2016年3月22日火曜日

Jakarta #4 Jakarta

video

(Jakarta空港からホテルまでの道中、車窓からの眺め) 

今回は、ホテルとジャズフェスの会場の往復以外、
観光的なものはあまりできなかった。
唯一、お土産を買いに、ホテル近くのショッピングモールへ行って
インドネシアの独特の染めものBatikのお店に
行ったくらいか。
Batik売り場

聞いた所、インドネシアの平均収入は、一ヶ月$300から$400という。
今回のジャズフェスの入場チケットは、$40〜$80で、かなり高額らしく、
Chris Botti with Stingショーで、会場内に空席も目立った。
(逆に、日本から、台湾から、オーストラリアからの観光客が目立った。)


泊まったホテルの中庭の風景
移動中のバスから見たJakartaは、
中国では、自転車の群れを見るかのごとく、
道路には、バイクの群れが溢れており、
車を運転するのに苦労を想像した。
若者が多い印象。
なにしろJakartaは、南アジアのハブとして
抜群のロケーションだし、これからどんどん
発展していく国なのだろうと思った。
(因みに最近、JakartaにMotion Blueがオープンし、
音楽がより流入していく模様だ。)

Jakarta!

3月7日の早朝4時にホテルを出発。
帰りは、再び、EVA航空で、
シンガポールから台湾を経て、NYCに
およそ30時間ほどかけて帰った。

さすがに肉体の疲労がすごく、
帰ってから2週間が過ぎてようやく
回復して来た感じである。もう年か。。。
 私の2016年の前半戦、
こうしてひとまず大きな旅が終了したのである。

Jakarta #3 Java Jazz Festival

Michelle Walker @ Java Jazz Festival(Michael O'Brien, Willard Dyson and Myself)

1月に昨年パリで起きた無差別殺戮事件に似た銃撃事件が
Jakartaで起きた為、今回のJava Jazz Festivalの開催も実は
危ぶまれていたらしい。

なんでも開催者が、アメリカ大使館にかけあって、
特に今回の看板アーティスト、Sting & Chris Bottiや
David Foster バンドにジャカルタに是非来てくれるよう
懇願したとか。国家をあげての一代プロジェクトだ。

Java Jazz Festival会場

ステージ  
会場は、大きなコンヴェンションセンターを8つほどの
ステージをこしらえ、常時ショーが繰り広げられている形式。
オランダのNorth Sea Jazz Festivalに倣ったやり方である。
(インドネシアは、かつてオランダ領だったので、やはりそういう
コネクションがあるのかと想像。)
ただひとつひとつの会場が、巨大だった。
(その多くが元飛行機格納庫だったらしい。)
 Michelle Walkerバンド史上最大の箱で演奏した。
会場内

この手のジャズフェスは、他のバンドが聞けることが嬉しい。
普段、あまりライヴを聞きにいくことがない私は、
この時とばかり、聞きまくった。
(普段、映画を見る事もめっきり減っている私が、
飛行機に乗ると、ひたすら見てしまう現象と似ている。)

・Joey Defrancesco Trio
彼の歌とトランペットがまた素晴らしい。

・David Garfield & Larry Coryell
いぶし銀

・Till Bronner
スムーズ

・Patti Austin with the Jazzorchestra of Concertgebouw
極上の音楽

・Hiatus Kaiyote
昨年、モントルージャズフェスで聞いた以来2度目。素晴らしい音楽。

・Seun Kutti & Egypt 80
不覚にも寝てしまった。ごめんなさい。

・Tokyo Ska Paradise Orchestra
初めてライヴを見た。このバンドはどの国で演奏しても大丈夫ですね。胸が熱くなりました。

・Yellow Jacketts
達人衆の祭り

・Chris Botti with Sting
Sting、今年65歳。相変わらずバリバリに歌えて素晴らしかった。なによりも、初めて聞いたChris Bottiが、想像以上によくて、いいものをいただいた気分です。

会場内で食べた、インドネシア料理。ダック&ライス

Jakarta #2 ミーハー

赤道より若干南に位置するジャカルタ。
気温は30度。
スコールが降っていた。

(出発前に、iPhoneの天気アプリでジャカルタの天気予報を
チェックしていた所、滞在中、毎日雨マークがついていて、
残念に思っていたが、実際は、この南国特有のスコールが、
一日に一回降るだけで、ほとんど、快晴であった。
iPhoneの天気アプリの特質なのか、一度でも雨が降ると予想された場合、
雨マークが表示されてしまうのかと、理解。)

かつて日本軍はここまで占領地を広げていたのだなぁ、とか、
バリ島は、ここから飛行機で1時間なのか、行きたいなぁとか、
そういえば、大津波の被害があったスマトラ島もこの国なんだなぁとか、
しかも、我々が到着したその夜、そのスマトラ島近くでけっこう
大きな地震があって、津波警報も出ていたらしく、
そのニュースを見て、心配した日本の両親が連絡してみたりした。
幸い、たいした被害はなく、よかったのだが。
限られたインドネシア国の知識が頭をよぎった。

見覚えのある人が空港の到着カウンターにいた。
昨年、Somiのヨーロッパツアーの際、ロンドンで、
ジョージベンソンの前座をしたのだが、そのジョージベンソンの
音楽監督をつとめるキーボーディストのDavid Garfieldだった。
とたんに、嬉しくなった。
なんかこう、各地のフェスティバルで、
ミュージシャンに出会える感じが楽しいものだ。
David Garfield@Jakarta Airport

というか、このジャカルタのJava Jazz Festivalは、
出演するミュージシャンが皆同じホテルに宿泊するので、
朝、昼、夜の食事時は、常にミュージシャンパーティーになっていた。
今回、会う事はなかったが、Stingも同じホテルに泊まっていたらしい。
さらには、夜は、ホテルのバーエリアで毎晩朝の4時までジャムセッション大会。

私のミーハー魂に火がついた。
とりあえず、ツーショット写真をとった。
何故、このような行動に走るのかよくわからない。
with Nai Palm fromHiatus Kaiyote

with Bob Mintzer

with David Garfield & Roland Luna from Buena Vista Social Club

With Chris Botti

With Atsushi & Nargo from Tokyo Ska Paradise Orchestra

with David Foster

with Larry Coryell

Candy Dulfer

2016年3月21日月曜日

Jakarta # 1 出発の日

そして、3月最初の週に、Michelle Walkerバンドで
インドネシア、ジャカルタのJAVA Jazz Festivalに行った。

NYCからJakartaはなかなか遠い。
今回、台湾のEVA航空で、16時間かけて台北。
台北からジャカルタまでおよそ5時間。
待ち合わせ時間も含めたら24、5時間の旅。

JFK空港発は、3月1日の午前0時30分。

驚く事に、Michelle Walkerバンドは、
2月29日の夜7時から9時まで、Zinc Barで
ライヴがあったのだ。

以前、Somiバンドでナイジェリアで演奏した際、
演奏後すぐにタクシーにのって、ラゴスの空港へ
駆けつけてNYCに帰った事があったが、それ以来の
演奏したままの服で飛行機に乗る体験をした。

(今回、家からのタクシー代をけちって、
スーツケースをひきづりながらバスと地下鉄で
Zinc Barに向かったのだが、
最寄り駅のWest 4th Stationの地上へ昇る
エレベーター内。シンバルケースを運ぶ方がいた。
見覚えがある方だった。エレベーターが昇る間に
思い出した。 Steve Littleさんだった。

ご存知の方も多いと思うが、エリントンの
『and his mother called him Bill』で叩いている
ドラマーだ。
現在81歳。いまだに現役で、 カートにシンバルケースを
のせて演奏活動をしている。

2年前程、結婚式のパーティーの仕事で2回ほど
共演させてもらった事があって、それ以来、
ばったり出会ったのだ。

エレベーターを出た後に、
『Steve Littleさん!!』
全く僕の事を覚えていなかたようで、最初、
怪訝な顔をしていたが、2年前共演した事を伝えると、
あー、君の電話番号は、僕の携帯に登録してあるよ。
うんうん、そうだ、そうだ。
もう81歳だから、最近の記憶というものがあまりなくてさぁ、
みたいな感じ、ひょうひょうとされている。
スーツケース持って、どこ行くんだ、と聞かれ、
Zinc Barでライヴ後、ジャカルタまで行くんですと答えると、
活躍してて、いいね!楽しんできてよ!
みたいな感じでニコニコとお話され、
私は、なんだかとても幸せな気持ちにさせられたのだ。
Steve Littleさんのような81歳になりたいと強く思った瞬間だ。)


  Zinc Barに、スーツケースを持ったバンドメンバーが集結。
9時より若干早めにライヴ終了、
呼んであったタクシーに、荷物を入れ込み、
夜のNYCを疾走。
10時30分には空港に到着、チェックインを
済ませて、無事搭乗。
搭乗前@JFK空港

私は、アジア圏へ行くのは初めての事。

(一度、日本からアメリカに行くのに、
韓国のインチョン空港で一晩泊まった事があるが、
あまり韓国へ行ったという気がしていない。)

少なからず興奮していたことは否めない。
寝ようと思っていたのに、ほとんど寝れないまま
台北に到着。

そういえば、EVA航空だが、食事がとてもおいしかった。
特に、台北到着前に出た朝食メニューに、お粥があって、
これがまた美味。日本に帰る時によく使う、デルタ航空の
それとのレベルの差に愕然とさせられる。

唯一、フライトアテンダントが、100パーセント、
私に話しかけてくる言葉が、中国語だった事が、
少し気になった。

私は、なんとなく、この人は、日本人かしら、
韓国人かしら、それとも中国人かしらと
区別がつくのだが、(それでも外れる事も多いが)
彼女達は、私を見て、少なからず、この人は、
もしかしたら台湾人ではないのでは、とか疑わなかったのかなと
思ったのだが、そういうことは、どうやら全くなかったようで、
毎回、中国語で食事メニューを聞かれ、その度に
英語で返し、そこでようやく、英語で会話が始まるという
プロセスがあった。
私は、問題なく台湾にとけこめそうな確信を得た。


Hello Kitty! @台北空港
台北空港のつくりに、なんだかものすごく親近感を覚えた。
それぞれの搭乗ゲートに、音楽やら歴史やら科学等のテーマがあって、
それにちなんだ展示物が待ち合いスペースに並んでいた。
ジャカルタからNY行きのゲートは、キティがテーマであった。
なんと可愛いではないか。
お土産店では、お茶の無料提供場があって、
そこのおかみさんが、丁寧にジャスミンティーを入れてくださったりして
私は、台湾の好感度ものすごく高いです。
台北空港で食べたもの

Southern States Road Trip #3 Memphis

今回のツアーの最終地がMemphis。
6、7年前にSomiのバンドで一度来た事があって、
その時に演奏した同じ会場で、今回演奏した。
前回は、当日入り、翌朝出発といった慌ただしい旅程で、
何も街を見ることがなかったが、
今回は、演奏日前日に到着したので、
若干のメンフィス観光ができた。
Beale Streatの風景
Sean DIxon, Michael O'Brien & Myself at Beale Street

到着した夜に、ダウンタウンにあるBeale Streetに行った。
100メートルほどの通りに、ライヴハウスが多く立ち並び、
一晩中、ブルース、カントリー、ロックバンドが
演奏している。
冬のため、あまり人は多くなかったが、
夏場は、歩くのに苦労するほど、通りに人があふれるらしい。
その昔、ここで、ルイアームストロング、アルバートキング、BBキングが
演奏していたらしい。
(因みにBBキングのBBは、Beale Street Blues Boyの略だと、
初めて知った私。)

メンフィスブルースを聞く。
翌日の昼に、駆け足で、Stax Museumに行った。
万人受けされるようなシカゴのモータウンサウンドと対比されるが、
よりブラックなソウルミュージックの生家と言われる、
Stax レコードの博物館である。

この博物館がある場所というのも、周りは、
いわゆるゲットー丸出しの住宅が並び、
いまだに白人黒人の貧富の格差というか、
白人黒人の棲み分けというか、
奴隷貿易のハブだったというメンフィスの歴史を
 色々と考えさせられる環境だったのだが、
いざ、この博物館に入ると、
ソウルミュージックの発生の歴史等が展示されてあり、
要は、当時、ラジオで唯一かかっていた白人のカントリーミュージックが、
黒人達に大きく影響を与えていて、ゴスペルやブルース音楽と融合して
ソウルミュージックが生まれたといった事が説明されてあり、
しかも、Staxで録音したミュージシャンは、白人が多く参加していて、
(特にホーンセクション)、その事は、Staxレコードをユニークな
存在にさせている事のひとつらしかった。

The Mar-Keys, Otis Redding, Sam&Dave, Isaac Hays等を輩出した
Staxだが、1968年のマーチンルーサーキング牧師の暗殺以降、
人種間のテンションの高まりとともに、この会社自体も
破産へと向かってしまう。
(現在は、コンコードレコード下で復活している。)
(因みにキング牧師は、MemphisのStaxのミュージシャンも
よくたむろしていたホテルで射殺されたのだ。)

なんというか、アメリカのひとつのレコード会社の歴史だけでなく、
そこからアメリカ国の歴史が浮かび上がるような博物館で、
実に唯意義な時間となった。

ツアー最終日、私だけ、飛行機で帰ったわけなのだが、
ホテルから空港に使った、Uberドライバー が、
高齢の白人男性で、車のラジオからエルヴィスプレスリーが
かかっていた。

Stax Museumに行った事を伝えると彼は、
次回、Memphisに来ることがあったらGraceland(エルヴィスの邸宅)
に行けという。確かに、そうだ。エルヴィスはじめ、
ジョニーキャッシュ等を輩出したSun RecordsもMemphisにあったのだ。
(彼らも、Beale Streetで聞いた音楽に触発されているのだ。)

Memphisは、アメリカの音楽のメッカなのだ。
その地に、わずかな時間ながら、そのエッセンスに触れる事ができた
今回のMichelle Walkerツアーは、
個人的に大きな収穫があったように思う。

Isaac Hayesのキャデラック。

2016年3月18日金曜日

Southern States Road Trip #2 Civil War Zone

Virginia州の風景

時差ボケで、NYC-Atlanta, Atlanta-DC間は、
ほとんど、車内で寝てしまった。
段々と回復が見られた、DC-Memphis間は、
私も運転に貢献した。
Virginia州を横断して行く道。
南北戦争の跡地があちらこちらにあった。

ベースのMichael O'Brienは博学で、
歴史にも詳しく、運転中、彼から
南北戦争から、公民権運動への道のり、
不遇を被った黒人の、南部から
シカゴやNYへの移動、ジャズ音楽の広がり等、
ざっと話を聞いた。
Michaelからアメリカの歴史の講義を受ける私。

VirginiaからTennessee州で、
南軍の旗であるConfederate Flagが
あちらこちらに掲げられているのを見た。
Confederate Flag in Memphis

結局の所、南北戦争で負けた、
南部の州の白人の方のメンタリティというものが、
2016年になっても色濃く残り、
それが、共和党大統領候補の座を狙う、
トランプ氏の躍進に繋がってしまう感じが、
 私にもなんとなくわかるのだ。

アパラチア山脈を越えていく絶景に心奪われ、
BBQ、Cracker Barrel(レストラン)
 Krispy Kreme(ドーナツ), Sweet Tea等、
南部独特の食の文化に腹は満たされた。
アパラチア山脈に心奪われ中

BBQ

Cracker Barrelの内装

コスモポリタンなNYCにいるとなかなか見えてこないアメリカの姿を
運転席から体感した貴重な体験であった。

2016年3月17日木曜日

Southern States Road Trip #1 Driving Driving and Flying

Virginia州にて。左からMichael, Myself, Michelle & Sean。

アメリカに2月12日に戻り、その翌日から
歌手のMichelle Walkerに連れられて、南部の州ツアーに参加。
14日、Atlanta,  
16日 Washington DC
19日 Memphis
という日程だった。
移動は、車。

NYCからAtlantaまで、距離は870.9mile。(およそ1402km)
13時間ドライブ。
今、この記事を書くのに調べて見たのだが、
東京から鹿児島まで行ける距離だったのだ。

次。AtlantaからWashington D.C.まで、距離は638.5mile。(およそ1027km)
10時間ドライヴ。
東京から新山口まで。
久保さんのツアーで、東京青山Body&Soulの翌日が、徳山での演奏だったが、
新幹線でさえ、5時間近くかかっていたしなぁと今この記事を書きながら実感。

そして次。Washington D.C.からMemphisまで、距離は876.7mile。(およそ1411km)
13時間8分ドライブ。
東京から余裕で鹿児島だ。

帰りが、MemphisからNYC。距離は1096.4mile。(およそ、1765km。)
16時間25分ドライブ。 およそ青森から熊本らしい。

全走行距離、3482.5mile。(およそ、5605km。)
日本の国土の長さは、約3000kmらしい。
小林陽一さんGoodFellowsバンドの日本ツアーも相当車で移動したと思うが、
それをはるかに超えた走行距離であった。

私は、このツアーの途中から、
Memphisからの帰りを正直、恐れていた。
日本ツアーから、連続しての旅。
疲労もかなり溜まっていた。
ふと、自分のデルタ航空のマイレッジを確認した。
NYまで無料で帰れるマイレッジ数があった。

私は、悩んだ。

バンドメンバーを見捨てて、一人飛行機で帰っていいものか。
バンドはチームだ。今回は、計4人編成のバンドだったが、
順番にひとり4時間強 運転すれば、一日で帰れる。
しかし、私が抜ければ、3人に余計負担がかかる。

私は無慈悲にも拘束された久保さんをJFK空港に置いたまま、帰宅した人間だ。
今回も再び酷い人間になったのだ。
飛行機チケットをWashington DCからMemphisに移動中に
購入してしまった。
Michelle Walker, Michael O'Brien & Sean Dixon,
こんな自分勝手な日本人ピアニストをお許しください。

久保さんの長い日。

東京駅を移動中の久保さん

ジャカルタから戻り、ようやく時差ボケも
取れて来たかという3月16日の今日。
2月から続いた旅の記録を書いてみようかと。

まずは、日本編。

2月1日から11日まで、ドラムのSammy久保さんに
連れられ、日本を演奏旅行。

僕がNYに住み始めて間もない頃からの知り合いである
久保さんの、齢61にして初めてのCDリリースツアー、全9カ所。
毎晩、違うベーシストと歌手と共演する機会を頂き、
楽しい演奏旅行となった。青山Body & Soulの
ママさんによるライヴ記事がここにありました。

http://www.bodyandsoul.co.jp/2016/02/12323


今回のツアーの一番のドラマは、ツアー終了後の翌日の
渡米の日だったかもしれない、と今にして思う。

飛行機で福岡から成田そしてNYという旅程。

福岡1:05pm発の飛行機。

ホテルからタクシーでものの15分くらいで空港に到着。
日本としばしのお別れ。
おいしいお昼でもと、空港内のレストランで海鮮丼を食べた。
食後のお茶を片手にのんびりと、
今回のツアーをふりかえったり、今後の事を語ったりしたように思う。
店を出る。

時は11:30amくらいだったか。

私は、今回の日本ツアー中、レンタルしていた、WiFiルーターを
郵送返却しなくてはいけなかったので、空港内の投函ポストを探しに行った。
係員に聞いたところ、福岡空港建物を出たところにポストがあるというので、
そこに向かった。
(ところで、今回利用した、WiFiレンタル屋さんという会社の提供する
レンタルWiFiルーターは、安くて便利で、返却も同封されてあった
送料支払い済みの返信用封筒に入れてポストに入れるだけ。素晴らしいサービスだ。)
投函後、手荷物検査ゲート前に向かうと、
久保さんが、なにやら落ちつかない様子。

『どど君、テキストしたんだけどつながらないし!!』
『ルーターを、返したので、携帯つながらないですよ。』
(注:お互い、アメリカのiphone保持者。)
『 場内アナウンスまでお願いしたんだよ!聞こえなかった?!』
『ポスト、空港外にあったんですよ。どうしたんですか?』
『ギャラを入れた封筒をホテルの金庫に置き忘れたんだ!!』
『エッ!!』
『今からホテルに戻って間に合うかな?』

時は11:40amくらいだったか。
一瞬間に合う気がした。
『間に合うかもしれませんね!!』
『じゃ、行こう!!』
と久保さん、シンバルケース片手にエレベーターを降り始める。
途端、私は、冷静に考え直した。
『いやいや、やっぱり搭乗時間に間に合わないですね。
ホテルにまず電話しましょう!』
 久保さんは、半分近く下ったエレベーターを逆進して
昇ってきた。しかし、昇りきったところで、バランスを崩し、転倒。
『大丈夫ですか!!』
『大丈夫大丈夫!!電話電話!!!』
パニクるという動詞は、こういう時に使うのだと実感した。

誰もが携帯を持つ世の中になって、中々巷に
公衆電話というものがなくなっている気がしていたのだが、
空港にはあるものだ。
受話器を片手に、
『百々君、そういえばホテルの電話番号わかる??』

最終日に泊まったホテルは、九州ツアーで共演したベースの
丹羽さんが急遽用意してくださった所で、久保さんも
宿泊先のコンタクト情報を持ち合わせていなかったのだ。
私は、たまたまなのだが、このホテルの電話番号が書いてある
看板を記念に写真に収めていたのだ。

『どど君、小銭ある?』

十円玉を数枚渡す。

『あのーさきほどチェックアウトした久保と申しますが、
実は、金庫にですね。。。ガチャン。』

『どど君、電話切れちゃった。もっと小銭ある? 』

百円玉を数枚渡す。

『あのーすみません、久保と申しますが、カクカクシカジカ。。。。』

どうやら、ホテルの受付の人が、封筒を確認したらしい。

『私の知り合いが受け取りに行きますので、カクカクシカジカ。。。。』

結局、ベースの丹羽さんにホテルまで封筒を取りに行ってもらい、
銀行送金をお願いし、事は収まったのだった。

ツアーのギャラをすべてなくす、という伝説を作る寸前であった。

とりあえず、落ちついて、手荷物検査ゲートをくぐる。
はずしたベルトをはめなおして、久保さんを待つが、
なかなか、久保さんが出て来ない。
尿意を催していたた私は、とりあえず、搭乗ゲート近くにある
トイレに向かった。トイレから出た後も、久保さんの姿がない。

搭乗時間が迫ってきた。

ようやく、久保さんが現れた。すっかり憔悴されていた。

なんと、シンバルケースを手荷物として機内には持ち込めないと言われて、
再び、チェックインカウンターまで出直し、預け荷物にしてきたという。
(NYから成田に来た時は、手荷物としてシンバルケースを持ち込めたのだ。
飛行機会社によってポリシーが違うのがやっかいである。)

成田空港での待ち時間は、もっとも穏やかな時間だったかもしれない。

NYのJFK空港に到着。

入管手続きを済まし、預け荷物を受け取りに行く。
ところが、またしても、久保さんが出て来ない。
久保さんの預け荷物をすべて取り上げて、待った。
久保さんは、やはり現れなかった。

尿意を催した私は、また久保さんの荷物を
ベルトコンベアーに戻し、トイレに向かった。
トイレから出ても、已然、久保さんはいなかった。

テキストをしてみた。
すると、なんと、別室に連れてかれて、待たされているという。

さらに10分程待った。
私も疲労で我慢の限界が来てしまい、
久保さんにテキストを入れ、空港を後にした。
無慈悲な私をお許しください。

帰宅後、久保さんからテキストが来た。
『理由がよくわからないながら、ようやく釈放されました。
お疲れさまでした!』
一時間以上拘束されたのだと思う。

久保さんに、何があったのか、いまだに理由は知らない。
しかし、無事に、帰宅された。
久保さん、本当にお疲れさまでした!
この話、書いちゃいました。ごめんなさい!
ありがとうございました!!! !!

それから、今回、共演した、
Junko & 島田剛さん、
佐藤恭彦さん
中山美穂 & 山本優一郎さん
杉山千絵 & 萬恭隆さん
東かおる & 荒玉哲郎さん
西田真美、荒木眞衣子、豊島博子 & 丹羽肇さん
ありがとうございました!!!

最後に、各地で、聞きに来て下さった方々に感謝したします。

山口県ホテルサンルート徳山にて、
ベースは山本優一郎さん。中山美穂さん撮影。