回のケイ赤城さん。
素敵な方々からお話を伺う機会を頂いて、とても有り難く思っているのです。

2011年6月14日火曜日

ASCAP Jazz Hall of Fame


13日。ASCAP主宰のJazz Hall of Fameという
ジャズの殿堂イヴェントにSOMI に連れられ参加。
少しだけ演奏。
Oscar Peterson, Nina Simoneや、
Jimmy Heath等が殿堂入りを果たした。
殿堂入りするには、
野球だと野手だと2000本くらいヒットを打たなくてはいけない。
僕もうかうかしてると殿堂入りする前にお仏壇入りしてしまう。
まぁ、でもお仏壇入りした後に殿堂入りする場合もあるので、
あまり深く考えることでもないかと。

写真は、この日演奏した若き"Cats"達と記念撮影。
皆素晴らしい演奏だった。
因みに、写真左から4人目は、百々徹ではなく、
最近レターマンショーに出演したベースの
David Wong。

2011年6月11日土曜日

Girl shakes Loose Her Skin


Imani UzuriとNew Dramatistsにて


6月6日から10日までの5日間、
NYにあるNew Dramatistsという、舞台脚本家養成所の
workshopに参加した。

ついに、百々徹、
意を決して、作家になることにした、
わけではない。


この養成所の存在を、これに参加するまでまるで知らなかったのだが、
新進作家の新しい作品作りの支援のために、演出家、役者やミュージシャンを雇って、
実際にリハーサルをし、一般公開の発表会を定期的に行なっている。


今回、僕が参加したのは、Zakkiyah Alexanderという作家の
『Girl Shakes Loose Her』というミュ−ジカルの第一幕(執筆途中であるが)。


歌手のImani Uzuriが音楽を担当するのだが、彼女自身、譜面を書く事ができず、
アレンジやピアノ演奏できる人が必要になったらしく、そこで、僕にお呼びがかかった。
彼女はSomiと親しく、SomiバンドのギターのLiberty Ellemanと知り合いで、
なんでもLibertyが僕を紹介してくれたらしい。


僕の仕事は、Imani がメロディーを歌うのを書き取り、和音をつけてあげて、
役者さんに歌を教える手助けをし、さらに劇中は、ピアノ伴奏をする。
こういう仕事は今まで行なった事がなく、恐いもの見たさで引き受けた。
この決断、決して間違えてなかったと言える。


現場に行ってみて驚いたのは、キャストそれぞれのレベルの高さ。
まず、Imani、歌の上手さはもとより、彼女の作るメロディーセンスのよさに感心。
次に、演じる7人の役者さん達のレベルの高さ。
オーディションして選ばれている、と後から聞いて納得したのだが、
また皆さん歌がはんぱなく上手い。
演出家の方も、現在ブロードウェイで公開されている『FELA』の
演出助手をされている方だったし、
的確な演技指導に役者がまた見事に答えて演じる現場を見て
いちいち感服してしまった。
こういう事を可能にするこの養成所の存在もまた凄いと思う。



日に日に、台本に手が加えられていき、新しい曲が作られ、
最終日の本番直前まで、濃いリハーサルをして、
本番は、大歓声で終了した。


ミュージカルを一から作り上げて行くという過程の一端をのぞけたこと、
今まで出会う事のなかった方々と出会えた事、
なかなかいい体験をした一週間であった。


キャストと記念撮影

2011年6月2日木曜日

Memorial Day Weekend

•Memorial Day Weekend その1

鳥山タケさんが亡くなってもう4年が過ぎたのだ。
38歳で生を終えた彼より、今年で僕は1年年上になった。
墓参り時、タケ、とさん抜きで話しかけようと思ったが、
いざ、やってみたら、どうもしっくりこなかったので、
タケさんと呼びかけてみた次第。


•Memorial Day Weekend その2

増尾好秋さんのペンシルヴェニア州にあるご自宅へ初めて
遊びに行った。噂通り、湖のほとりにある木々に囲まれた素敵な家であった。
美味しいシーフードカレーをごちそうになった次第。




•Memorial Day Weekend その3

Jacksonville Jazz Festival(Florida) に、バイブラフォンのJoe Baioneカルテットで出演。
写真下、右からJoe Baione, John Lumpkin(drums)。


2011年5月29日日曜日

飛行機について。

今、フロリダのJacksonvilleに来ている。
久々に飛行機に乗ったのだが、なんとなく被爆の事を思った。


福島の原発事故が起きてまもない頃、放射線被爆量を何かと、
日本ーNY間の飛行機旅行で受ける被爆量を引き合いに
説明する専門家の方がおられた。
(最近はあまりこういう比較を聞かなくなったが。)


それを思うと、飛行機上で働く労働者というのも
操縦士や、フライトアテンダントという仕事も、原発で働く人達と同様、
一般の人に比べたら、高線量被爆労働者ということになるのだろう。


アジア系やヨーロッパ系の航空会社のフライトアテンダントは、
割と若い女性の方が多かったりする。
しかしこれはもしかすると、
相当な被爆を彼女らに強いていることにならないのだろうか、と
心配してしまう。
本来ならば、鉛のスーツを着て、仕事をしないといけない方々なのでは
ないのだろうか。


最近のニュースを見て学んだ所からすると、
放射線は子供や若い女性に強く悪影響が出るということならば、
こうした航空会社の雇用体制は、問題にされないのだろうか。
しかもだ。
飛行機は、墜落するかもしれないという危険と
常に背中合わせだ。
福島原発並みとは言わないまでも、
かなりな過酷な労働環境のもとで、働いている人達なのだ。


日本では、憧れの職業とされているかと思われる
フライトアテンダントだが、
(その昔、『ステュワーデス物語』というテレビドラマがはやったこともある。)
これは、深読みすると、
大金を投じて、『安全です。』キャンペーンをしてきた東電と同様の
航空会社によるイメージ操作があるのではないだろうか。


その点、アメリカの航空会社のフライトアテンダントは、
割と年配な女性が目立ち、男性も多い。
そのサービスの悪さに不平もあったが、
実は、被爆の被害を受けにくい人達を雇うことによって、
被爆被害を最小限にしようという
理にかなった雇用体制なのではないかと
最近になって思えてきた。


しかし、ここ最近、アメリカの航空会社の中に、
違う方針を取り出した所があり、
今日乗ったJet Blue社においては、
フライトアテンダントは、
若いアジア系と白人の見目麗しい女性2人。
出発前の緊急事態の際のレクチャーは簡素化されてあり、
電子機器の電源を着るようにするアナウンスにいたっては、
『飛行機の電子系統に影響を及ぼす以下の機器の電源をお切りください。
laptop computer, ipod, cellphone, iphone, blackberry, raspberry, strawberry...』
と冗談を交える始末。


安全だから事故は起きない、起きるはずがないとして、
大事故になった東電の事を思うと、
このリラックスした雰囲気、奇麗なフライトアテンダントを擁したこの
航空会社の姿勢に、大いな不安を覚えた私は、
他の乗客の視線に臆することなく、
防護服に着替え、シートベルトを3重に締めて、
内部被爆を受けないように、提供される飲み物やスナックに手をつけるまいと
思ったのだが、実際には
結局、防護服もカバンから取り出す事はしないままに、
(まぁ、もともと持っていないのだが。)
シートベルトにしても、脂肪が気になっているお腹が苦しいので、
ゆるめに締めたまま、
美麗なフライトアテンダントの甘い誘惑に負けて、
コーヒーとチョコレートチップクッキーをしかと頂いて
Jacksonvilleに到着してしまったのであった。

2011年5月26日木曜日

Aino, Aino Uta

ここ最近、体重の増加傾向が見られ、
ミュージシャンは、痩せてないと、
お客様から助けてもらえなくなるという強迫観念から
少しは身体を動かした方がいいと思って、
先月末から週5日ペースで近所を早朝ジョギングしていた。

しかし、無理がたたったか、
先週末から左足首に痛みを感じるようになり、
しばらく走るのはお預けだ。

以前、大阪にお住まいの元体育の先生だった方から、
『運動は身体によくないよ。』
と言われていた事を思い出した。
怪我しては元も子もない。
今日も走らないでいいと思うと、
ぐっすり眠れたりして、目覚めも快適だったりするのだ。


昨日は、ギターの三浦良樹さんに誘われて、Infinite Hope Project CDの
レコーディングに参加してきた。『Aino, Aino Uta』という曲を
世界中のミュージシャンが、色々なバージョンでレコーディングして
CDにして売り上げを赤十字に寄付するというものらしい。
何かしらのお力になれればと。

2011年5月21日土曜日

One Word


NYのAvatar スタジオで、
増尾好秋さんの『被災地支援レコーディング』に参加させていただいた。
増尾さんのOne Wordという曲に、多くのミュージシャンが、
ソロをとっていくというもの。
(あのWe are the worldみたいな感じといいますか。)
普段、大震災を前に、無力感を感じていた自分にとって
何か、力になれるかもしれないという気持ちにさせてくれたというか、
そういう場を提供してくださった増尾さんに感謝。
(写真:プレイバックを聞きながら苦笑する私。
左、Soren Moller 写真右、増尾さん。撮影:常磐武彦さん。)



自分の新しいCD製作も一歩前進。
編集作業をだいたい終了し、
来月あたりミックスダウンができればという段階に入った次第。
内容は、まぁ、30代最後の総決算的なものに
なったかなぁという感じがあり、
自分の未熟さ不勉強さを再確認するところもあり、
また、今後、どれだけ作品を作っていけるかが
勝負なんだろうなぁと心した次第。
今のところ、このCDを、どういう形で発表するのかとか、
ライヴをどうやっていくのかというあたりの所が、
自分の工程表には書かれてないのがなんなのですが。

2011年5月11日水曜日

まずは首筋をウォームアップをしてから写真をご覧くださいませ。



(写真を拡大して回転させる術を知らないばかりに、、すみません。)

目鼻がグジュグジュする季節になってきた。
花粉は、小さな粒子で、
基本的には、放射線物質対策と同様な対策で、
対応すればいいらしい。
外出を控え、外出する時もマスクや帽子をかぶり、
ウインドブレーカーのようなものを着て、
帰宅したら玄関先でそっと脱いで洗濯することがいいらしい。


日本からピアニストの加藤英輔君が来ていて、
オバマ大統領がNY訪問した日に、
チャイナタウンでヤムチャしてリトルイタリーでエスプレッソした。
彼とは付き合いが古く、
(11年前に、彼は当時住んでいた
ブロンクスのアパートに来た事がある。)
住んでいる場所は違うものの、
同年代で、年齢を重ねて、ピアノを弾いて行く者同士、
話に花がさいたわけだが、なんというか
バカ話しかしなかったかもという所も
非常に楽しい時間であった。
元気に頑張っていきたいと思った。

2011年5月5日木曜日

洗浄と投棄とおいしい食事。

ここ最近、家の台所の流しが詰まり、
調理や皿洗いに支障が生じていた。


薬品を流し込んで詰まりを取る策、
配管工を呼んで治してもらう策等が協議されたが、
結局、自分で下水管を分解して掃除してみる策が採用された。


ゴム手袋をして、両腕をまくり、
床にしゃがみこんで、流しのパイプをはずしていく。
すると汚水がこぼれ出す。
ドス黒いヘドロがパイプの中を埋め尽くしていた。
それを、以前に購入してあった、
長く細い柄のついたブラシを通し、洗浄していく。
なんという匂いだ。
自分が腹を壊した時に出す匂いの何千倍レベルと自分の鼻センサーは感知した。
マスクをして行なえばよかったと思ったが、時すでに遅し。
顔を思い切りゆがめて、なるべく呼吸をしないように
ブラシでヘドロをかきだした。
腸洗浄をする方はこんな案配で仕事をするのかと
想像もした。


一通りこすりだした後、パイプを繋ぎ直す。
この後、ネットの情報によれば、水ではなく
熱いお湯を流しこむとあった。
初めは、なかなか流れず、台所にどんどんお湯がたまり、
これは、やはりプロの配管工に頼むしかないかと諦めた頃、、
ボコッ、ボコボコッと音をたて、お湯が見事、配管を流れて行った。
久々に純粋な喜びの感情を覚えた。


しかし、かきだしたヘドロと汚染水の処理に困った。
スーパーのビニール3袋分。
ここ最近ネットで見てきてしまった事に強い影響を受けたのかもしれないが、
近所の住民に内緒で、家の建物の裏側の庭に
やむを得ず投棄してしまった。
多分、汚染水は拡散して、ヘドロもそのうち分解されて、
環境に直ちには問題はないはずだと自分に言い聞かせた。



今、スムーズに料理ができる状況に安堵すると同時に、
幾ばくかの罪の意識に苛まされながら、食事をいただく次第。
もう、鳥の唐揚げを作った後の油を間違えて直で流したり、
腐ってヨーグルトのようになってしまった牛乳を無理矢理流すような事はしないと、
心に誓った。

2011年5月2日月曜日

もう5月になったのねん。

振り返ると、自分の外国生活というのも、
何か困った事がでてきたら、
いつでも帰れるからいいさ、みたいな、
だいぶお気楽なところがあったように思う。
というのも、自分の祖国は永遠に平和でご飯もおいしい
というのが前提だったからだったように思う。
ところが2011年3月11日以降、
その前提が大きく崩された感じだ。

なんというか、
帰れる場所がしっかりとしていれば、
どんなにアウトしてもいい、というような事が
即興演奏のフレージングの基礎だったように思うのだが、
今、その帰れるもとになるルートのハーモニーが
見失われて、ただ、めちゃめちゃに音を出してしまっているような
感じがしている。
いや。この喩えは、なにか違っているかもしれない。
とにかく震災以来、動揺して混乱した自分がいる、ということだ。


2001年9月11日の事件の首謀者とされる人を裁判もせずに、
その息子さんまで一緒に、ぶっ殺して快哉をあげているような
野蛮としかいいようのない国で、自分は、どこまで、
生活していくのかよくわからないのも正直なところである。
祖国の復興を祈ってやまない。


今のところ、今いる場所で、精一杯生き抜こうとは思っている。
とりあえず最近またジョギングを始めたりもした。
うむ、なんだかよくわからない作文になった。

2011年4月23日土曜日

JAFro レコーディング



20日21日の2日間で、JAfroのレコーディングをした次第。
1ヶ月近く日本でツアーしてきて、こなれているはずだったのに、
実際スタジオに入ってみると、なんだかんだ苦労してしまう事があり、
まだまだ未熟な自分にきづいてしまった。まぁ、でもなんとか
形にはなるかしら、と前向きな自分が相変わらずいる。
今、とりたての原石のようなものを聞いてはニヤリとしたり、反省したり。
ここからどう作品として洗練していけるかが、楽しみであります。

写真、上、小川慶太。下 中村恭士。

2011年4月14日木曜日

Randy Weston


先日、とあるパーティーで、SOMIバンドで演奏した際、
対バンドがRandy Westonトリオだった。
Randyは、背が2メートル以上もあるのに驚かされるし、
年齢が今年85歳というのにもびっくりだし、
なにより音楽にノックアウトされた。


エリントンのMoney Jungleを思い出させるような
自由で、かつ熱かった。
(Neil Clarke-percussion, Alex Blake-bassのリズム隊すげー。)
平均年齢おそらく70辺りかと思われるこのトリオ。
刺激をいただいてしまった。
酒が入って、会場のお客さん、途中から音楽に合わせて踊り出す。
85歳のピアニストは、彼らをそういう気持ちにさせるということにやられたし、
その後、お客さん、酒が入りすぎたか、疲れたか、Randyのオリジナル
『High Fly』を演奏中に、おしゃべりがひどくなり、
たいへんやかましくなる環境になったのだが、
85歳になってもこういう状況になってしまうということにもやられた。



(連日の祖国の暗いニュースでなんだか身体がだるい。
特に原発事件で、世の中を明るくしてくれる会社であるはずの
東電の闇がひどく照らし出されてしまっている感じ。
原発での過酷な労働環境、東電と政府とマスコミの癒着ぶり、
悪化する放射能汚染、避難民の増加、続く余震。遅れる復興。
あぁ、ネット見過ぎです。)

2011年4月10日日曜日

これやった方がいいのでは。

上原春男氏記者会見の動画

この先生の機械を使えば、2日で炉は冷えるらしいですよ。
そもそもこの策を3月11日からやっていればよかったのではないかという
事もありますが、
とりあえず一刻も早くやったほうがよいのでは。
こういう方が日本におられるのが頼もしいのですけれど。
ここにこの動画を貼ったところでどうしようもないのですけれど、
とりあえずまだご覧になっていない方はどうぞ。。

2011年4月7日木曜日

Hand in Hand Project for Japan


ピアノの練習ままならず、
ネットで日本のニュースを追ってしまう。


ニコニコ動画やらUstreamで
色々な人が色々な形で情報発信しているのを見て、
日本もまだ情報統制されていない感じで、
多少は健全ないい社会だと思って安心したりする。

(大前研一さんのとか、 武田邦彦教授のとか、
広瀬隆さんのとか、孫正義さんのとか色々見ちゃったなぁ。)


同時に、原発や放射能事情についても2011年3月11日以前より
ほとんどわかっていないにしろ、少し知識を得たというか、
新しい単語を覚えた程度なのだが。
『シーベルト』『ベクレル』『ドライベント』
『石棺』『再臨界』『水ガラス』『半減期』
『プルサーマル』『屋内退避』『ちじれ菜』『コウナゴ』等々。


今、現場で問題解決に向けて必死の作業をされている方々には
本当に、祈る気持ちで応援しております。


あと、放射能の人体に与える影響を考えると、
福島原発周辺で生活されている特に若者は、
色々と土地を離れるにあたって難しいことがあるとは思うのですが
今、とりあえず遠くに避難しておいた方が、
日本の将来のためになるように思ってならないのですが。



写真は、先週の土曜の昼下がり、
セントラルパークで行なわれた
チャリティーコンサート"Hand in Hand Project for Japan"の模様。
平麻美子さんと広瀬未来君とで演奏。




あと、こちらで、2月に神戸の甲陽音楽院でクリニックを
行なった際に演奏した模様の一部が見れます。

甲陽音楽学院神戸校スタッフブログ

2011年4月1日金曜日

SOMI @ 2 nights of Jazz Standard Live recording



3月29日&30日とSOMIの
ライヴレコーディングライヴに参加。
2晩2セットづつ、それぞれ満席のにぎわいで、
お客さんの中には、一緒に口ずさむ人がいたり、
SOMIさんのバンドに、2004年4月から携わっている身として、
彼女の成長というのがよく感じられて、敬服してしまう。
僕も雰囲気にのせられて、無心で音楽に集中できて、
日頃の日本の暗いニュースの事を少し忘れさせてもらったような感じであった。

2011年3月29日火曜日

Cayman Island Jazz festival

SOMI group @Cayman Island 3/26/2011

帰国中に、地震を体験し、
といっても新潟から名古屋へ、車で移動中で
揺れさえまったく感じなかった程度。
死傷者数が増え、原発の被害も拡大するなか、
アメリカに戻った身として、
祖国の苦境のニュースを目にするたびに
なんとも心苦しくなる。


仕事とはいえ、先週末、
カリブのケイマン諸島に4日間もいて、
マリンブルー、白い砂浜を前に、
罪深い気持ちに襲われた。


元気な人は、日常の生活をしっかり過ごして行けばいいというが、
気にしないわけにはいかないので、後ろめたさがある。
そういうものなのだといえばそういうことなのかもしれないが、
被災された方々にとっては、こんな言い草も、
しょせん彼岸の火事の戯言にしかすぎないだろう。


2011年がこういう年になるなんて想像もしてなかった。
年末には少しでも笑顔が多くなるような年になればと祈るばかり。

2011年3月23日水曜日

2011年3月11日(金曜日)

なんとも、ショックで、
言葉を失っている。


2月から3月にわたって、
東京、名古屋、京都、大阪、福山、広島、下関、
津山、神戸、博多、佐世保、久留米、別府、
東京、浜松、豊田、岐阜、京都、東京、
東京、新潟、名古屋、東京
と色々な街を旅して来た楽しかった記憶が、
3月11日以降、
一瞬にしてどこかに消えてしまった。


(本当は、千葉、群馬、東京、東京、千葉、東京、名古屋と
行く予定だったのですが、キャンセルせざるを得ない事態になり、
ご迷惑をおかけしたこと、お詫びいたします。
またライヴにいらしてくださった方々にお礼もままならず、
申し訳ない気持ちでいっぱいです。)


とりあえず無事にNJに戻ったのですが、
日本のニュースを見てはため息をつく日々。
被災された方々は、本当にお気の毒で、いたたまれない。


政府が安全を訴えているのを聞くと不安を覚え、
危険を訴えている識者の発言を聞くと安心したり、
自分は、決して祖国の悲劇を望んでいるわけではないのに、
なんなんだろう。この落ち着かない感じは。
とりあえず、身近の人の安否を日々確認することだけしっかり
していこうと思うのだが。

2011年3月16日水曜日

キャンセルのお知らせ

3月20日(日)21日(月)に予定されていた
井上智さんとのDuoライヴにやむを得ぬ事情で、
参加ができなくなりました。
井上さん並びに、六本木Alfie、名古屋Star Eyesの関係者に
大変ご迷惑をおかけした事、お詫びいたします。
楽しみにしてくださっていた方々、
まことに申し訳ありません。
またの機会までしばしお預けということで
お許しいただければ幸いです。

(3月20日(日)Alfieは井上さんのソロ演奏。
21日(月)Star Eyesは井上さんとピアノの小森陽子さんのデュオになる予定です。)


百々徹

2011年3月14日月曜日

JAfroの誕生ツアー その16 そしてキャンセルのお知らせ

JAfroのトリオツアー、
名古屋 Lovely、新宿 Pit Innで千秋楽を迎えた。

この危機下に、演奏し、お客様と時間を共有させて頂けたこと、
言葉につくせないほどの感謝で一杯です。

尚、
3月15日、16日. 17日、18日に予定されていた
Teriver Cheungグループの公演はすべてキャンセルになりました。


3月19日(土)に予定されていた
井上智さんとのDuoもキャンセルとなりました。
ご了承ください


3月20日(日)六本木Alfieは行う予定です。
3月21日(月)名古屋Star Eyesは行う予定です。


2011年3月12日土曜日

JAfroの誕生ツアー その15

新潟Jazz Flashで演奏。
翌日、車で名古屋に移動中に、
地震のニュースを知った。
幸い私たちは無事でおります。
今晩の名古屋のJazz Inn Lovelyのライブは、
私達にとって特別な時間になります。

2011年3月10日木曜日

JAfroの誕生ツアー その14

JAfroの東京での初お披露目。
吉祥寺のSometime、お茶の水Naru。
大入り万歳です。
ほんとうにありがとうございます!!!
明日は新潟。天気予報は大雪。どうなりますか。。。


まずは、京都から東京に移動の際に撮れた富士山のいいお姿。

熊谷ヤスマサ君と。『TORU DODO』収録の彼のCD『PRAY』いただきました。@Naru




井上智さんと石崎忍君。@Sometime

古谷淳君と。@Sometime


そしてそして、大東流佐川道場の木村先生と。@Sometime

2011年3月8日火曜日

JAfroの誕生ツアー その13

今回のツアー、
新しい曲目が多く、初めて演奏する場所も多く、
お客様の反応にとても敏感であったのだが、
ここまで、どうだったのか、
それは後から反省することにして、
今週はトリオ最終週、馴染みのある場所であり、甘える訳でもないが
まぁ、思い切りやってみようと思う次第。
応援よろしくお願いいたします。

3/8吉祥寺Sometime
3/9お茶の水Naru
3/10新潟Jazz Flash
3/12名古屋 甲陽音楽学院 に Jazz inn Lovely、
3/13新宿Pit Inn。

下は、京都から東京への移動途中のヒトコマ。


video

2011年3月6日日曜日

JAfroの誕生ツアー その12

東海ツアー終了!!
浜松ー豊田ー岐阜ー京都精華町。
この東海ツアー中、何十年ぶりに日本で運転したのだが、
ウインカーを出す時に、ワイパーが動いてしまう現象が
頻繁に現れるのを見て、習慣改善というのは、
実に難しいものだと思った。
夜間、車量が少ない道で、
右側の道路を走ろうとする現象も
たまに現れたが、気をつけないと。。。


豊田Keyboard。(しげぞうさんの写真を勝手に拝借。)


岐阜After Dark。岐阜大学のジャズ研の皆さんと。
撮影の際、バンドメンバーの方々に両サイドからいつもくすぐられるのですが、
一体どういうことなのでしょうかね。(撮影は、シットインした長谷川朗。)


京都ナーダム。杉浦ママさん作の着物。(男物も宜しくお願いします。)

2011年3月3日木曜日

JAfroの誕生ツアー その11

タイガー大越さんと@浜松Hermit Dolphin

東海ツアー初日はお初の浜松Hermit Dolphin。

タイガー大越さんがいらっしゃるわ、
上原ひろみさんのご両親がいらっしゃるわ、
素敵なカードを書いてくださる方がいらっしゃるわ。
そしてそして、

Darjeelingさん!!


ホテルに戻ってからアンケートの書き込みを読んで
驚いて、笑ってしまいましたよ。
いらしてたのですね!!!!
(今回が通算5回目の参戦ということですね。ありがとうございます!!!)
正体いまだわからず。
やられました。。
以前の書き込みによれば、
今回のツアー中、あともう一回お越しになられるとの事。
ご挨拶したいところですが。。。


デュオっちゃいました。


いただいちゃいました。(クロさん、素敵です。)

2011年3月1日火曜日

JAfroの誕生ツアー その10

別府




今回のツアーもいよいよ折り返し地点に来た。
17本公演終了して残り16本ばかり。


旅を続けるうち、
10歳年下の中村&小川君から、
『どど!』
『ももてつ!』
と呼び捨てにされる頻度が増したり、
食事中、お茶を注いでくれるのはいいのだが、
いつもコップ一杯に注がれるので、冷めるまでお茶が飲めなくされたり、
それぞれの会場で記念撮影される時、
いつも彼らからくすぐりの刑を受けたり、
なんだか苛められているような気になるのだが、
どういうことなのだろう。
これがゆとり世代の彼らなりのラヴ注入の仕方なのだろうか。


昨日の中村恭士@国立Singsは、みぞれが降る天気の中、大盛況。
暖かい雰囲気で、幸せな気分になりました。
明日から、東海地方ツアー。
浜松、豊田、岐阜、京都とまいります。
応援よろしくお願いします!!


別府Base-1のお手製カレー。

別府のホテルの朝食。(左上:カボスのジュース。)


国立Singsの打ち上げのおいなりさん。



別府Base-1での記念撮影。(俺じゃなくカメラを見るんだ慶太!)