2013年3月25日月曜日

国連で演奏

3月22日、奴隷制度廃止記念のイベントで
マーカスミラーバンド、Steel Pulse等と共に、
SOMIバンドも国連総会で演奏。
写真はとれなかったですが、とりあえず、
何かのご利益があるかと思い、
マーカスミラーと握手だけはしておきました。


 <サウンドチェック中の写真>
 <国連行ったらのお約束の写真>

因みに、日本国、最前列にテーブルがありました。
イランやイラクは最後尾に配置されてましたが、
アルファベット順だとは思うのですが、
もしかしたら違う順番で並んでいるのかもしれません。

もう一枚おまけ。

2013年3月24日日曜日

ナイジェリアツアー その6

おまけ映像2点
<Lagos空港へ向かう途中でタイヤパンク>
<弾丸ドライバー@Port Harcourt>

(因みに両画像で、主にしゃべってたり鼻歌を歌っているのが、ドラムのOtis Brown)

2013年3月21日木曜日

ナイジェリアツアー その5

帰国日。
Port Harcourt-Lagos-Atlanta-NJ

朝7時に、何時の飛行機に乗るのか
連絡すると言われていたが、
朝7時くらいに、腹の痛みで起きてしまった。
何が原因かよくわからないが、
激しくくだしてしまった。

8時30分を過ぎて、まだ
何も連絡が来ず、聞いてみようと
ホテルの据え置き電話に手を伸ばしたが、
電話は故障していた。

仕方なく、腹も調子悪いので寝た。

結局、10時30分くらいに
扉ノックで起こされた。
11時に出発、午後1時の飛行機に乗ると言われた。
再びトイレに籠った後、
色々と惨事が起きないよう、祈りながら、
チェックアウトした。

今回のツアー、SOMIは、かなりの部分を
自分でマネージングしていて、
あきらかに手が回っていない感じがありありで、
だいぶいらだっていたのが伝わってきたのだが、
極めつけは、バンドメンバーに渡すギャラを
この日空港への移動中の車内で、
ナイジェリアの通貨(ナイラ)を必死に数えていたことだ。
しかもその最中に、空港の両替係の知り合いに電話で
何度も、対ドルの値段を確認したり、
ドルはちゃんと準備されているのか
念には念をおしていた。
 厄介なのは、ナイラは、0の数が多く、
最終的にミリオン単位で数えないといけなくなっていた。

SOMIと今回のツアーの同行撮影係をした女性は、
仕事が残っていて、Port Harcourtに居残りで
バンドメンバーとお別れであった。
彼女達は、空港に入ることができない。
よってバンドメンバーが、結局、
ナイラの札束を持って空港で両替しなくては
いけなかったのだ。

さて、なんとなく予想されていたのだが、
SOMIの数えた額より、両替係が数えた額が
少なかった。

SOMIに連絡するも、
SOMIはSOMIで
そんなはずはない!
両替係は両替係で、
そんなはずはない!
の言い合いになった。
が、目の前で、3度も数えた両替係の方に
明らかに歩があった。

ナイジェリアの地方都市の空港ロビーで
替えてもらった米ドルをこっそりと
山分けするバンドメンバーの図。
何か悪い取引をしている人達の図である。

Lagosに着いて、すぐさま、
Atlanta行きの飛行機のチェックインをする。
前回、ナイジェリアに来た時に、
このチェックインが非常に辛かったのを思い出していた。
長い行列。預けて荷物、持ち込み手荷物すべて
開けられ、逐一チェックされる。
所持金を聞かれる。賄賂を要求してくる係員がいる等。
搭乗機待ち合いロビーに神経衰弱して
到着したのを覚えている。

ただ今回、こういうサービスがあるのかよく
事情はわかっていないのだが、
SOMIが、空港職員に内通している人を
我々一行に同伴させてくれて、
彼の権限で、一般の行列とは違う窓口から
チェックインをさせてもらい、
もちろん、手荷物検査諸々すべて行われたのだが、
ものの30分ほどで搭乗待ち合いロビーに到着した。
彼に、チップを$20くらい渡すように
SOMIから言われていたが、
$20でこのサービスが受けれるなら、
お金は使う時には使うべきだと実感した。


搭乗時間5分前くらいになり、
これで家に帰れると思った時、
『燃料補給で、プエルトリコに
立ち寄る可能性がありますので
ご了承願います。』という
アナウンスが入った。
『その際は、Atlanta到着に遅れが出ます。
乗り換え便に間に合わなくなる可能性もございます。
その際は、こちらで代わりの便の手配すべていたします。』
なかなか家に帰してもらえないと思ったものだった。
(何故、Lagosで燃料満タンにしていかないのだろう?
しかしながら、幸いにもプエルトリコに立ち寄ることなく、
直接Atlantaに到着した。)


移動中、ナイジェリアの公衆トイレ事情の
劣悪さを知る私としては、どうしても
行くわけにはいかず、我慢していたのだ。
飛行機に乗れば救われると思っていた。
搭乗後、その救いを5、6度得た。
久しぶりに私のお腹は完全に壊れてしまったようだった。

そういう中で、
『Dark Knight Rises』を見てそのあまりの重厚さに堪能し
『The Campaign』を見てそのあまりの下品さに笑い、
『Lincoln』は英語が難しすぎて寝てしまった。


Atlantaに到着した時に、
何とも言えない喜びがあった。
まだ家に帰ったわけではないのに、
安堵感があった。

New JerseyのNewark空港に到着した際も
雪が積もって寒かったにも拘らず、
私の心は、暖かかった。

家に到着した際も、
さくらは、最初の30分ほど、
私の顔を見て、硬直し、怖がって
『ママ!』
 と抱きついてしまい、
私が触ろうとするといやいやをした。
1週間も会わないと、忘れられてしまうものなのかと
少し寂しくもなったのだが、
それでも、我が家ほどよいものはないと
思ったものだった。
そんな事を思わせてくれた ナイジェリア。
凄い国だ。


(帰宅後は、お腹も徐々に回復している。)

2013年3月20日水曜日

ナイジェリアツアー その4

3月17日(日)。

ホテルに、目覚ましコールを朝7時にお願いして
あったのだが、電話がなったのは、朝6時であった。
止むを得ず、起きて、パッキングをして、
朝食をとり、8時にロビーへ。

車2台に分かれて、空港へ。
高速道路沿いで、私の乗った車のタイヤが
パンク。路肩に止めて、運転手が
スペアタイヤに取り替える。

10時すぎに空港に到着。
空港は大混雑。
しかも停電中で、エアコンが効いていない。
サウナ状態。
(ナイジェリアは国内線は3社あるのだが、
1社は、営業停止処分中。
もう1社はストライキ中。
唯一飛んでいる飛行機会社に人が集中しているのだ。)
11時発の我々の飛行機が最終的に出発したのが、
午後2時30分。

フライト前のアナウンスで、
混雑のため、預け荷物の一部は、
後発の飛行機に預ける事になると言われる。
搭乗後、窓から、フライトケースを載せた
カートが、どこかに移動していた。その中に
自分の荷物を発見し、気分が滅入った。


4時前に到着。
バンドメンバー一人を除き、皆、荷物が
届いていなかった。
予定では、後発の飛行機に積み込まれているはずだった。
しかし、その後発の飛行機にも
我々の荷物は届いていなかった。
航空界社から十分な説明がなかった。
現地の人達は、係員に詰めより、
口論をしていた。
つい、好奇心と暇つぶしに
この模様をビデオ撮影したら、
警備員が近づいてきて
『今録ったのを全て消せ!』
と言い寄られた。
はいはい、と素直に消去した。


予定では、6時から演奏開始であった。
ただ、ナイジェリアでは、6時といっても
実際には8時くらいになるのが通常であるので、
特に焦りはなかったのだが、さすがに、
6時近くになっても、我々の荷物が
届かない事に、不安が増した。


SOMIが、しびれを切らし、
『もう荷物はあきらめて行かないと』
バンドメンバーが、
『次の飛行機の到着を待とう。』
と言い合いになった時、
ついに、我々の荷物が到着した。
6時をまわっていた。

LagosからPort Harcourtは50分のフライト。
なのに、結局我々は、空港で合わせて、
8時間過ごした事になる。

Port Harcourt空港から演奏会場まで、
2台の車に分かれて向かう。
私が乗った車は、小型トラック。
助手席に、マシンガンを持った警官なのか
軍関係者かわからないような人が乗った。
運転手は、飛ばした。
何故それほどまで飛ばさなくてはいけないのか
理解に苦しむのだが、
時速100kmで、車線のない道を
バスをトラックをバイクを自転車を
クラクションをかき鳴らしながら
すりぬけるように飛ばした。
ウガンダでもタクシー運転手が
似たような運転をしたのを思い出した。
私は祈った。

 7時過ぎに会場に着き、サウンドチェックを行い、
8時前にホテルに着き、着替え、軽く夕飯を食べて、
結局演奏が始まったのが9時過ぎ。
それでもお客様は温かく聞いて下さったように思う。

  演奏後、その会場はダンスパーティーに。
スポンサーの方からシャンペンを振る舞われ、
その方の家に招待され、さらにシャンペンを
振る舞われる。ナイジェリアは、
シャンペン好きが多いらしい。

ホテルに戻ったのが深夜2時くらい。
SOMIから、明日のLagos行きの飛行機が
何時になるかわからない。翌朝7時くらいに連絡する。
と言われる。

ホテルの部屋はダンスミュージックが
爆音のように流れていた。
 『Gangnam Style』をナイジェリアで
この時間に聞くとは思わなかった。
ホテルの隣にクラブがあり、
そこからの音がつつぬけ状態なのだ。

しかし、幸いにも私は疲労しきっていた。
耳栓をし、寝れた。よく寝れた。

一日が2週間に感じられた。

 飛行機窓から見たPort Harcourt







ナイジェリアツアー その3

翌日、ホテルで朝食をとり、
ホテルのジムで汗を流し、
バンドメンバーでホテルの外に出て、
レストランで昼食をとり、
ホテルに戻って、サウンドチェックをし、
演奏し、夕食をとった。
ここまで完璧な一日であった。

Somiから、明日演奏する街
Port Harcourt 行きの飛行機会社が
ストライキに入り、代わりのチケットを
購入した。午前11時発。
8時にロビー集合と言われた。

外は、スコールが降っていた。
ドラマの始まりであった。

 ランチタイム
 DODO発見
DODO

2013年3月16日土曜日

ナイジェリアツアー その2

久しぶりに赤子と離れて、
一人でたっぷりと寝てしまったせいか、
起きた時に頭痛に悩まされた。
2度寝してみたが、頭痛が残っていた。
朝食をとりにホテルのレストランに行ったが、
時は11時。すでに朝食は終わっていた。
部屋に戻り、昼食の始まる12時を待っていた。
BBCを見て、新しいPopeのニュースを見ていたのだが、
12時ちょっと過ぎに突然テレビが消えた。
 停電だった。
バスルームの水も出なくなっていた。
しょうがないのでまた眠ることにした。
3時頃目が覚めたが、相変わらず停電していた。
4時30分ごろになってようやく電気が戻る。
9時30分ショー開始したが、
途中で再び停電。
アフリカらしいといえばらしいのだが、
停電はつきものなのですね。
すぐに復旧して事無きを得て、
無事にショー初日を終えた。
ショーが終わると頭痛が消えていた。
めでたしめでたし。


(写真右より、Michael Olatuja, Liberty Elleman,
SOMI, Otis Brown and Toru Dodo.)

2013年3月15日金曜日

ナイジェリアツアー その1

3月12日、ルフトハンザ航空で
夜7時10分発フランクフルト経由
ラゴス行きの旅程であった。

ところが、フランクフルトが大雪で空港閉鎖のため、
フライトがキャンセルということを出発数時間前に
知らされる。

すでにナイジェリアにいるSOMIの
指示を待つ。

  翌日昼頃に、デルタ便夕方6時15分発のアトランタ経由ラゴス行きか
ルフトハンザ便7時10分のフランクフルト経由のどちらかになるとメールが来る。
3時30分過ぎには家を出ないといけない。
ところが、まだ連絡がこない。

私はいまだにスマートフォンを持たない人であったので、
外出をするとメールを確認できなくなる。
妻に自分のメールをチェックしてもらうようにお願いして、
タクシーに乗る。

車にのって10分くらいたったころに、
妻より電話がきて、旅程が来た事、
デルタ便に決まった事を告げられる。
とほぼ同時に、SOMIから電話が来る。

『デルタがネット上で私のクレジットカードを
うけつけてくれないの。お金はすぐ送金するから、
Toru, 代わりにチケットの支払いをしてくれないかしら。』

やむを得ない。引き受けた。

空港に4時30分に到着し、
登場カウンターで、
この便に乗るバンドメンバー3人分のチケットを購入する。
恥ずかしながら、最初に提示した自分のクレジットカードが
クレジットリミット額を振り切ってしまい、
購入できなかった。
もう一枚のクレジットカードを使い、2枚に分けて
チャージしてもらい、ようやくチケットを発給してもらった。

ぎりぎりに飛行機に乗り込むものの、
私は、この段階で、相当精神をすり減ってしまった。

寝ようと思ったが、なかなか寝れない。

結局、 機内の映画を見ることにする。
日本語吹き替え版があって、そちらで見た。
よくわかって嬉しかった。

”Argo"
イランからカナダ大使館に隠れた、
アメリカ大使館職員を無事にアメリカに
連れ戻す任務を与えられたCIA隊員の活躍を描いた実話らしいのだが、
これを見て、自分のストレスなんていうものは、
彼のストレスに比べたら、全然たいした事ないと思え、
大分、落ち着いた。

"Life of Pi"
太平洋上をトラと漂流した少年の話。
 私のこの度の体験等、完全にふっとぶ程凄い
話であった。それにしても凄い映画であった。

”Silver Lining Playbook"
 前半はかなりよかったのだが、
後半、『Shall We ダンス』みたいな感じになって
ちょっとしらけたところもあったが、
最後は、しっかり泣いてしまった私。
この頃には、全く、私のストレスはどこかに
消えてしまっていた。

"Lincoln"も見てしまおうかとも思ったが、
寝てしまい、起きたらラゴスに着陸していた。
帰りの飛行機で見よう。

こうして今回のラゴスツアー開始。
気温32度。ビールが上手い。

2013年3月10日日曜日

ナイジェリアに行ってきます。

自分のWebsiteの改装工事も大分大詰めになってきた。
ブラウザのタブにdo&doのアイコンを入れられたことが、
個人的に嬉しい。あとは、Welcomeページのデザインを
変えてとりあえず、完成でしょうか。

というわけで、
来週の火曜から1週間、SOMIバンドで
ナイジェリアツアーに行ってまいります。
2010年11月以来、2度目のナイジェリア。
貴重な機会を感謝しますです。


2013年3月2日土曜日

1日が長い。

毎日毎日のこの充実ぶりに我ながら驚く。
朝はたいがい7時30分に起こされ、
絵本を読んだり、散歩に連れて行ったり、
昼飯を作ったり、昼過ぎに娘が昼寝をしたら、
その間に、夜ご飯を用意し、まだ時間があれば
自分のウェブサイトの更新をしたり、
娘が起きてきたら、再び、
昼ご飯を食べさせたり、散歩に行ったり。
妻の仕事が終わった後は、娘を妻に預け、
夜ご飯をかきあげ、ピアノを30分弱練習し、
仕事に出かけ、遅い時は深夜3時過ぎに帰宅し、
それで、翌日、7時30分に起きる。
今朝はどういうわけか、朝の6時30分頃、
娘よりも早く目覚めてしまい、この作文をしている。
16ヶ月の娘よ、早く学校に行ってくれないかとも思う、
今日この頃。
うー、眠い。うわ、娘が起きだした。。。

Somi @The Apollo Theater March 19. 2022

 3月19日(土)にSomiのアルバムリリースショーが the Apollo Theaterで行われました。 なにしろ、スペシャルゲストに憧れの ダイアンリーヴスが歌うと前々から知らされていて、 この日の演奏に備えて、とにかくCovidにはかからないようにとか、 ロシアから核爆弾...