人に褒められたいから音楽をやってるわけでもないと思うのだが、
それでも、たまに、誰かから褒められると嬉しかったりする。
『すばらしいピアニストが登場した!』(2002年10月号)
『百々徹の驚異的な才能を知らしめるのに十分な傑作』(2004年3月号)
等と、ゴールドディスクにしてくれる程ではなかったにしても、
自分のCDを多少なりとも褒め讃えてくれた雑誌が休刊になると聞いて、
少なからず僕は寂しい。
人に自分の話を聞いてもらいたいから音楽をやってるわけでもないと思うが、
それでも、たまに、誰かから、自分の話を聞いてもらえると、
ちょっと、悪い気はしなかった。
「今までも百々徹の音楽をやってきたつもりですが、
今回さらに百々徹の音楽になってきたのではないでしょうか。
これまでは、そうはいってもアフロアメリカ ンが始めた音楽のスタイルに、
愛しているが故に強く囚われすぎていたように思います。
そういうものから、すこしづつ解放されてきた過程が
この新作により強く反映されてきていると思います」(2008年11月号)
等と、見開きカラーでの掲載はなかったけれども、
多少なりとも偉そうな事を言わせてもらえた媒体が
なくなってしまうというのは、やはり寂しい。
(何故バドミントンを例に出すのかよくわからないが)
バドミントンマガジンが仮に休刊になったとしても
バドミントン自体が消失する訳でもないと思うし、
だからSwing Journalが休刊したとしても
別にSwingが滅亡するわけでもないと思うのだが、
自分の中にある褒めてもらいたいという欲求を
満足させてもらうはけ口を、これから僕はどこに求めて
行けばいいのだろう。
男性の性的欲求のはけ口としてあった、
官能小説、ビニ本、アダルトビデオDVDが、
インターネットにとって代わられたように、
僕の褒められたい欲求のはけ口も、今後、
同様にインターネットに向かっていくのだろうか。