2010年12月27日月曜日

Fort Leeの時計修理屋さん 

4年程使っている腕時計の電池が切れて、
入れ替えをしようかと思ったが、蓋が堅くて開かない。
どこか近くの時計修理屋さんに行こうと、ネットで検索。
車で3分の所に時計修理屋を発見。


電話して、予約をするものかどうかわからず、
とりあえず行ってみようと、時計修理屋のウェブサイトにあった
住所に行き着くと、そこは大きなアパートビルディング。
ロビーにいた警備員に、時計修理屋はどこかと尋ねると、
『そこだよ。』と指をさされた。
指先には、小柄な齢70代の白人男性が玄関付近にいた。


『あのぅ、腕時計の電池を取り替えてもらえますか?』
すると彼は、ちょっとかすれた小声で、
『今から病院に行ってくるんだ。3時間後に来てもらえるかい。』
と言う。



3時間後、再び訪れる。
ロビーにいた警備員に時計屋の部屋を教えてもらう。
そこに向かう長い廊下で、時計屋のご主人とすれ違った。



『あのぅ、3時間前に腕時計の電池取り替えをお願いしにきたものですけど。』
『あぁ、そうだったね。ちょっと買い出しに行ってこなくちゃいけないから
ちょっと待っててもらえる?』
彼の足取りはどこかおぼつかない。
10分ほどして、スーパーマーケットの袋を片手に戻ってきたご主人。
『来なさい。』
と彼の後に着いて行く。


1階の廊下を歩いていくと出てきた、
****Repar Shopの看板。
アパ−トの一室で商売をしているらしい。


ポケットから部屋の鍵を取り出すご主人。
この時、ご主人の右手が細かく震えているのを見てしまった。
ドアを開けると、さらにもうひとつ扉があり、
また違う鍵で開けるご主人の右手の震えは、
一段とひどくなっているように見えた。


自分の腕時計を渡す。
ご主人は、机の引き出しから工具と拡大鏡ゴーグルを取り出した。
『まぁ、そこに座って待っててくれ。』

部屋は、八畳程の広さで、
工具や、昔ながらの置き時計が、
机の上、棚の上に、所狭しと並べられていた。
変な感じだが、時計屋なのに、
ここの部屋の時間は止まってしまっているかのように思えてしまった。
昭和30年代40年代にタイムスリップしたような印象を受けてしまった。



ゴーグルをすっぽりかぶったご主人の作業は、
右手の震えのせいであろうが、非常に遅い。
10分くらい経って、ようやく腕時計の蓋を開けた頃、
誰かが部屋をノックする。
ご主人は応対するのでもなく、そのままにしていた。
すると、鍵を開けたままであったのだろう、
おそらく齢80代か、もしかしたら90代といった白人女性が、
杖をついて入ってきた。


『ちょっとドミトリー!あんたに修理をお願いしてたこの腕時計、
毎日5分づつ遅れるわよ。$50も払ったのに、なんでちゃんと
直してくれなかったの!!』


ドミトリーという名前だったご主人、どこか対応が鈍い。
『うーん、あーそうかい? じゃぁ、見ておくから、
連絡するよ。』
『え?聞こえない?何て行ったの?』
『。。。。。。。』
『何? ドミトリー、あんたいつもオフィスにいないじゃない。
電話しても出ないし。』
『連絡するよ。今、忙しいんだ。』
『え? 聞こえないよ。ちょっとあなた、彼、何て言ったの?』


と女性の矛先が僕に向けられた。
『連絡すると言ってますよ。』
『え?何?』
彼女の耳元に向かって、
『連絡すると言ってますよ!!!』
『ああそう。でもあんた私の連絡先知らないでしょう?
私の連絡先、知ってるの?』


ドミトリーは棚から新しい電池を取り出していた。
彼女の質問に対して無視をしている。


たまりかね、
『ここの紙に電話番号を書いていったらどうでしょう!!!!!?』
と言ってみたら、
『そうね。あのね、私、ここのアパートの住人なのよ。
今日、ベランダでドミトリーが買い物から帰って来たところを見たのよ。
だからこうして来たの。』

『じゃぁ、まぁとりあえず、ここに連絡先を書いておきましょうよ!!!!!!』

『そうね。私ね、ドミトリーの事は昔から知ってるの。
でもね、昔のドミトリーはこんなんじゃなかったのよ。
お互い年をとったわ。あなた、どのくらいここにいるの?
私の時計は彼に$50も払ったのに、毎日5分づつ遅れるのよ。』


電話番号を書いて、立ち去る彼女。


そういえば自分は、ここの部屋にもう20分はいる。
ドミトリーは無言で、蓋を閉じる作業に入っていた。

突然、
『あっ!』
と叫ぶドミトリー。


何か、小さいネジが作業台から床に落ちたようだった。
かがみ込んで懐中電灯を照らしながら床を探るドミトリー。


自分はドミトリーを右手が震えていたのを見た時から、
もしかして間違った選択をしたかもしれないと思っていた。
この時計を買った、NYCのMacy'sの時計修理人の所に行けば
よかったかもしれないと思っていた。


落としたネジが、自分の時計の部品の一部なのか何か、
ドミトリーは何も言わず、床を探す。
そのまま、ただ見ているわけにもいかず、一緒に床を探す自分。
もし、自分の時計の部品をなくしてしまったら、彼は
どう責任をとるのだろう。


結局ネジは見つからなかった。
ドミトリーはそれに関し、何も言わない。
また蓋を閉じる作業を始めた所をみると、
自分の腕時計の部品ではなかったらしい。
それならそれでいいのだが、
彼は何も喋らないので、不安になってしまう。



この部屋に来て30分が過ぎた。
なかなか蓋がはまらない。
震えた手で、全体重をかけながらはめようとするドミトリーの姿が
痛々しいやら、涙が出そうやらであった。
手でははめられないと見たか、
小型プレス器に腕時計を置き、
うーん、うーんとうなりながら蓋をはめようとするドミトリー。
文字盤のガラスに傷がつくのではないか、さらには、
時計が潰されてしまうのではないかと不安になったが、
もう諦めの心境で見守るしかない。


ようやくカチっと蓋がはまる音がした。
この部屋に来てから40分が過ぎていた。

『お待たせ。いい時計だね。』

返された腕時計の針は動き始めていた。
文字盤のガラスに傷もついていなかった。


値段の事が気になった。
さっきの女性が$50払ったという話をしていたので、
けっこう高値を言われるのかと警戒した。

『$5。』


拍子抜けした。
電池交換作業の適正価格というものを知らないが、
安すぎるのではと思ってしまった。


お金を払って、そのまま退室するのもと思い、
少し会話を試みた。

『どのくらいここでこの商売をしているのですか?』
『30年以上になるよ。』
『30年!』
『時代は変わったよ。もう今の人は、時計が壊れたら修理しないで、
すぐ新しいのを買っちゃうし。このアパートのレントも上がってきて、
もう困ったものだよ。』
『そうですか。。。あ、そういえば、あの女性そこに連絡先を残してますよ。』
『知ってるよ。彼女は昔からの知り合いでさ。
ここ最近、毎日のように来ては、ガーガーわめいてくるし。
なんだかうるさくていちいち対応してられないんだ。
昔はあんなんじゃなかったんだよ。
お互い年をとっちゃったね。』


もう返す言葉もなく、
『ありがとう、メリークリスマス。』
と退室した。


帰りの運転中、
今度、電池が切れた時、自分は、また
ドミトリーに交換をお願いしに行くだろうかと思った。
なにより、彼は、電池の切れる数年後、
まだあの部屋で商売をしているのだろうか。
確かめに行きたいような気もするし、
確かめたくないような気もするのだ。

2010年12月22日水曜日

2011年の2月と3月の行動予定速報!!

<長谷川朗(Sax) Duo>

2/12(土)銀座:季立
2/13( 日)名古屋:Star Eyes

<TOKU Birthday Tour with JAfro

2/15(火) 京都祇園:JTN
2/16(水) 大阪:Mr.Kelly’s
2/17(木) 福山:Tree Café Unplugged
2/18(金) 広島:Speak Low
2/19(土) 下関:Billie
2/20(日) 津山:ソシミエール津山4Fロイヤルの間

百々徹JAfro Tour>
百々徹(piano)、中村恭士(bass)、小川慶太(Percussion)

2/21(月)神戸:甲陽音楽院クリニック
2/22(火) 福岡:New Combo
2/23(水) 佐世保:いーぜる 
2/25(金) 久留米:Roulette
2/26(土) 別府:Base-1
3/2(水) 浜松:Hermit Dolphin
3/3(木) 豊田:keyboard
3/4(金) 岐阜:After Dark
3/5(土) 京都精華町:Naadam
3/8(火) 吉祥寺:Sometime
3/9(水) 御茶ノ水:NARU
3/10(木) 新潟:Jazz Flash
3/12(土)名古屋:甲陽音楽院クリニック
3/12(土) 名古屋:Jazz inn Lovely
3/13(日) 新宿:PIT INN

<Teriver Cheung
(guitar)Tour
Teriver Cheung(guitar), 大村亘(drums),但野友香(bass)

3/15(火)柏:Nardis
3/16(水)桐生:Village
3/17(木)吉祥寺:Sometime
3/18(金)吉祥寺:Strings

12月24日現在の予定状況です。
追加変更ありますのでご了承ください。

2010年12月17日金曜日

ダカールツアー その7

Baaba Maal Live

滞在が急に延長されたために、若干、心配していた事が起きてしまった。

JFK空港に戻る前日に、ビデオ撮影担当のMichaelと
ドラムのSteveと自分の飛行機チケットが予約されていなかったのだ。
フェスティバル主催者に問い合わせにオフィスに行った。

イヴェント参加者の多さに対して、スタッフの数が
少なすぎる印象。今回、SOMIバンドでギターを弾いた
Herveyも、彼自身のバンドでも参加しているのだが、
彼のバンドメンバーの航空チケットも発券されていなかったらしく、
共にオフィスでぼやいた。

フランス領グアドゥループ出身のSteveが交渉し、
i-phoneを使って、関係者にメールして救援を頼むMichael。
フランス語もできず、21世紀のテクノロジーを持っていない私は、
なんとなく気まずい気がして、じゃ、ちょっと、差し入れでも
買ってきます、とサンドウィッチを買ってきたりして、
日本人ができるうるせめてもの貢献をしてみた。

(因みに、SOMIはこの日の昼前にルワンダに里帰り。)

待つ事、4時間。
ようやく航空券を確保してもらう。
疲労困憊で、もう寝るという、SteveとMichael。
しかし私は、滞在最終日を、オフィスで水汲みと買い出しだけで、
終わっていいものかと、航空券が予約されていて、
この日一人お土産ショッピングに行っていたベースのKeithと一緒に
夜に予定されていた、セネガル歌手のBaaba Maalを
聞きに行った。

ダンサー2人含めて、11人編成。
今回、Baaba Maalを聞いたのは、
滞在中3度目。
オープニングセレモニーで2曲程、大統領邸で1曲、
そして今晩のライヴ。
ユッスーほどの透明感はないのだが、
ものすごい重量感のある声質。
オープニングセレモニーの時、ほとんどの歌手が口パクだったのだが、
Baaba Maalは特に、口パクがばればれのパフォーマンスをしていて、
何だかなぁと思っていたのも事実。
しかし、この日は、熱唱。
バラード系の曲では鳥肌がたって涙がこみ上げてくる程であった。
ダンスも上手く、会場は大盛り上がりだった。
4人ほど、シンガーがシットインしたのだが、
これがまた皆、素晴らしかった。
セネガル人の中にも歌が上手くない人というのが果たして
いるのだろうか。疑問だ。


ホテルに戻り、バーで紅茶をもらうことにした。
(夏以来、どういうわけかコーヒーがあまり飲めなくなってしまい、
最近はもっぱら紅茶派なのだ。)
ここに来て発見したNuit Calmeという紅茶が気にいって
またそれを注文して、出てくるのを待つ間、
バーカウンターに座っていた地元の若い男性に話しかけられた。
英語がかなり達者である。


今回、積極的な街の売り子に、足までつかまれたりして
見知らぬセネガル人に対して、全くいい印象を持っていなかったので、
また、何か売りつけられるのかと緊張したのだが、
『今日、Baaba Maalのコンサート見たかい?』
『よかったよ。』
『よかっただろう。最高だよ、Baaba Maalは。』
セネガル歌手といえばユッスーンドゥールくらいしか
知らないのだが、
『ユッスーも好きなんだけど、彼のコンサートを聞けずに
明日NYに帰らないと行けないんだ。残念だ。』と言ってみた。
すると、
『ユッスーは駄目だ。Baabaが一番だ。』
と言う。
『オープニングセレモニーで、ユッスーの歌った曲知っているかい?
このフェスティバルは、アフリカのルネッサンスがテーマなのに、
テーマとあまり関係のない愛の歌を歌った。
Baabaは、アフリカを讃える歌を謳った。彼はリアルだ。
ユッスーは、リアルじゃない。』
自分の推測だが、ユッスーは垢抜けしているが、
このBaabaはどこか、北島三郎を思い出させる土着感があるように思う。
そのあたりで、セネガル人の間で好き嫌いが分かれるのかなと思った。
『英語が上手いけど、何をしているの?』
『ツアーガイドをしているんだ。今度ダカールにくる事があったら
電話してくれ。』としっかり営業活動も忘れない。


今回、セネガルの音楽事情をもっと知りたくなったのは確かだ。
セネガルはやばい、と思った。
滞在中、色々不愉快な事もあったが、
セネガルの音楽が、すべてを帳消しにしてくれた感じがする。

2010年12月15日水曜日

ダカールツアー その6


セネガル大統領邸

この日、多くのアフリカ国の首脳が
ダカールに集まって、『The World Festival of Black Arts』の成功と
アフリカのルネサンスを謳うセレモニーがあった。


2010年は、アフリカ独立の年と呼ばれている
1960年から50年周年にあたる。
50年というのは、白人が黒人を
虐殺し、奴隷にし、植民地にしてきた時間に比べると
ほんのわずかな時間だ。
日本人として産まれてきた自分は、
こういう世界の事情に幸か不幸か非常に疎かったように思う。
SOMIと知り合って6年になるが、アフリカ諸国に連れて行ってもらい、
こういう世界の現実に自分の眼を向けさせてくれた事にとても感謝している。

ガダフィ大佐もいた!!(右下)

今回のフェスティバルで、Black Artsを謳歌する空気を浴びるたびに、
日本人として自分はどうしたものか、考えさせられるのも事実だ。
正直、今回、セネガルのローカルバンドを聞く機会があったのだが、
聞くたびに、妬ましくなる。彼らは、彼らの音楽を行っているのだ。
白人に虐げられた過去があるのに関わらず、彼らの音楽があるのだ。


日本は、邦楽というものにあまり目を向けず、
ヨーロッパ音楽を学び、アメリカポップ音楽を学び、
ラテン音楽を学んで、そこそこヨーロッパ人もアメリカ人も南米人も喜ぶほど
上手く演奏ができるようにはなるのだが、所詮、物真似大会で優勝するような
ものなのではないか。奴隷にされるほどには虐げられていない日本なのに、
何故、物真似芸に走るのであろうか。



(自分も幼少の頃にピアノを選んでしまったところで、
邦楽にあまり触れてこなかった事を今となって悔いている部分もある。)


ただ、自分は物真似芸人のコロッケが好きだ。
普通、物真似は、物真似しているオリジナルを知らないと、
似ているか似ていないかわからないので面白くないものだ。
しかし、コロッケの場合、
物真似する時の彼の視点が面白く、表現の方法が独創的なために、
おそらく、見る人は、オリジナルを知っていようが知らないようが、
コロッケを見て笑う。
コロッケ的でいけるかどうかが、日本の音楽家の道なのだろうか。

(自分も、チャーリーパーカーやジョンコルトレーンの言葉を物真似してきたのだが、
これまで、New Yorkでもなんとか生き延びてこれているのは、もしかすると、
自分はコロッケ的だからだろうか。)


演奏前のSOMIバンド。

こんな事をダラダラと考えてしまったのは、
セネガル大統領邸で、演奏する予定だったのに、
しかもフランス語圏の国々でテレビで生中継されていたのに、
会場にピアノやキーボードが用意されていなくて、
SOMIバンドの演奏を観客として聞いていたために、
ちょっと、というか、だいぶ寂しかったからだと思う。



美しすぎるセネガル人達と。

2010年12月14日火曜日

ダカールツアー その5

Goree Island


ダカール滞在最終日、船で15分のGoree島に観光にいく。

Maison des esclaves(奴隷の館)

この島は、奴隷貿易の拠点のひとつだったという。
今回のSOMIバンドの黒人メンバーにとってはどういう思いだったのか。
白人メンバーはどういう思いだったのか。
この白人黒人の暗い歴史には関与していないと思われる
日本人の私は、ニュートラルでいられて、心理的には救われた思いだ。

ここから船でアメリカやヨーロッパに奴隷が”輸出”されていたという扉。

黒人にとってGoreeは、
ユダヤ人にとってのアウシュビッツのような感じかもしれないが、
とはいえ、この島はかなり観光地化されてはいて、
おみやげを売る方達が多数徘徊していた。
そして彼らは一様によく言えば積極的、
悪く言えば、ずうずうしい。


帰りの船を待つ間、バンドメンバーとカフェでゆっくりしていたら
売り子がどさくさにテーブルにつき、
世間話を始めたかと思うと、
じゃあこのネックレスいるか、この絵欲しいかと
色々かばんからとりだしてテーブルに広げ始める。
英語も達者なこの売り子に、
『お前は日本人か。日本人は買ってくれないから苦手だ。』
と言われたが、
『多分、積極的すぎて、怖くて引いちゃうからだよ。
違うアプローチを考えるべきだ。』
と助言してあげた。
船が来て、勘定の時間になると、そそくさ売り子は立ち去った。
レシートを見ると、頼んでいないスプライトがチャージされている。
確かめると、さっきの売り子が飲んでいたものだった。
結局彼の飲み物代をカバーしてやらないといけなくなっていた。
これって単純に”たかり”という行為なのではないだろうか。


ホテルに戻り、滞在最後の夕食をとりにタクシーで街へ出る。
地元の方に勧められたレストランに行くも、
魚も米も品切れと言われ、最後の食事に寂しい思いをするのもなんだからと
店を変えることにした。
このレストランは、昨晩食べたレストランからさほど離れていなかったので、
じゃあ、そこまで歩こうということになった。
少し暗い通りに入った。
また売り子が近づいてきた。


私は、話かけられて応対するとずっと付いてきてしまうので、
ひたすら無視した。
数人振り切った後、T−シャツを持った男が近づいてきた。
まっすぐ早足で振り切ろうとしていたら、
この男、突然、私の右太ももあたりを両手でつかみ、
ユサユサと揺らすのだ。
歩く足をとめざるを得ず、数秒程、この状況を把握しようと思った。
後ろからタクシーが来ている。
ひょっとして押し出されて車に敷かれるのではないかと思った。
恐怖感が襲ってきた。
すると今回、ツアーに同行してビデオ撮影を担当しているMichaelが
『何やってんだお前。離れろ。』
とこの売り子を押し払ってくれた。
この後、先に歩いていたドラムのSteveも違う売り子に
足をつかまれて、ユサユサされていた。
『何やってんだ。お前も。』
とMichael、再び救出してくれた。
明るい通りに出て、レストランを見つけて避難できた。
(Michaelに感謝。)

まったくもってダカールの売り子には興醒めしてしまう。
あの売り子達がすぐ手を離して立ち去ってくれたのでよかったものの、
殺傷沙汰にでもなったらどうしてくれるか。
ダカール滞在の最終日にケチがついた感じで、
しぶしぶとご飯を食べていたら、
今回のフェスティバルの主催者がSOMIに話しかけにきた。
なんと、明日、セネガル大統領宅で歌ってくれないかという
依頼だった。


どうやら今食べている、ヤッサフィッシュ(セネガル料理)が
滞在最後の食事ではなくなったようだ。

Goree Islandで観光中だった、やはり今回のフェスティバルに参加している、
Living Colourのドラマー、Will Calhoneと。

2010年12月13日月曜日

ダカールツアー その4



演奏の日。

演奏会場は、はじめ車で5時間離れた街だと言われていたが、
この日、車で5分の場所であることが判明。

サウンドチェックの時間に行くも、ピアノがまだ
会場に届けらておらず、サウンドチェックなし。

出演4組のうち最初に演奏すると言われていたが、
どういうわけか急遽2番目に演奏順が変更。

コンサート開始予定時間9時を1時間ほど遅れて開始。

しかも待っている間、鳥にフンをかけられるわ。。


しかしながら、始まってみると、
ピアノも無事到着したし、
サウンドチェックしてないのに関わらず、
始まってみると、いい音響であったし、
お客様もとてもいい反応してくれたし、
結果はしっかりと出すのがアフリカ流なのかもしれない。


演奏後、セネガル出身のギターのHerve(久しぶりに共演。)に連れられ、
『Just 4 U』というクラブに行き、ライヴを聞く。
ここで演奏していたバンド(名前はHerveに後で聞かないといけない。。。)
が実に素晴らしかった。
ギター兼ボーカル(男性)、コラ、キーボード、ベース、ドラム、パーカッション
という編成。
セネガル歌手独特の歌唱(乱暴な言い方をすると、
皆、ユッスーンドゥールみたいな声質。)に、
なにしろ、すごいリズム隊のグルーヴ。
けっこう複雑なキメとかあるのに、
お客さんが知っていてそのキメに反応して踊りまくっているのもまた凄かった。
セネガル、ヤバイかもしれない。
このバンドが聞けただけでも、今回のツアーは成功だったのではないだろうか。

2010年12月12日日曜日

ダカールツアー その3



午後に、観光がてら市内の市場に行く。


タクシーから降りた途端に、
現地の行商人数人に囲まれる。
どこから来たのか?セネガルはどうだい?という
一通りの挨拶がすんだと思ったら、
ちょっとこの絵を見てくれない、
安くしとくよ、、
ちょっとこのコラ弾いてみない?
安くしとくよ、、
ちょっとこの店に来てみない?
安くしとくよ、、
と来た。


ひとたび返事をしたばっかりに、
道中、ずっと付いてくるのだ。
彼らも必死に値下げしてくるし、
あげくには、とにかく金くれよ!みたいな態度になって
半分おどかし気味になってくるし、
そうなるとこちらも、防衛本能が働くし、
腹が立ってきて、購買意欲を失ってしまった。
これほどしつこくなければ、買ったかもしれないのに。
というか、何も買えなかったじゃないか。
何かおみやげを買いたかったのに。。。
セネガルのセールスマン、
もう少し戦略を練り直した方がいいのではないか。


明日はいよいよ演奏の日なのだが、
どこで演奏するのか、何時に演奏するのか、
そもそも本当に演奏するのか
なにもわかっていない、という事だけを
ここに記しておきたいと思う。
アフリカまるだし状態だ。
とりあえず今晩はゆっくり休んでおこう。


下、ホテルのロビーにて。

2010年12月11日土曜日

ダカールツアー その2



3万人は収容できるかと思われるスタジアムで行われた、
『World Festival of Black Arts and Cultures』
の開幕式に参加。



セネガル大統領や、ワイクリフジーンがスピーチを行い、
(何故、ワイクリフが?という疑問があったが。)
ユッスーンドゥール(写真)、アンジェリクキッジョー等
アフリカを代表する歌手達が歌った。
花火があがった。


 
詳しい情報を何も知らされないで、
(ホテルさえもきちんと予約されてなくて)
来ていた私は、
SOMIが参加するこのイベントは、
セネガル国を挙げての一代イベントだったのをこの時認識したのであった。

2010年12月10日金曜日

ダカールツアー その1




アフリカに行くのに、大概ヨーロッパで中継して行く事が多く、
移動時間が2日近くかかる事が多いのだが、
ダカールへは、NYからの直行便があるため、
ほんの8時間ほどで到着。
アフリカってこんなに近かったのかと思った。


(今回もビジネスクラスで行けるかと期待していたのだが、
アメリカ国外旅行は無料で席のアップグレードはできないことが
判明。渋々、エコノミークラスに座る。一度、ビジネスクラスの
恩恵を受けると、エコノミークラスが以前にもまして
辛くなるものだ。。。
ということは、日本行きもエコノミーかぁ。。。)



朝6時に到着するも、ホテルが手違いで予約されておらず、
慌てて手配するも、どこも満室状態。
車であちこちたらい回しされて、少しダカール市内からはずれた
小さなホテルで仮眠。夜8時近くになって
市内のホテルに空きが出て、移動。
途中、タクシーがガス欠を起こしたり
もうなんだか波瀾万丈なダカール初日であった。
結局、アフリカに行くには、ほぼ2日かかるのかもしれない。


写真は宿泊できたホテルのロビーにて。

2010年12月6日月曜日

セネガルツアー前の心境。

SOMIバンドの今年最後のツアーとなる
セネガル行きが近づいてきた。
首都ダカールで開かれる、20日間にわたって開かれる、
Black World Festivalなるイベントに
出演するらしい。
ユッスー•ンドゥールやサリフ•ケイタ、
日本からはオルケスタデラルス等も出演するとのこと。


セネガルはフランス語圏。
かつてフランス語を勉強しようとしたこともあるのだが、
そう簡単に身につくものでもない。
きっと近い将来、高性能でハンディな自動翻訳機が出来るのだろうし、
(ネット上だと、すでにテキストに関しては、
かなりな程度、翻訳機能が発達してきているように思う。)
外国語を学ぶということ自体には、
もうさほど意味がなくなるのではないかと思う。


それよりも、母国語で、しっかりと面白い事が言える能力を
高めた方が、重要だろうと思う次第。
今回は、自動翻訳機が出来るよりも、
自分が生まれてくるのが早すぎたと思って諦めて
寡黙にセネガルに向かうわけで。。。
(何カ国語も操れる人は、でも尊敬します。)

2010年12月1日水曜日

象さんのポット

休日、うっかりユーチューブを辿っていったら
子供の頃、とても好きだったコンビの映像がアップされていて
驚き、懐かしく、かつ感動してしまった。




もう30年近く前のネタなのに
2010年の今になって見ても、
とても新鮮で面白いと思うのだが。


その後、色々ネット検索していき、左側の方(現在、「時生今日人」の
名前で活動しているらしい。)のインタビューを見たが、
当時、漫才やらコント等はなにもチェックしておらず
漫画やSF小説ばかり読んでいたと語っていた。


漫才の伝統とか舞台の基本とか関係ないスタンスで
よくもまぁ、こういうオリジナリティのある
漫才のようでもあり、うだつのあがらない青年の立ち話のようでもあり、
よくわからないが、でもめちゃめちゃ面白いものやれていたものだなぁと
今さらながら感心してしまった。


ここから無理矢理自分の領域に話を持っていくが、
僕も、アメリカに来てJazz云々をやっていることになっているが、
なんだかひたすら、スイングがどうのだとかアドリブがどうだとか、
アフロアメリカンの音楽を学ぼうみたいな事をしてきた感じがするが、
2、3年前から、そもそも何故、アドリブをしないといけないのかが
よくわからなくなってきたし、スイングしなくちゃ意味がないなんて
そういうもんでもないでしょうという気分だ。


象さんのポットのように、
伝統とかそういうものにとらわれずに、
全く斬新な音楽ができないものかと
思案する。



今の自分としては、
20年、30年後になって、
誰かがユーチューブで、
これなんだかいい音楽じゃん、面白いじゃん、
と言ってもらえるような音楽を
創っていく事が素敵に思えているのだ。