2011年9月29日木曜日

平麻美子レコーディングセッション&レッドソックスの歴史的敗北。

平麻美子レコーディング

9/27&28の2日、平麻美子さんのレコーディングセッションに参加。
ヴォーカルとピアノのデュオがメインで、トランペットの
広瀬未来君が数曲ゲスト参加。
私にとっては、デュオCD録音というのは初めての事で、
アレンジ能力、ピアノの演奏能力が試された、実に充実した時間でありました。
出来上がりが楽しみであります。


レッドソックスの歴史的敗北

28日のレコーディング中、どうしてもレッドソックスの試合が気になって、
平さんには申し訳ないと思いつつ、
エンジニアの方のインターネットをお借りして試合をちょこちょこ追っていたのだが、
レコーディングが後半に入っていた頃、まだレッドソックスは最下位のオリオールズ相手に3−2で勝っていたし、
レイズは早くにプレイオフ進出を決めていたヤンキース相手に7−0で負けていたのだ。


ところが、レコーディングが終了近くには、
レイズが8回裏に一挙6点、9回裏2アウトからホームランで7−7の同点にして
延長戦に入ったのを知る。かなり動揺したのであるが、
レッドソックスは3−2のまま9回の守り、抑えのエースが投げていたので、
まぁ、なんとか勝てるかなと思っていた。


しかしながら、願い通じず、
帰りの車のラジオで、レッドソックスはサヨナラ負け、レイズはサヨナラ勝ちを
したのを聞いた。これにて、レイズがプレイオフ進出決定。
外は大雨、私の心も大嵐であった。



レッドソックスは、
8月末にはヤンキースとアリーグ東部地区の抜きつ抜かれつの首位争いをしていた。
3位のレイズとは10ゲーム差くらいあった。

ところが9月に入ってから途端に調子がおかしくなり、負けが続く。
公式戦160試合目でレイズに追いつかれ、
最終試合162試合目にしてプレイオフ進出さえ逃してしまった。
優勝した2004年以前の情けないレッドソックスを
彷彿させる、見事なまでのダメダメな2011年のシリーズであった。

まぁ、レッドソックスの選手なんてものは、
別に明日から飢えや内乱や津波や放射能で死ぬなんて可能性のない、
私よりも、何万倍もの収入を得ている大金持ちの集団なのであって、
私が心を痛めることのない、心配するだけ無駄な事には違いないのだが、
なんなんでしょうか、このファン心理というものは。
残念でなりません。

2011年9月20日火曜日

Red Sox & Sleep No More

1)野球の事等、自分の人生にはまるで関係ないのだから
熱中することほど時間の無駄はないと常に言い聞かせてきたのだが、
さすがに、ここに来て、あまりのボストンレッドソックスの凋落ぶりに
一筆したためないといけない気がしてきた。


今シーズン開幕早々は調子が悪かったものの、
9月の1日まではほとんどアリーグ東地区の首位を走ってきた
ばかりか、ある時期は大リーグで一番いい成績を誇っていた。
今年は2007年以来の優勝だろうとまで思っていた。


ところが、9月に入ってから大スランプ。
首位どころか、9月1日の時点で8ゲームくらいの差をつけていた
ワイルドカード枠も今日19日の時点で1ゲーム半まで追い上げられている。


今年はあまりのレッドソックスの好調ぶりに安心して、
それほど野球にかまっていなかったのだが、今となっては
心配で心配でしょうがない。
残り2週間弱。せめてワイルドカードには残ってほしいと
ここに書いてしまった。まぁ、野球の事等、
自分の人生には関係のない事だと必死に言い聞かせてはいるのだが。


2)Sleep No Moreの演奏の仕事を再びいただき
先週末3晩連続でピアノを演奏してきた。
先月初めて演奏させていただいた時、車がレッカーされて、ばたばたしてしまい
ほとんどショーを見る事ができなかったのだが、今回は、
じっくりとショーを拝見させてもらった。


元クラブだったところを改造して作られた
6階建てのビルディングの中に、舞台が設営されていて、
お客さんは、マスクをつけて、
ビルの中を勝手に歩いて廻る。
役者さん達が、マクベスをベースにした物語が
各階、各部屋でショーを展開していて、一回行っただけでは、
おそらくすべての演目は見る事はできないであろうという感じ。
薄暗い会場内で、
アクロバティックでセクシーな踊りありの、
全裸の男女が登場するの、
おどろしい儀式があるの、
なかなか面白かった。


このショーの特筆すべき所は、
内部の写真、ビデオ撮影絶対禁止。
ウェブサイトもあまり情報を出しておらず、
メディアへの広告もほとんど打っていないらしい。
ほとんど口コミで今年の3月開幕から6ヶ月で
毎日売り切れだという。
いわゆるセレブの方達も多く訪れ、
実になんというかNYらしいスポットになっている。


僕が演奏しているのは、ひととおりショーを見終わった人達が
唯一マスクを外してくつろぐバー。ピアノトリオと歌手が
1920−40年代の流行曲を演奏する。
演奏者それぞれ仮名で出演していて、
私は、『Danny Jones』という名前いただいた。
今月はあと3晩程演奏する予定。

2011年9月15日木曜日

ひまわり

3月の大震災から日本国政府は、特に、放射能汚染に関しては、これまで
一貫して国民にポジティブなメッセージを送って来たのだと思う。

『直ちに健康に影響はないのです。』
『このレベルの汚染であれば、毎日食べても大丈夫なんです。』

事故を起こした福島の原子力発電所周辺の街並を
『死の街』と表現した大臣には厳しく咎め、
努めて、安全平和をアピールしてきた。

ただし、この世に絶対はないわけで、
これまで、どんな政府の安全メッセージに対しても
多かれ少なかれ、本当かなぁ?という疑念を抱いてしまったように思う。
少なくとも、私は、ネット上で、放射能絶対危険説を散々チェックしてきているので、
なおさら政府の言う事が信じられなくなってしまっている。


国が計測した、各地の放射線量の数値、各種の食物検査の数値や
住民の被曝検査の数値等が発表されても

『ちょっとごまかして低目に計測しているのではないか?』

という疑いの目を注がずにはいられない。

そんななか、
今日のニュースで、農林水産省から
ひまわりの除染効果は低い、という実験結果が発表された、というのを読んだ。
ネット上で、除染にはひまわりを植えるといい、というのを
読んでいたので、この政府の発表には私は目を疑ってしまった。
記事中にも,

 南相馬市で仲間と農地60ヘクタールにヒマワリを植えた農業、渡部有三さん(72)は「チェルノブイリ事故の際に効果があったというのは常識なので、今回の結果は信じられない」と驚きを隠せない様子。


とあり、政府を疑う姿勢が読み取れる。
私も、いや、そんなことはない。
ひまわりをもっと植えていかないといけない、と思ってしまった。

ひょっとしてこのニュース、震災後、初めて政府が出した
ネガティヴなメッセージなのではないだろうか。


もしかすると、政府は始めから治安維持のために、
こういう作戦を練っていたのではないだろうか。


まず震災から半年は、ひたすらポジティブ路線を打って、
国民を疑心暗鬼に陥らせる。政府への不信を増幅させていく。
その後、ネガティヴ路線に変更。

『この食品を食べ続ければ、5年後に必ずガンが大量に発生します。』
『もうこの土地には永久に住めません。この街は今日から”死の街”と改名します。』

すると国民は既に政府が信じられないので
『いや、そんな事はない。よし、俺は東北の野菜毎日食べるぞ!』
『死の街だって? 嘘つけ、よしその街に住んで”生の街”に改名しなおすぞ!』

となって、なんだかんだで、皆が
いい具合にうまく事が収まるのを狙っているのではないだろうか。


『ひまわりの除染効果は低い。』のニュースは、
震災から半年が過ぎた事を契機にして
政府がシフトチェンジした第一報なのではないだろうか。


私は、もう何がなんだかわからないのです。

2011年9月13日火曜日

祈り

私がこの2年ほど、毎週日曜に演奏させていただいている教会は、
建物の老朽化が進んでいて、セレモニー中にたまに壁の一部が
崩落することがあったりして、本当にひやひやするのだが、
しかし修繕するにも、新規参加者の減少や、常連の信者の高齢化が進み、
かなり厳しい財政状況でどうにもならないらしい。


そもそも、自分の宗教は何かと問われると
もしかすると何も信じていないとも言えるし、
その気になれば何でも信じれるという感じもあるし、
なにしろいい加減なものなのだが、
そんな私を、参加者のほとんどが黒人というこのキリスト系の教会は、
ピアニスト/オルガニストして雇ってくださっているのだ。


私の仕事は、演奏である。
プログラムに指定されたミサをつつがなく演奏して
皆さんが気持ちよく歌ってくださればいいことになっている。
セレモニー中、皆で手をつないで輪になって一人か二人が、
お祈りするコーナーがあるのだが、そういう時も、
私は、輪には加わらず、静かにBGMを演奏すればいいことになっていた。
とりたてて私の個人的信仰を試されることがないところが、
私にしてみれば有り難く思っている所であった。


ところが、先日のセレモニーで、
天候が悪かったせいか、いつもより参加者が著しく少なかった。
皆で手をつないで輪になるコーナーもあまりに輪が小さく
寂しく思ったのか神父が、『Mr. Dodoも輪に加わって。』と誘ってきた。
私は断るにもいかず、輪に加わり、目をつむってみた。
神父は、『今日は、この教会の復興を皆一人一人お祈りしましょう。』と言った。
繋いだ私の両手はとたんに緊張で発汗した。


一応、私の英語は、日本で中学、高校、大学での英語の授業、
さらにはNHKの『ラジオ英会話』、ボストン留学、そしてNYでの音楽活動、
ハリウッド映画やSaturday Night Live等を
通じて培ってきたものである。
しかし、この時初めて、私はこれまで、
『お祈りの英会話』のレッスンを全く受けて来なかった事を悟ったのである。


まず、どう祈ればいいのか。。。。。
そしてどういう構文を用いて祈ればいいのだろうか。
いやぁ、本当に、何を言えばいいのやら、
神様、お助け下さい、という気持ちであった。


次々とお祈りが進む。
本当に感心するのだが、皆、即興で実に見事なお祈りをする。
ついに左隣の人がお祈りを終えた。


しばしの沈黙。


右隣の人と目が合ってしまった。
『何か言いなさい。』と言うかのように目配せしてきた。


人生初のお祈り。



『Dear God,

You know the situation we face. we don’t know what to do. We release our need and our anxieties to you right now and ask that you give us your peace that surpasses understanding, and the wisdom how to resolve our circumstances. Enable us to patiently await your timing for the resolution of the problem and what we need to be doing on our own in the meantime. In the name of Jesus, I pray. Amen.』


みたいな事は決して言っていない事は神に誓って確かである。

自分のお祈り後、何事もなかったごとく右隣の人がお祈りを始めた。
セレモニー終了後も、特に、周りの人の態度が特に変化したということもなかった。
しかし、どうにもこのままではいけない気がして、家に帰って、
祈りの例文なるものをグーグルしてみたりしたのだが。

2011年9月2日金曜日

Irene

先週末NYをハリケーンIreneが襲った。


NYにハリケーンが上陸する事等めったにないことなので、
警戒するように前々から散々ニュースで報道されていた。


NY市長が、ハリケーン上陸前から公共の乗り物をストップさせ、
海や川沿いの住民を強制避難させる処置を取った事、
昨年、ちょっとした嵐が来た時に、家が1日断水した事、
家の近所で3日ほど停電した事を思い出した事、
さらにNYで何十年ぶりの地震があったばかり、
これはなにかやばい兆候なのではという変な虫の予感、
以上が加わって、私は少なからずパニクった。


ハリケーン上陸3日前の夜にスーパーに買い出しに行ったら、
店内にペットボトルの水がほぼ売り切れ状態になっていた。
昨年の断水の記憶があるこの街の住人が一挙に買い出しに来たのであろう。
これがさらに自分のパニック度をあげた。


2日前には、混雑するスーパーに再び出向き、
水を大量に買いこみ、食パンを買い、
レトルート食品やカップ麺を買い、
電池を揃え、ラジオ、懐中電灯を確認し、簡易式ガスコンロを確保し、
車のガソリンを満タンにした。
ハリケーン上陸当日の土曜日は、
早々とシャワーに入ってから、
風呂場に水を張り、家中の鍋薬缶に水を貯めた。
最悪、家から避難しなくてはいけない場合の
近所の避難所の住所も確認した。
我ながら準備万端という思いだった。
電気や水が止まっても、最低3日は自力で生き延びれる自信はあった。


IreneのNY上陸は土曜の深夜から明け方という。
午後から雨足が激しくなった。
ニュースに聞き耳をたてて夕食をすませた。


夜の8時過ぎに、電話がなった。
バークリ−留学時代の同級生からである。
『Catskill(NYから車で3時間ほど北の街)での仕事の
帰りの運転中なんだけれど、もしかしたら
ブルックリンの家まで道路封鎖で帰れないかもしれない。
今晩、急で申し訳ないけど、もしかして泊めてもらってもいい?』
という。


私の家は、北方面から南下して、ニューヨークシティに
入る前の途中にあるのだ。


こんな日に仕事をしていたのか、と思ったが、
『こんな日に仕事してるのもなんなんだけど。』
と先に言われてしまった。
私の無二の友人の頼みである。
『もちろん。』
と答えた。
と答えたのではあるが、私は、この時、
自分と妻の2人が3日分のみ生存できる量しか
備えはなかった事を思ったのである。


さらに雨や風がひどくなってきた10時頃、
彼が到着した。
駐車場から家までの間を歩いただけで、すでにずぶ寝れである。
『シャワー使うかい?』
と言ってみたものの、風呂には水を張ってあるのを抜かなくてはいけないのを思った。
しかし、水を抜き、
『まだ断水してないうちに、早く!』
とせかすようにしてシャワーを使ってもらい、
その後、すぐさま水を貯めた。


11時過ぎて、一段と雨がひどくなってきた。
ニュースでは、NJ州ですでに何万世帯が停電しているといっている。
しかし、我が家はまだ停電はしていない。

翌日の朝食の事を考えた。

レトルートーカレーが6箱ある。
妻と2人で3日分の予定だった。
しかし、しかしである。
電気のあるうちにやれることだけやろうと、
ご飯を3合炊いた。


しかもこの日、竜巻警報が出ていた。
私の家は、割と高台にあるので、洪水の心配はしなかったが、
もし、竜巻が来たら、おしまいだと思っていた。
しかし、今住んでいるところは2階建てで、普段は2階で寝ているのだが、
竜巻で吹き飛ばされるのは、2階の屋根からだろうという予想をたて、
今晩は1階で寝ようと決めていた。
しかし、彼と3人で川の字になって寝れるかと自問した。
そこで彼は1階で、私と妻は2階で寝た。


窓に叩き付ける風の音に何度か目を覚ます。
寝苦しい夜。

翌朝。


風は強かったが、雨は止んだようである。
ハリケーンは北東に抜けて行ったようである。
陽もさしてきた。


ありがたいことに電気も水も使えた。


昨晩炊いた米にレトルートカレーをかけて、皆でいただいた。
なんともいえない安堵感に満ちていた。

昼過ぎ、ブルックリンエリアは、大丈夫とのニュースを確認し、
彼は無事帰宅した。


もし、仮に、電気が止まり、断水してしまった場合、
食料も水も段々と底をついていくなか、
私は彼にどのような行動を迫ったのかと思うと寒気がする。
もう15年近い交流のある親友に対して、
家に帰ってくれ、と言えるのだろうか?
なんだか極端ではあるが、どこかに漂流してしまった船上で、
最も弱った船員を皆で食べて生き延びたという話が頭をよぎった。
ハリケーンIreneに、色々と人間を試された。


このハリケーン、死傷者の数がとても少なかったものの、
NJ州自体は、なにげに被害が大きく、
もうハリケーンが過ぎ去ってからすでに4日が過ぎても停電しているところがあるし、
水かさの増した川が氾濫して、洪水で街が水没し、ハリケーンの去った後に
避難せざるを得ないエリアもあったらしい。
けっこうしゃれになっていないのだ。


電気も水も大丈夫であった我が家も、
実はハリケーンの去った翌日の朝から、2階の天井から水が漏れてきた。
見れば、天井の一部が、おそらく屋根からしみ込んだ水が入り込んだせいで、
ブヨブヨにふやけてしまって少し垂れ下がってきてしまい、
そこに2センチ程の穴が水圧で空いてしまったようで、
その穴から雨水がポトポトと落ちて来たのだ。
家のオーナーに電話してるが、4日たってもいまだに修繕の手はずがついていない。
次ぎに大雨が降ったら、天井が落ちてくる可能性を心配している。
ハリケーンIrene、なかなか手強かったのである。







(ベースのワキさん、ネタにしてしまいました。すみません。
一晩共に過ごせて思い出深い台風になりましたです。
また遊びに来てくださいませ。天気のいい日の方が助かるかもですが。。。)